コルサの毎日がヒルクライム

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↑15日はK氏が仕事がお休みのようでサイクリングのお誘いがありデローザの滝ちゃんと私の3人で出かけることに。今回は「浜松市沿岸域防潮堤」をサイクリングする計画。自転車の縛りは・・・モールトン以外のミニベロと言うことで私はダホンで出かけました。

※浜松市沿岸域防潮堤

 ⇒ https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/kiki/disaster/bouchoutei/index.html

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↑浜名湖と太平洋がつながる今切口からスタート。見てのとおり、ここが、とりあえず西の端。

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↑今切口から東を見たところ。左上の高架道路は国道1号線、浜名バイパスです。

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↑スタート直後は舗装されていて快適だったのですが2キロ少々?で未舗装路に。

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↑未舗装路としては奇麗?ですが・・・延々と続く()

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↑右手、私。左手はブロンプトンを駆るK氏。オレ、なんか背中から腕に力、入ってるよなぁ(笑)

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↑↑、↑天竜川までで18キロ弱と聞いていたので、当初は、そこまで走る予定でしたが小径車で砂利道と言うことで疲れてしまい・・・今回は中田島砂丘までとしました。

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↑サスペンションはないけれど太めのタイヤを履いたダホンは未舗装路を何とかこなしてくれました?()
次回はマウンテンバイクで天竜川まで走りたいものです。

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↑もうじき、2年になりますか、店主が亡くなって店じまいしたサイクルショップさん。高校生の頃から入り浸り、とても可愛がっていただきました。(自分などは客と言うよりはレース活動を応援していただいていてスポンサーに近かった)そのショップの娘さんに店舗の片付けを依頼された際にいただいたサンツアーの看板。

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↑「オーソライズド ディーラー オブ サンツアー」
大きな看板にもかかわらず「SUNTOUR」の文字は一番下に小さくあるのみ。作られた年代はまだ調査中ですがサンツアーの文字を大きく打ち出してないところが、まだまだサンツアーの商売に余裕があった頃なのかなぁ、と考えてしまいます。

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↑↑、↑大きさをイメージしていただく為にサンツアー サイクロンGT RDを置いてみました。直径は35cm、厚さ2cmと立派な作り。重量もかなりのものです。その、しっかりした作りから、この看板を手にした(サンツアーあるいは問屋さん?から贈られた)ショップさんは、それほど多くはなかったのではないかと考えています。

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9月9日の中日新聞を読んでいると・・・御「墳」印始めました!!

なる記事が出ていました。

なんでも県内の古墳のBIG3?、断夫山古墳(愛知県下、最大の古墳)、青塚古墳、白鳥塚古墳で御朱印ならぬ御墳印を販売するのだそうです。
記事には「御墳印を集めながら、古墳を巡る楽しさを多くの人に知ってほしい」と書かれています。その通りで、これが古墳に関心を持ってもらうきっかけになって保存運動などに結び付いていくと喜ばしいと思います。
しかし、全国無数の寺社仏閣で集めることの出来る御朱印に対して、とりあえず3基の古墳のみでは・・・(きっかけにしかならない?)

管理者の常駐するような古墳は全国にも、ほとんどなく(管理者がいるような古墳は博物館敷地内の古墳など、ごくごく、わずか)御墳印を現地で発行する手段がないのでこの活動が簡単に広がっていくとは思えません。

とても面白い企画なので何とか、この先の展開を広げていく良いアイディアはないものでしょうか?

9月6日は台風の影響か風は強かったものの晴れたのでサイクリングに行きました。今回のテーマ?()は豊川放水路河口部右岸の遺跡巡り。

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↑国道1号線をはさんで菟足神社の反対側(北東側)には五社稲荷があります。

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↑境内には五社稲荷古墳の案内板もちゃんと立っていますが気が付く人は少ないようです。

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↑↑、↑本殿が建つ、この丘?自体が古墳なのだそうですが(本殿、正面と右側から撮影)・・・そうと聞かなければ、ここが古墳とは気が付かないでしょう。築造年代は、はっきりわかっていないようですが古墳時代中期と考えられているようです。ただ、規模は直径30m以上あったようで、この辺りでは大規模なものだったようです。

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↑本殿から右手に回り奥の院に向かうと右側に粕塚古墳があるようですが藪で明確な高まりは確認できず。

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↑↑、↑そのまま境内の裏手に回ると欠山遺跡(かけやまいせき)の案内板があります。2世紀から3世紀前半の弥生時代の環濠集落があったのだそうです。その面積は3ヘクタール以上もあり同時代の周辺の集落に比べてとても大きなものだったようです。この遺跡から発掘された土器の代表的なものは欠山式土器と呼ばれています。欠山式土器とは、この「欠山遺跡から出土した土器を標識として設定された土器の様式名」とのこと。ですから、ほかの遺跡から発掘された土器も同様な様式であれば欠山式土器と呼ばれるので周辺の同時代の出土品でも時々、この呼び名を耳にすることがあります。

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↑帰る途中に総合青山病院、小坂井高校方面から撮影した五社稲荷全景。こちらの方(撮影している背後方向)は行き止まりなので、こちらから五社稲荷を眺めたことのある人は病院関係者と高校関係者以外、あまりいないのでは(笑)
※おわり

9月6日は台風の影響か風は強かったものの晴れたのでサイクリングに行きました。今回のテーマ?()は豊川放水路河口部右岸の遺跡巡り。

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↑平井稲荷山貝塚から更に豊川放水路右岸をさかのぼると国道一号線に交わる直前に菟足神社貝塚(うたりじんじゃ)があります。その神社境内から南側の私有地に広がるのが菟足神社貝塚です。前回、ご報告した平井稲荷山貝塚とともに早くから知られていた縄文時代(出土する遺物は縄文早期から晩期、弥生、古墳時代にわたるとのこと)の貝塚です。

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↑ハマグリ、シジミなどの貝殻が散らばっています。左は・・・残念ながら縄文土器ではなさそうです()

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↑神社境内に隣接する空き地にも貝殻が散らばっています。ついつい縄文土器片を探してしまう・・・けど最近は見つかりませんね(笑)

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↑菟足神社から西にある「柏木の浜、白須賀の渡し」跡。奥に見える高架道路は小坂井バイパス。現在は豊川放水路の堤防近くになりますが、その昔は豊川の河口にあたり対岸の豊橋市牟呂町坂津寺あたりからの渡し船の発着所だったのがこのあたりなのだそうです(時代によって位置は多少変わったと思われます)

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↑先ほど、ご紹介した菟足神社の祭神、菟上足尼命(うなかみすくねのみこと)は、この地から上陸されたそうです。その後、穂の国の国造(くにのみやつっこ)として治績を挙げられたので亡くなったあと、ここに祀られたのち現在の菟足神社に祀られるようになったそうです。事実かどうかは、「ともかく豊川河口を行き来する渡し船「志香須賀の渡し」がこの辺りにあったのは間違いないようです。

※つづく

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