コルサの毎日がヒルクライム

国産チェーン(5、6段時代)では、皆さんに、結構コメントいただきましたので、
調子に乗って?国産チェーンの話を続けちゃいます(笑)

ただし、サンプルの手持ちがなかった物あり一部カタログから画像をスキャンしています。



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まずは報国のピスト用ですがパッケージが面白かったので、ここで取上げさせてもらいます。
(昔は現在のピスト用と同じ幅の変速用チェーンもありました)
これは、かなり古い時代の物だと思います。

「世界をつなぐ報国チェン」のコピーが泣かせます。
少しステッカーで隠れてしまっていますが「特製レーサー専用」の文字も見えます。
左の「最高級」の文字の下には「大臣賞 受領」と書かれています。

箱のふち、全周にわたってチェーンのイラストが入っていて、
また、小さくレーサーのイラストが入っているのも地味なものが多いチェーンの
箱には珍しいと思います。



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大同 「D.I.Dスポーツ」
これも結構、古そう(70年代前半?)なサンプルです。

D.I.Dスポーツはスポーツ車用の、ごく普通のグレードのモデルだったと思います。
これはゴールド仕上げですが、一般的なブラックなど、いくつかの種類があったと思います。

また大同には「55」、「SUPARKLES」(スパークレス)、または(ラストレス)というモデルも
あったようですが「スポーツ」の種類のひとつなのか違うグレードなのか、良く判りません。
箱の種類も、かなりたくさん有りました。
そういえばラストレスはニッケルメッキ仕様という説もあります。
どなたか、ご存知ありませんか?



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そして、これが近年の大同のごく一般的なモデル。
箱すらなくビニールに直接印刷されています。
ホームセンターなどにも売られているのも、このタイプですかね。

そういえば、けったさんが愛用していたと言う「ラナー」は大同の製品ですね。
残念ながらサンプルがありませんでしたが。
ラナーは今回、最後に取上げるシマノUGと同じコンセプト思われるモデルで
アウタープレートにふくらみを持たせチェンジ速度を改善しようというモデルでした。



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当時も、あまり見かけなかった「江沼」(エヌマ)のチェーン
プレートにK.E.Cの刻印があります。
江沼は(株)江沼チェン製作所というのが正式名称ですから、その略ですね。



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江沼の高級バージョンだった「ゴールデングランド」



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「ゴールデングランド」は良く見ると内側のプレートに穴があいています。
「ゴールデングランド」は当時(1975年頃)世界で最も軽いと宣伝していました。
(116リンクで340g)
また、世界で初めてピンに耐磨耗特殊表面処理を施したとも宣伝文にありました。
「ゴールデングランド」の形式名は「KEC410S」で色によって下記の記号で呼ばれていたようです。
G-G ゴールド
S-G シルバー
B-G ブルー
と言うことは画像のサンプルはブルーカラーの(KEC-410S B-G)ですかね。
箱には小さく(KEC410SGG)の文字が印刷されているのですが(笑)

江沼で、面白いのは自転車用チェーンの広告に「1/2×3/16」のサイズがあることです。
「1/2×1/8」のピスト用より幅の広いチェーンなんて自転車用にあったんでしょうか?



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「サンツアー ウルトラ6」もサンプルがありませんでしたので、
1979年のカタログから。

チェーンは中央列の下側に少しだけ。

ニューウイナーフリーも乗っています。
ニューウイナーフリーは一種類のボディで5、6、7段が組めました。
(6段には更にレギュラー6段とウルトラ6段があった)
ただ、その替歯とスペーサーの種類は複雑怪奇?で簡単には把握できません。
例えば同じ16Tでも下記のような種類がありました(笑)

①レギュラー6段2nd用
②ウルトラ&レギュラー3nd用
③ウルトラ&レギュラー5、4th用
④レギュラー5段4、5th用

話がそれてしまいましたがウルトラ6用、及びニューウイナーフリーのウルトラ6、7段用に
開発されたのがウルトラ6チェーン(UC-6000)でした。
このチェーンはローラー幅は従来のノーマルと同じ2.4ミリ。
外幅が従来チェーンが8.0ミリほどだったのをピンの頭を低くすることによって
7.2ミリにしたものです。

ちなみにサンツアーの工具「スプロケットはずし」のチェーンもウルトラ6が付いた物が
ちゃんと販売されていました。



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サンツアーのナローチェーン 形式名不明。
これがウルトラ6の後継に当たるチェーンのひとつになると思います。

プレートを見ると
「HKK」「Z」「4C」の文字が見えます。
「HKK」はもちろん報国でしょう。「4C」はちょっと判りませんが「Z」は報国に
ナローチェーン「Z」というモデルがありましたからそれをサンツアーのブランドで
売っていた物でしょう。

とするとウルトラ6の製造も報国ということでしょうか?



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そして最後に登場するのが
シマノのユニグライトチェーンです。
これも、残念ながらサンプルがありません。
いくつか持っていたのですが、頼まれてみんな手放してしまったきりになっています。
画像は1977年の総合カタログです。

この上の画像は1977年の50ページのカタログの5ページ目。



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そして、50ページのカタログの19~20ページにあるユニグライトチェーンの解説。
チェーンの名称、形式は「SHIMANO-600UG」、Model QA-400となっていて
シマノ600グループで紹介されています。
ちなみにデュラエースグループにはまだ、チェーンは紹介されていません。
1979年の時点ではデュラエースグループのユニグライトチェーンは
販売されていなかったのでしょう。



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そして50ページカタログの33ページ目にはUGチェーンについて3度目!の
紹介が載っています(笑)
この製品は「UNIGLIDE-Ⅱ」 Model QA-200となっています。
600UGがModel QA-400でしたから「UNIGLIDE-Ⅱ」 Model QA-200は
普及クラスのUGチェーンだったのでしょう。



これで、とりあえず、5~6段時代の国産チェーンは終わりです。
続いて外国チェーン編があるかどうか?ちょっとしんどいしサンプルがないかも(笑)

15年以上前になるでしょうか?
古い自転車部品を一生懸命、集めていた頃、自分が、もっとも手に入りにくく感じたのは
国産の古いチェーンでした。
当時はネットオークションも知らず、ショップやフリーマーケットで探していたものです。

考えてみればチェーンはタイヤの次くらいの消耗品です。
どん、どん、消費されていってショップに売れ残っている物も少なかったはずです。
また、しばらく乗らずに放置されていた自転車を改めて動かすとなるとタイヤ、バーテープ、
ブレーキワイヤーを交換、そして赤錆びたチェーンも交換といったことで古いチェーンは
残りにくかったのでしょうね。

「国産の古いチェーンを探している」とショップさんに相談しても
「ホームセンターに売っている物で形は変わんないから、いいんじゃない」とよく言われていました。
その反動か、その後、デッドストックを見つけるたびに、買い集めていました(笑)

やはり、古いチェーンを探している人は多かったようで、かなり譲ってしまいました。

それでも、そこそこ残っていました。
今回は手持ちのチェーンを少し整理して出てきた物を取上げてみることにしました。


ほとんど、興味を持つ人もいないであろう、超マニアック企画です。
名づけて「報国ブルースカイチェーンのバリエーションについて」(笑)

報国ブルースカイチェーンは70年代中頃から80年代頃前半?ぐらいに販売されていた
5~6段向け高級スポーツチェーンです。
5、6段時代の自転車を良く知るベテランサイクリストなら皆さん、
良くご存知ではないでしょうか?



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報国ブルースカイチェーンのパッケージです。
高級チェーンと言うだけあってパッケージも綺麗な物でした。



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①まずは、もっともスタンダードな「ブラックプレート」モデル。
良く見るとビニールに青い文字で「この袋は防錆ポリエチレンです」と書かれています。
そのおかげか30年くらい経っているにもかかわらず錆びている様子はありません。



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②これが「シルバープレート」モデル。



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③「オールゴールド」モデル



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④そして「ゴールド&ブループレート」モデル。
ゴールド×ブラックとは言わずブルーと呼んでいました。
とすると一番最初のスタンダードモデルは「ブラックプレート」ではなく
「ブループレート」と呼ぶのが正しいのでしょうか?(笑)



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⑤「シルバープレート」モデルの内側?プレートに軽量穴があいたモデル。



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⑥「ゴールド&ブループレート」モデルの内側?プレートに軽量穴があいたモデル。
内側に軽量穴のあいたモデルは⑤と⑥しか存在しなかったようです。

⑤と⑥の内側プレートに軽量穴があいたモデルは新製品「レコード」と書いてある雑誌もあります。
「ブルースカイ レコード シリーズ」?

一般的にはブルースカイチェーンは上記の4色と穴明きモデル2種を含めて6種類だったと
思われているようです。
(というか気にしている人って自分以外にいるのかなぁ 笑)
でも、実際には7種類目となるモデルが存在していました。



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これが7種類目のバリエーションです。
「え、ただのブラックプレートじゃないかって」
いえ、いえ、違うんですねぇ、これは一番最初に出てきたモデルとは同じ物ではないのです。
実はサイズが違うんです。まあ、簡単に言えば幅が違うのですね。

⑦実は、これはトラックレーサー用(ピスト用)なんですね。
ピスト用のブルースカイのは今のところ、このブラックプレートモデルしか見た事がありません。

良く見るとピスト用と他のロード用とはピンの形状が違います。
(ロード用はピンの頭に-)

また、画像ではわかりませんがピスト用はボルト+四角ナットで脱着出来るようになっています。
(種目、競輪場の違いでギヤと一緒に交換する為)



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ブルースカイチェーンには、こんな紙(取扱説明書?)が入っていました。
上下にあるのはステッカーです。



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取扱説明書には、取付け方、特徴の説明、点検について詳しく書かれています。



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パッケージ7種類
箱の右上に「色」を表すステッカーが貼られています。
手前の右の箱には貼られていませんが、これは「ブラックプレート」用です。

中央、一番奥はピスト用の箱です。
ピスト用の箱のみ左上の方に「TRAC RACER 1/2×1/8」の文字が印刷されています。

奥のピスト用と右の2個に貼られている「赤地の四角のステッカー」には
「検査済み証」「日本車両検査協会」と書かれています。
「車両検査協会」は財団法人で自転車関係では「自転車組立整備士証」の発行などをしていますが
それ以外の業務は良くわかりません。
略号を「VIA」というようで(ビークル インスペクション アソシエーション??)今でも
国産部品のクランクの内側やハブなどに刻印されている事があります。



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パッケージの横
カラーを表すステッカーに「孔あき」のスタンプが押されているのが判りになりますか?

一番手前のピスト用のみ長さが「106L」と印刷されています。
他は「114L」とスタンプになっています。114L以外の製品もあったんでしょうか?




次回は他社のチェーンを取りあげて見ましょうか?
でも、さすがに私のブログを覗いて下さるような方でも、チェーンの昔話など、
あまり興味はないかも(笑)

本当は、気にせずやりたいんですが、いざとなると良いサンプルがあまりなくって(笑)

今週末は珍しく久しぶりにイベントもありません。
(10月は毎週、何かしらイベントがあったので)

今日、11月1日は天気も良かったので地元でサイクリングに行くことにしました。
今回のテーマは渥美半島遺跡巡り(中世編?)です。



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まずは田原市 赤羽根町の国指定遺跡「百々陶器窯跡」です。
(百々=書籍には「どうど」と書かれてるものもありますが地元では「どうどう」と発音しています)

豊橋南部から渥美半島にかけては確認されているだけで380基前後、推定500基ほどの
古窯跡がある(あった)と言われています。

その中で、ここがなぜ、国指定になったのか私には疑問です(笑)
一説によると指定された大正時代には、この遺跡はもっと古い時代のものと思われており、
それが理由で指定されたとも言われています。
現在は平安時代から鎌倉時代のものと考えられているようです。



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このように窯跡の位置がわかるようになっています。
この遺跡がどの程度、発掘調査されたのか、どんな出土品があったのかはわかりません。



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周辺には陶片、窯の壁土?と思われる遺物が現在でも見つかります。



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次は「田原市赤羽根文化ホール」内の展示(もとの赤羽根町役場、横)。

ここは先日、仕事で立ち寄り、素晴らしい展示があることを発見。
(それまで全然、知らなかった)
赤羽根町を中心とした考古学資料が展示されています。
上の画像は赤羽根町周辺で見つかった12~13世紀ぐらいの陶器類です。



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芦ヶ池近くの「山崎遺跡」から出土した貴重な木製品も展示されています。
山崎遺跡は古墳時代から奈良時代の物と考えられているようです。
書籍で見ていた木製品がまさか、ここに展示されているとは驚きました。

左側の丸っこい物は馬に乗る時に足を納める「鐙」(あぶみ)の未完成品と推定されています。
右の二つは鞍の部品だそうです。


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さて更に伊良湖方面に向かい「皿山古窯群」を探します。

農作業に来て休憩中の老夫婦に聞いてみると既に道は荒れ果て窯跡は更に山林の中で
簡単には見つからないでしょう、とのこと。

教えられた道を辿っていった所がここ。
やはり道は廃道化しており、ここを越えるのは無理。
(予定ではここを越えるつもりだった)
この画像の奥まった所で拾った陶片の特徴から、やはりこの斜面あたりに
「皿焼古窯群」があるのは間違いなさそう。



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更に教えてもらった舗装道路から遠回りして渥美運動公園敷地内にある
「田原市皿焼古窯館」にいきます。

ここには建物の中に当時の窯跡が保存されています。
先ほどの「皿焼古窯群」が山の東側斜面で、こちらは西側斜面の古窯群になります。
こちら側だけでも13基の古窯が発見されており、その中の第12号窯が展示保存されています。
時代的には12~13世紀のもののようです。



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さてここから今度は豊川用水、初立ダム向かいます。

ダムの西側に「伊良湖東大寺瓦窯跡」があります。
ここは南都焼討ちで消失した東大寺の再建にあたり瓦を焼いた遺跡です(12世紀)。
ここ渥美半島から船で伊勢湾をわたり陸路で奈良まで運ばれたと言われています。
重い瓦をよく奈良まで運んだものですね。

遠く離れた渥美半島で瓦を焼いた理由としては下記のような説があります。

①東大寺復興を援助した源頼朝が、ここ三河国の知行国主だった為。
②窯跡の所在地が伊勢神宮の御厨地であった為、伊勢神宮の関与説。



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先の「田原市渥美町文化ホール」内に展示されていた東大寺瓦。
しかし非常に残念なのは東大寺の大仏殿から、ここ伊良湖で焼いたと認定、出来る瓦が
見つかっていないということです。
伊良湖で焼かれたと認定できるのは鐘楼の平瓦にわずかにあるだけだそうです。



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さて次は伊良湖岬から北東の「西の浜」を目指します。
画像は西の浜から伊良湖岬を望んだところ。
左端が伊良湖岬、中央が三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台になった神島です。
遠くにかすんでいるのは三重県の山々です。



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振り返って西の浜中央から北側を見ると火力発電所が見えます。
このあたりの松林には多くの「製塩遺跡」が残っています。

また6世紀頃の「藤原古墳群」もあります。
古墳群は、ここで製塩を行っていた製塩事業集団を率いていた豪族の墓という説もあります。



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西の浜製塩遺跡群(岬一号遺跡)
この松林のすぐ向こうは海岸になります。

渥美半島での製塩は5世紀ぐらいから始まったと推定されています。
平城京から出土した木簡(奈良時代)には、この地方から塩を送った(貢納)と
記述されたと書かれた物があるそうです。

また、一説によると製塩土器は使い捨て(土器の内側にこびりついた塩を土器を割って取り出す)
だったそうです。
当然この辺りにも、大量の製塩土器の破片が残っているはずですが
雑草に覆われ見つけられませんでした。



さて、ここからは豊橋方面に向かって折り返します。



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そして、田原市の芦ヶ池に程近い「国指定遺跡 大アラコ古窯跡群」に到着です。
ここからは戦後まもなく「三河国司だった 藤原顕長」の銘と役職名?の入った
陶器が発見されています。
陶器に書かれていた藤原顕長の役職?に就いていた年代は、具体的に、わかっており
(1137~1145年及び1149~1155年)、この古窯群の操業していた年代が、
ほぼ確実に推定されています。
その為、学会からも注目を集めた遺跡です。



初めて行ったところもあるし、久しぶりに行ったところもありました。
どこも興味深い遺跡でした。
明日も天気が良かったら、また行ってこようかな(笑)

30日は仕事が5時に終わりました。
夜の合コン、飲み会、いや会議までは少し時間があるのでトレーニングに行くことにしました。



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しかし、今の季節、17時ともなれば日暮れ間近です。
でも、日没過ぎでも、真っ暗になるまでには20キロぐらいはと、走り始めました。

ところが,この画像を撮ったあと、ロード練習を終えたばかりの知人にばったり。
少し話し込んでしまい、結局、日没(笑)



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それでも、最低20キロは走りたいと工業団地のコースを走るが就業終了時間ということで
帰途につく車が多い。いつのまにか事業所も増えたようだ。
こちらは、ライト類は付けていないので公園の中を走ることにするが真っ暗(笑)

結局、12キロ走ったところで本日の練習終了。



車輌は車に積んであったルイガノMV3S、ホイールをチューブラに改造しようかと思案中。

10月26日は古典ロード走行会でした。
残念ながら、あいにくの雨で走れませんでしたが集まっていただいた
参加者の愛車を紹介させていただきたいと思います。



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ugbotherさんの3RENSHO
旧車レストアが専門?のugbotherさんにしては意外?な一台。
前夜に「少し変わった3RENSHOを持っていきます」とは連絡はいただいていましたが、
エアロ車とは思いもよりませんでした。

ugbotherさんによると、「近年手に入れ、まったく使った形跡がなかった」とのことなので
サイクルショー用のモデルが、どこかで保管されていたものかもしれません。

エアロ車の部品というと「シマノAXシリーズ」が浮かびますが、この3RENSHOのパーツは
デュラエースEXシリーズをメインに組まれています。

「シマノAXシリーズ」の販売が1981年と思いますのでこの車は1980年頃の物でしょうか?
チェンホイール+ペダルも一瞬AXかと思いますが、これはEXシリーズの
追加バリエーションだった頃のモデルだそうです(刻印が違う)

ボトルはシマノではなくコブラだそうです(シマノのエアロボトルはまだ発売されてないので)。
フレームとボトルのところに黒いカウルが付いているのが面白いですね。



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フレームワークも3RENSHOらしいユニークな物ですが
ブレーキがシマノ600のカンチというのもユニークです。
サイドプルやセンタープルをあえて使わなかった理由は何なのでしょうか?この方が
空気抵抗が小さい?(笑)
また、エアロ車でありながらブレーキワイヤーが、まだレバーの上から出ているのも
時代を感じさせます。
(前の画像にて)



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滝ちゃんの ケルビムV-ウルトラ 1976年
イシワタの超薄肉クロモリパイプセット、「015」をラグレスで仕上げた軽量フレームです。
加工前の015パイプセットの重量が1595g、コロンバスの有名な超軽量パイプセット
「PL」でも1845gでしたからその軽さは、驚くほどです。
015のダウンチューブの中央部の肉厚は「0.35ミリ」しかありませんでした。
その為、非常にへこみやすく取扱いは慎重さが要求されます。
ちなみに、レイノルズ531の標準的なパイプセットの重量は2.0キロ超、
イシワタ022は2.1キロ超でした。

コルサも、同じフレームに乗っていた事がありますが
軽いことは軽いのですが非常に柔らかで(剛性がない)
ダンシングなどには向かないフレームでした。

メインコンポは初代デュラエースでまとめられています。
画像の状態で9.2キロ前後でしたから少し部品に気を使えば簡単に8キロ台はもちろん、
7キロ台に突入するでしょう。



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ninjinさんの ビチュー
アランの無骨なアルミフレームに比べ非常に洗練されたビチューのアルミフレームは当時、
コルサの憧れでした。
見た目が洗練された上、アランより更に軽量にもなっていた筈です。
ヘッドパーツは、どこの製品かと思い調べたところ意外にもシルバの刻印がありました。
残念ながら工具がない為、調整もOHも出来ないそうです。

チェンホイールのクランクはデュラ7400系ですがギヤ板は初代デュラエースの
ブラックになっています。
歯数もかなり小さくされており、使いやすそうですね。

ブレーキレバーのパットゴムがないのは、太くなるのを嫌いあえて付けていないそうです。



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デモ鳥さんが持込んだ ブリヂストン グラン ベェロ
タイヤ+リムは新しい物ですが、それ以外の部品は、ほぼ時代的にもまとまっていると思われます。
メインコンポはシマノ デュラエースEXになります。
サドルは藤田コンピー、ステムにはグラン ベェロの刻印が入っています。



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benalpeuさんのプジョーPX10E
海外のネットオークションで購入され、部品を集めレストアされたとのこと。
今回のコースを下見し、ダム湖への登りに備えてストロングライト93をトリプル仕様に
改造されたそうです。

ナベックスプロラグ仕様、リヤエンドが古いタイプのサンプレックスなので、
もしかしたら60年代後半の可能性も?
サドルは相性の良いブルックスをあえてセット。



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K島さんの プジョー スーパーPX10E
当時のトップモデルで、プロフェッショナル仕様。
他のモデルとは違い選手供給用を手がける特別な工房で作られていたらしい。

当時のスタイルを忠実にレストアされています。



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K島さんの、もう一台のプジョー スーパーPX10E
先の一台をレストする際、部品取りとして入手されたとのこと。
もともとはフレームを手放しても良いと考えていたそうですが、せっかくなので
スポルティーフとして、まとめられたそうです。

泥除け、フロントキャリアを付け、チェンホイールをストロングライトの99にして
アウター46T+小さめのインナーで乗りやすく、また非常に美しく仕上げられています。
本来、変速機はスーパーLJですが、レーサーとは雰囲気を変えてクリテリウムを
アッセンブルしています。



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コルサの プジョーPR10 1975年頃?
輸入元、ヤマハのプジョーカタログ(74年)を見ると5車種のロードレーサーが載っています。
このモデルは上から3番目にあたります。
ただ、これ以下のモデルはスチール部品が多く使われておりロードレーサーと呼ぶには
「?」といったモデルになります。

PR10は3本レイノルズ531というパイプセットです(他はハイテン??)
この現車は何度も、このブログにも登場しますがデッドストック車で数年前に関西から
手元にやってきました。
ブレーキレバーのバンドなどが見えるような雑なバーテープの巻き方ですが、
これはフランスで巻かれたままで、私が巻いたものではありません(笑) 
コルサでも、もう少し上手に巻けると思います、念の為。


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田爺さんの 片倉シルク
フレームは塗装をはがされ下地のメッキの状態です。
この当時のシルクらしいラグレス、丸フォーク、2段肩フォーククラウンです。

部品はオーナーの好みでアッセンブルされていますが、これが面白い部品、満載です。

今回の集まりでugbotherさんの3RENSYOとともに、特に注目を集めた自転車です。

チェンホイールはスギノのオールスチールコッタード。
メッキの美しい細身のスチールクランクが好ましいですね。

RDは珍しい赤いプーリーの付いたサンツアースキッターです。
サドルは藤田ハイエストクオリティ アルミ板ベースです。
他のパターンは時々見かけますが本所の亀甲型?ショート泥除けも、かなり珍しいのでは。

そして極めつけはハンドルなのですが、これは別の写真で説明させていただきましょう。



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①普段はサイクリング用ドロップハンドルなのですが。



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②通勤、通学時には、なんとアップハンドルに(笑)
 そういえば、コルサも中学生時代は自転車通学だったのですがドロップハンドルは禁止でした。
 このハンドルならドロップハンドル禁止でも学校に乗っていける?
 そして休日のサイクリングは、ドロップハンドルで。



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 このハンドルにはもうひとつのスタイルがあります。
③収納時には、こうやって折畳めるので玄関先など狭いところでも便利に収納(笑)

出来たらペダルも折畳み式(あえて、脱着式ではなく)と組み合わせられると面白いですね。

ugbotherさんは、このハンドルをデモンタのフレームと合わせて使うと便利そうと、
いたくお気に入りでした。

このユニークなハンドルについて、帰宅後、早速、ugbotherさんが雑誌の広告を探しだされていました。
それによると1968年の日付が入った広告があり、
自転車メーカーの「マルイシ」が「UDハンドル」として「UDシリーズ」という
完成車(ゴールデンアロー号など3車種あったらしい)にアッセンブルしていた物だそうです。

ugbotherさんは、ずっとこの広告の記憶があり、
「今日はこれを見れただけでも名古屋に行った価値がありました」と、
ご自身のHPにも書かれていました。

田爺さんの 片倉シルクは当時のオリジナルに修復されているわけではありません。
多少、時代がずれた部品がセットされているとはいえ、こういった楽しみ方も、
楽しく面白いと思います。



次回、第3回中部古典ロード走行会(天気によっては、またミーティングになるかも)は、
今回と同じコースで来年4月頃開催の予定です。
今回、紹介させていただいたような自転車に興味のあるような方なら、面識のない方でも、
すぐに馴染んでいただけるような気楽な集まりです。
はじめての方も、ぜひどうぞ。

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