コルサの毎日がヒルクライム

最近はアヘッド、インテグラルヘッドなどでヘッドパーツも様変わりしています。
それでも、うちにある多くの自転車は昔ながらのヘッドパーツを使ったものがほとんどです。
今回はヘッドパーツ工具について考えてみました。


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一般的にヘッドパーツをセット、調整するのに使うのは、この手の工具が多いのではないでしょうか。
画像はシマノでサイズは32ミリ。


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MTB用だとオーバーサイズ(パイプ径が大きい物)が増えサイズが大きいスパナが
必要になったりします。画像のスパナのサイズは36-40ミリ。


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ツーリング車に使われるヘッド小物は34ミリのサイズが多いですね。
画像は輪行などに持参するスパナ。

サイズも多様ですが、もう一つ気になるのがヘッド小物の材質です。
70年代半ば頃から軽量化を意識してアルミ製の製品が増えてきました。
ヘッドパーツは緩みやすいので、しっかり締め合わせする必要があります。
そうするとアルミ製のヘッドパーツは角(かど)が変形してしまったり、最悪な場合、
なめてしまうこともありました。
まあ、変形までいかなくても、角が少しずつ傷んでくるのは悲しいものがありました。


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アルミヘッド小物の傷みを低減することを考えて見つけたのが、この工具です。
形的には「モーターレンチ」といいます。日本では一般的では有りませんが特に英国人で車や
モーターサイクルを、いじる人に使われているような気がします。
普通は当然、スチール製ですが、この画像の物は材質がアルミ製のものです。

日本での用途として配管工事の人たちに愛用者が多いようです。
水道、お風呂、トイレなどの配管でメッキが綺麗で目に付くところがありますよね。
そういった所で使われるのが、このアルミ製モーターレンチです。
理由はクロームメッキされた目に付く部分の配管に
傷をつけてはいけないのでアルミ製の工具で作業するのです。
ということはヘッドパーツのアルミ製ナットにも使えます。
配管まわりはパッキンが入っているので大トルクで締め付ける必要は、ほとんどありません。
その為、傷つけにくくアルミ製で軽量な使いやすい工具が好まれるのです。
それとサイズが大きい物も回せますので便利です。
もちろん、この工具で上ナット、下側はシマノなどのスパナを併用します。


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数年前、アメリカンブランド 「パークツール」の自転車工具カタログを見ていて思わず
「探していたのは、これだ!」と思ったのが、この工具「パーク HW-2」です。
この工具だと普通のスパナが2面しか当らないのに、このスパナだと7面にトルクが
掛かることになります。
当然、面圧が下がりアルミナットを傷めにくいはずです。
すぐに取寄せ使ってみました。


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上記のように7面に当たることでアルミ製のナットに優しく傷めにくくなりました。
また錆び付いたスチール製のナットを回す際でも安心感があります。

8面の形状も考えられますがハンドル、ステムが付いていたら使えないので完成車の場合、
使いづらくなってしまいます。


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傷めにくい理由は、このように工具の厚みにもあります。
右がシマノ製、左がパーク HW-2です。
7面と、この厚みでしっかりナットにセットできますので錆び付いたナットをはずす時にも、
なめにくく、工具も外れにくく安心感があります。
ただ、32ミリと36ミリサイズだけなのでツーリング車用の34ミリに対応できないのが
残念なところです。
あと、材質がスチール製で重量が450グラム弱と重いのが難点ですね。でも耐久性と
使い勝手(厚みによる)を考えればアルミよりスチール製でしょうね。

それから、もちろん、8各のナット専用になります。
リッチーWCSのような4角、MTBに多い6角には当然使えません。




さて、アルミ製のナットに、いい工具が見つかりましたが34ミリナットの工具で良い物が
見つかりません。
現在、34ミリを回す工具として、まあ、こんなところかな、と思っているのが、この工具です。
34ミリナットのヘッドパーツは、ほとんどスチール製なので角を傷める心配は
多少すくなりますから。


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34ミリの上ナットを回すのに使っていたのは画像3枚目の輪行用スパナと画像4枚目の
モーターレンチでした。
モンキーレンチという手も考えられますが、普通のモンキーレンチで34ミリサイズのナットと
なるとレンチ全長が300ミリぐらいの物でないと回せません(大きく重く扱いにくい)。
画像の一番下の250ミリタイプで、やっと30ミリのナットが回せる程度です。
30ミリではヘッドパーツには使えません。
(まん中の200ミリでは25ミリのナットぐらいが限度)


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ところが最近、出回っている開口部が大きい通称「デカモンキー」だと200ミリタイプで
38ミリぐらいまで回す事ができます。
(アップ画像の前の)画像の一番上のタイプがそれです。まん中の普通タイプのモンキー200ミリと
ほぼ同じ全長ですが
「あご」が大きく開き34ミリなら楽々です(最大38ミリ可)。
普通のタイプのモンキー(34ミリが回せる300ミリ)と大きさ、重量を比較すれば使いやすく
便利なことは圧倒的です。

画像はモンキーレンチで昔から有名なスウェーデンの「バーコ BAHCO」製、タイプ9031です。
バーコは最近、スナップオンの取り扱いになりましたので入手も比較的、容易になりました。
少し気になるのはアゴのサイズを調整する部分の回転が日本のモンキーレンチとは逆なことですね。
輪行スパナの肉薄で、ずれやすい工具と比べれば、このスパナの使いやすさは助かりますね。
(バーコではなくても他社から同様の製品が出ていますからホームセンターなどで入手できます)

2008年1月14日 
豊橋鉄道 田口線 廃線跡を自転車で訪ねました。
そのレポート第2弾です。

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三河海老駅の先も線路跡を車で通る事が出来ます。
そして県道32号線に出る直前、線路跡はここから左になります。
この民家は廃線後に出来たのでしょうか?それとも・・・


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上記の分岐を過ぎると、こんなジャングル状態に。
実は、ここが滝上駅です。画像右側寄りを良く見ていただくとホームの
コンクリートが見えるかと思います。

1月で、この状態ですから夏ごろ訪れるとホームにたどり着くことすら
大変な状態でしょう。
訪ねるなら草が生える前、今の時期がよいですね。


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滝上駅を出ると直ぐに小さな海老トンネルです。
ここは、直ぐ東側を県道32号線が走っています。
このトンネルは近所の人が資材置き場に使っています。
このトンネルは通れます。


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海老トンネルを出て少し進み稲目トンネル手前から振り向いたところ。
中央石垣上のポールの右側に「お猿さん」が2匹こちらを見ているのが判りますか。
この2匹の他にもサルが何匹か林の中にいるのがわかりました。

この右側の石垣の上が線路跡でしょうか。
道路は県道32号線、非常に交通量が多いところです。


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海老トンネルを出ると線路跡と県道32号は重なります。
そして今日最大の難所?稲目トンネルです。
このトンネルは、もともと田口線のものです。
拡幅工事され現在は県道として使われています。このトンネルが出来て車の通行は
大変便利になりました。
ちなみに国道とは稲目トンネルを出た北側で合流します。
国道は今も道が狭く曲がりくねっており、稲目トンネルの方が安全で便利です。
ただ、長さは1511mもあり、暗く排気ガスが充満しており自転車にとっては、いやなところです。
(自転車にとっては難所?)

稲目トンネルを抜けると田峰駅跡で、そこから鉄道跡は道路の対岸に渡っていたそうです。
今回は、この区間はパスして先をいそぎます(次回調べます)。


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国道257号線、清嶺トンネルの南側に田口線の清崎トンネルがあります。
入口付近が崩壊(トンネルの一部自体も)していますし草だらけで、しばらく気がつきませんでした。
枯れ草越しに、よくみると不気味にトンネルが口をあけています。
トンネル内は湧き水?がたまり水没していました。

このトンネルは進入出来ませんので国道、清嶺トンネルを進みます。


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トンネルを抜けると清崎の町です。
画像の道路の左側に97年頃までプラットホームのコンクリートや
駅名表示が残っていたと思います。
(具体的な位置が、どこだったのか詳しくは覚えがありません)

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清崎の信号交差点を越えると直ぐに、このゲートがあります。
国道257号線は、もちろん右です。
このゲートの先が田口線跡です。
ここからは田口線あとを、終点の田口駅まで、ずっと車でたどる事が出来ます。
交通量は少ないのですが道が狭いので注意が必要です。

ここには2月?にアマゴが解禁されると「渓流釣マニア」が押しかけると思われます。
そうすると路肩に無理やり駐車する車も多いでしょう。
今回はすれ違った車は1台のみでした。
それ以外に工事車輌と思われる駐車車輌が数台ありました。


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ゲートをくぐると、いきなり弁天橋です。
画像の右端がゲート方向(長篠側)になります。


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橋を渡ると最後の民家です。この先には田口まで民家はありません。
そして田内トンネルです。
道路左側の表示板が光って読めませんが「トンネル内、段差あり」だったと思います。
実際、トンネル内の路面は悪く、照明もありませんからオートバイ、自転車は慎重に
行ったほうが良いと思います。コルサは念の為、自転車を降りて押していきました。


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田内トンネルを過ぎると築堤になっていました。


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そして入道島第一トンネル(南側)


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入道島第一トンネルを出ると高鉄橋(平野橋)があります。橋の脇から降りていけば、
その名の通り高い鉄橋の写真が取れるそうですが、すでに疲れて気力がありません(笑)
画像は高鉄橋を渡りきり入道島第一トンネル側(長篠方面側)を見たところ。


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高鉄橋を渡るとすぐに入道島第二トンネルです。
画像は南側。


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入道島第三トンネルです。
画像は南側。


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入道島第三トンネルを出ると川沿いの開けた所に出ます。

季節が良ければ気持ちもいいでしょうが、今日は、くもりで気温は約4~5度(寒い)、
疲れもたまってきて・・・
季節の良い時期、車窓から見れば最高だったでしょうね。


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今度は大久賀第一トンネル。画像は南側。


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大久賀第二トンネル。画像は南側。
内部、出口は線路状の鋼材で補強されていました。
トンネルがたくさんあり、かつて乗車した子供達は楽しんだのでしょうね。


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いよいよ、田口駅に到着です。
ネット上の画像で見ていたとはいえ、
倒壊しかかった駅舎の様子を目の当たりにすると、
さびしいものを感じます。

手前側の完全に倒壊している部分が柱の少ない改札口や待合室だったのでしょうか。

線路は駅舎建物の向こう側(画像の右手)、川沿いの、わずかな部分にあったと聞きますが、
見に行ってみると川まで狭く現状からは、ちょっと信じられない感じがします。
線路跡が川側に崩れてしまったのでしょうか。


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駅舎から南側(清崎駅、本長篠駅方向)を見ます。
広々としているのは森林鉄道と接続し木材の積み下ろしが行われていた為と聞きます。

画像の左側、山側には、ぐるっとコンクリートの壁上の構造物があります
(動物の線路内進入防止の為でしょうか?)。


さて、田口駅から田口の街の中心部まで行こうと思います。
よく廃線跡は、傾斜がなだらかで自転車には走りやすいといいます。
実際、その通り、ここまでは順調にきました。

ただ、ここ田口駅から田口の街の中心部までは最初に書いたように(その1)
鉄道を引けなかった約200mの高低差がある事を思い出しました。
しかたありません、昔の田口の人々の苦労を偲ぶため?山道を登っていきます。
田口駅から田口の中心部までは狭い道ですが4輪の通行も問題ありません。


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田口の駅から、線路跡の道を引き返さず田口の町まで、わざわざ登って来たのは訳があります。
田口線で使われていた車輌が田口の郷土資料館に保存展示されているからなのです。
ここまで来て電車を見ないでは帰れません(笑)

やっとの思いで、田口駅から田口の街まで登り、郷土資料館を探すと、
なんと更に山の、てっぺんに登ったところではありませんか(笑)。

まあ、何とか登って、田口線の車輌とご対面です。
現車は大正14年製造だそうです。ちなみに製作は日本車輌でした。


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車輌内部は開放されており、中には資料が展示されています。


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運転席にも入る事が出来ます。
昔の電車の運転席って、こんなに狭かったかな~。
コルサは田口線に乗った事は有りませんが豊橋鉄道渥美線は
ご幼少の頃?からずっと乗っています。
渥美線の車輌も古い物が多かったですね。


以上で、今回の豊橋鉄道田口線のレポートは終わりです。
夏になって草が、おいしげる前に、
もう一度、今回パスした部分を中心に訪ねたいと考えています。

なお、ほとんど当時の状態を残している清崎~田口間ですが近年、ダム建設工事が
進んでおり、ダムが完成すると清崎より北の鉄道跡は水没してしまうとの事です。
ご興味のある方は、そうなる前に訪ねてみる事を、お勧めいたします。

「ああ、あすからは電車はこなくなるのか。
/わたしは、レールにそっとさわってみた。
/この上を、電車は、もうとおらないのだなと思うと、
なみだがでてきた。」
(ほうらい風土記)より

「東三河の歴史 下巻」(郷土出版社刊)の田口線のページを見ると
当時の小学生が田口線が廃止になった日のことを上記のように書いているそうです。
短い文章ですが鉄道を失う山深い町の人々の、つらく、さびしい気持ちが端的に
表されていると思い引用させていただきました。


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コルサは特に鉄道ファンではありませんがサイクリングに訪れる奥三河に残る
豊橋鉄道 田口線 廃線跡には以前から関心を持っていました。
先日、「大熊猫」さんに会うと彼は田口線廃線跡への思いを熱く語ってくれました。
そうなると、俄然、興味がわいてきて、もう訪ねずにはいられません(笑)
残念ながら大熊猫さんは多忙なので一人、抜け駆けして1月14日に行ってきました。

先のとおり鉄道ファンではありませんので詳しいことはわかりませんが
豊橋鉄道田口線の概要について。
昭和4年から一部開通し昭和43年歴史を閉じる。
段戸山御料林を中心とした木材搬出の為、地元の足として、豊川稲荷、鳳来寺山参詣者及び観光客の拡大を願って田口鉄道会社が設立された。(御料林の関係で→)宮内省、豊川、鳳来寺の両鉄道会社で資本金の約8割、残りを地元で負担した。
戦後は飯田線本長篠駅から名古屋鉄道、飯田線への相互乗り入れもあった。
終点、田口駅は田口の中心部から、西に、はなれた寒狭川(高低差約200m距離約3㌔)沿いの谷にあり住民にとっては、せっかくの鉄道も不便だった。
これは田口の街までの高低差という技術、資金的な問題とともに資金の多くを負担した宮内省側の利便性のある位置(木材搬出、トロッコ路線への接続など)を選択した為もあるらしい。

コルサが見て感じた 「2008・1・14 現在」の鉄道跡の現状概要。
・本長篠の駅から橋台、橋脚(県道32号上)の手前までは町道として使われている。通行可。
・橋台、橋脚(県道32号上)から鳳来寺駅までの区間は荒れているようです。ただ駅のホームなどは残っているらしい(今回はパス、4輪の通行は不可)。
・田代トンネル、麹坂トンネル南側までは、歩いて辿る事が出来る(トンネル南側から県道32号に戻れます)。
・麹坂トンネル北側から県道32号線までは荒れている様子。
・県道32号線交差付近から南(バス停、大栗平)は、たどる事が出来ます。
・バス停、大栗平の南側は遊歩道として整備されており問題なく通れます(自転車、徒歩なら)。
・玖老勢の北は一旦、県道32号線と重なり、そのあと町道に分岐しています。海老駅の跡までは車も通れる道になっています。
・海老駅から北も車は通れます。県道32号線に出る前に線路跡(滝上駅)は左にそれていきます。
・稲目トンネル手前で線路跡は県道32号線と重なります。
・稲目トンネルの北側で線路は対岸を通っています。こちらは、かなり荒れているようです(今回、パス)。
・清崎トンネル入口(トンネル内水没、入口一部倒壊通行不可)から国道257号線に迂回して清崎駅跡まで行く事が出来ます。
・清崎駅から北で国道と鉄道跡は完全に分岐し清崎の交差点から北の鉄道跡は狭いですが現在も田口駅あとまで車で通行する事が出来ます。
・田口駅から北の道を登れば田口の町中心部に行く事が出来ます。もちろん、国道257号線に出られます。


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JR飯田線本長篠駅。手前が西、豊橋方面。
田口線は向かって一番左側から発着していたようです。


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長篠駅直ぐ東側に残る田口線の線路跡。
田口線の線路は手前に登ってきます。


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分岐からすぐ、町道、国道151号線を横切り、少し北上すると内金トンネルがあります。

ここで、大変なことに気が付きました。
食料、ケイタイなどは持ってきましたが水筒、工具(予備チューブ)などを車に
忘れてきてしまいました。
万一、パンク等したら大変なので泣く泣く、往復約10キロを走って車まで取りに戻ります。
この時間と体力のロスが後半響いて来ることになります。


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内金トンネルを出ると右に住宅地、左に児童館、神社があります。
その先に進むと、こんな感じ。
「え、道、間違えた?」と思いますが、ここが線路跡のようです。
もう、線路があったとは思えないジャングル状態です。


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先ほどのヤブに突入すれば、ここの上、右側に出られたはずです。
県道脇に立派な橋台、橋脚が残っています。
この先、鉄道跡は県道の西側の山中を通っています。
駅や切通しの跡が残っているとのことですが今回はあきらめます。


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ここが鳳来寺駅があったところです。
中央、車が出ようとしているところを右に行けば鳳来寺山の参道、石段になります。

ここは、私、コルサにも(当時、小学生)、大変賑わっていた記憶があります。
1970年頃~(廃線直後)両親とドライブに良く来ましたが駐車場待が出るくらいでした。
土産物屋、五平餅などを売る店で大変賑わっていました。
その後、東照宮まで車で行ける「鳳来寺山パークウェイ」が出来てからは、こちらの門前町は
急速に寂れてしまいました。
廃線後も駅舎を利用して食堂を営業していたと思います。
画像は立て替えられた食堂ですが現在は営業していない様子でした。
食堂前に田口線の案内板もあったようですが、それも見当たりませんでした。


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鳳来寺駅跡を出発すると、すぐに田代トンネルの入口がありました。
もちろん、通行止めですが、自己責任で通ってみます。


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田代トンネル北側です。
民家の間に、ひっそりとトンネル跡があります。


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田代トンネルの北側は青少年旅行村との事でしたが現在は閉鎖しているようでした。
青少年旅行村の管理事務所への道は、かつての鉄道ガーター橋を利用しているようです。


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ガーター橋を、そのまま、直進すると麹坂トンネル入口があります。
ここは厳重に入口が封鎖されています。
中は真っ暗で、すこし砂利などが散乱しています。
自転車もありますし、さすがにちょっと入ってみる気にはなりません。
少し戻って県道32号線に出て北上します。


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県道32号線を進むと鉄道跡を越えます。
旧道のボックスカルバート?脇から無理やり転がるように鉄道跡に降りていきます。
自転車は、ほとんど投げ落とした感じの急斜面です。
新品のジャージはヤブで少しほころびるし自転車は泥で汚れるし大変です。
ところが!もう少し下ればバス停跡から楽に来る事が出来ました(泣)
ボックスカルバート?より南側(麹坂トンネル側)の線路跡は、こんな感じです。
草が枯れた今の季節なら麹坂トンネルまで、歩けるでしょうか?


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ボックスカルバート?部分。手前は旧道で奥の幅広い方が現県道です。


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バス停「大栗平」。向かって左のバス停裏が鉄道跡です。
ここから行けばボックスカルバート?までは楽々でした。
右は県道32号線ですね。


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ここから、しばらく鉄道跡は遊歩道(右)になっています。
自転車、徒歩なら景色も良く楽しく進む事が出来ます。


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遊歩道の途中、ここが玖老勢駅のあったところです。
画像は北から本長篠駅側(南側)を見ています。
右側の建物あたりが駅舎だったところとの事です(現在、建物は消防団の詰所らしい)。
遊歩道ですが田舎らしくおおらかで民家の前まで車が入り込んだり大根などの作物が
並んでいました(笑)
この先の北側で鉄道跡と県道が、いったん重なります。


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この岩は「三河大石」といい地名にもなっています。
ちょっと信じられませんが、ここから東の棚山(688m)から、転がってきたと伝えられています。
右が旧の伊那街道で左が現在の県道です。
田口線は現在の県道、画像の大石の左側を通っていました。
田口線の工事の際、この大石は削られて昔の半分ぐらい(現在の姿)になってしまったそうです。


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大石から少し北上すると県道から、また分岐します。
鉄道跡は左に下っていきます。
左の田んぼにはサルの群れが遊んでいました。


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分岐の先は鉄道跡が車の道として利用されています。
双瀬トンネルの北側は田口線のトンネルの中でもっとも見事な景観です。


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宮裏トンネルの南側です。


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三河海老駅の南側の立派な築堤。
手前が長篠側、左がすぐ三河海老駅。
築堤の先に画像でも見える大きな建物が建っているので突当りを右に迂回します。
建物の先は広場になっていて昔の車庫跡地です。

ちなみに海老の町は信州と三河(豊橋市)を結ぶ伊那街道の要所でした。
町の中で大きく道が曲がっており「エビ」のようだと言うことで、付いた地名です。
昔は馬宿、旅籠、店が立ち並び、おおいに栄えた街だったらしい。


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三河海老駅のあったところです。
画像は北側(田口側)を見ています。
中央の「トラ柵」の先が鉄道跡です。
ここは大きな空き地になっています。
かつては車庫として、たくさんの電車が並んでいたそうです。
ちなみにバス時刻表をみると平日3本のみ(休日なし)でした。
どうも学生向けのダイヤのようです。
多分、ここから海老の県道まで出ればバスはもっとあると思います。

ここで今回使った自転車について。
私のブログで一番出てくるサイクリング車です。
リッチーのスイスクロスというシクロクロス競技用自転車です。
今回、舗装路重視でロード用車輪(舗装路用軽量タイヤ)に交換しようか悩みましたが
鉄道跡の未舗装区間も多いと考え、結局、オフロード用のタイヤで来ました。
これが、舗装路面の抵抗が大きく速度が上がらず辛かったですね。
反面、未舗装部分は安心して走れたのですが(でも未舗装区間はわずかなので)

さて、田口線廃線跡を本長篠駅から三河海老駅までたどってきました。
ここから終点の田口駅までは、その2に続きます。

みなさんは、自転車をオーバーホールする際、ベアリングを交換しますか?

自転車の世界では、ベアリングはほとんど洗浄、点検だけで交換する人は少ないでしょうね。
選手の中にはホイールチューニングでベアリングを交換する人はいますけどね。

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さて、いきなり汚い画像ですみません。
昨年末、まとめて何台かの中古、大古?フレームがガレージに持込まれました。
BBがついているものは全部バラして使用、または保管しておくことにしました。

画像はBBのリテーナーとベアリングです。
古く汚れきったリテーナーは、そのままだと内側の粘土のようになったグリスがなかなか
除去できません。
そこでリテーナー枠?からベアリングをはずしてしまいます。
この状態でリテーナー枠を古い歯ブラシなどで磨けば比較的、簡単に綺麗になります。

以前はコルサもベアリングは洗浄して再使用していました。
ところがある時、こんなことを知人達にいわれてしまいました。

1 自動車修理業で自転車に目覚めた方
  「えー、自転車ではベアリングって再使用するの?」
  「車やオートバイはベアリングは消耗品で交換するんだけど」

2 ラジコンマニア
  「ラジコン競技ではレース用のベアリングは消耗品ですよ」
  「何度も再使用はしませんよ」

ラジコンはともかく、「車やオートバイより、自転車のベアリングの方が負荷が小さく
磨耗しにくいのでは・・・だから再使用するんだけど」、
としか返答のしようがありませんでした。


ちょうど、その頃、エコラン競技車輌のメンテの仕事を担当する機会がありました。
当時のエコラン車輌はトップチームでも自転車部品を流用しているチームが多くありました。
そのなかで自転車ハブのチューンが多くのチームで行われていました。
↓エコラン競技参考画像
http://www.toyohashi-cci.or.jp/kanko/eco-car/07HPPhoto/index.html

自転車ハブのチューンとしては下記のような事が行われていました。

1 「グリス抜き」といってグリスを完全に抜いてしまう。
  潤滑は走行前にCRC5-56かラスペネ(ワコーケミカルという会社の潤滑剤)を一吹きするだけ。
  ようするにグリスの抵抗すら記録更新の妨げになるという考え。

2 精密球といわれる高精度なベアリングに交換する。
  レース用自転車の部品でもベアリングのレベルが低いという考え。

ちなみに現在のエコラン競技ではトップチームになるとハブの自作は当たり前で
自転車ハブの流用は少なくなっています。
(アルミ削り出しのハブ本体に高精度シールドベアリングを圧入して製作、抵抗になるシールカバーは
除去してします)
トップチームに聞くと自転車のハブとして主流のカップ&コーンの形式は突き詰めていくと
抵抗が大きいらしいのです。
ただ、カップ&コーンはコストとのバランスの面から見れば、そこそこの精度で、
そこそこの性能を出す普通の自転車には好都合の形式らしいのですが。


話がそれてしまいましたが、この頃から頭の固いコルサもベアリングは交換するもの、
というように考えを切り替えました。
(レストアなどの際、古いベアリングを洗浄するのが面倒ということもある 笑)

早速、交換用ベアリングを入手する為、ベアリングメーカーに問いあわせてみました。
(もちろん、シマノなどの純正部品は買えるが、もっと高精度な物を安価で買いたかったので)
すると僅かな量をベアリングメーカーから個人で直接購入することは難しい事がわかりました。

それで、知人を通じベアリングメーカーの方を紹介してもらい相談してみると、
なんとか分けていただけそうです。
(それでも、奥の手?を使ってらしい)
ただし、最低でも「1ロット」単位でないと販売できないとの事でした。

コルサ     「1ロットってベアリングいくつくらいなんですか」
メーカーの人  「フロントハブ用で約5000個 リヤハブ用で約4000個ぐらいですね」
コルサ     「どへー、そんなに使い切れないよ」


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まあ結局、前後ハブ用1ロットずつ購入しましたけどね(笑)。
最初に購入したのが数年前で、昨年、また購入しました。
エコラン用、選手用として、かなり販売したのと、友人知人、自分用として使用していたら結構、
使ってしまいました。


購入したベアリングサイズは3/16、1/4の2種類です。
3/16はシマノのフロントハブ、1/4はシマノのリヤハブにそれぞれ適合します。
ちなみにカンパ レコードのフロントはシマノとサイズが違います。
また、1枚目の画像のBBリテーナーには通常1/4が適合します。
(チタンシャフトのBBは3/16のリティナーなしのバラ球が多い)
コルサは自分用のBBには面倒でもリテーナーの枠は使わず、いわゆるバラ玉で
組み立てる事が多いですね。
このほうが抵抗が少ないような気がします。
このやり方は競輪選手などにも多い方法です。
競輪選手に言わせると「リテーナーの枠とベアリングがこすれて抵抗になる」といいます。

ちなみにグリスはシマノのものを使う事が多いですね。
粘度(抵抗)が強すぎる気がしますが、それだけ油膜が切れにくいということでしょう。

現在はベアリングメーカーから、いただいたグリスをテストしています。
自転車専用として販売されているグリスでない物は案外、水の混入に弱かったり、
夏に乗っているとダラダラとすきまから流れ出てくる物が多いような気がします。
いただいた物は粘度がシマノより、かなり低い感じですが夏の時期にも
流れ出してくることはありませんでした。
これで、水の混入にも強いといいのですが。


下記は、初めてベアリングを1ロット購入した時にベアリングメーカの人に
聞いて作った「ベアリングの、お話」です。
興味がございましたら見てやってください。


球 ボールベアリングチューン

・当店では競技選手の、ご依頼で、ハブベアリングチューンを手がけております。

・ベアリングには、「G-28」というタイプを、ご用意しております。

さらに上の「G-20」という規格のベアリングを用意されている、お店もありますが、精密機械の世界でも、あまり流通しておらず、大変高価に、なってしまいます。

どんなに、高精度の物でも、使えば、精度は、落ちてしまいます。それならば、超高精度で、高価な物を長く使うより、精度はあまり変わらず適当な価格のものを、こまめに交換した方が、お客様にメリットがあると考えました。

・「G-20」と、「G-28」の精度の差はJIS規格で、ワンランク、数値上でも、

真球度で1万分の2ミリ(0,0002mm)以内、

表面粗度で、10万分の1ミリ(0,00001ミリ)以内です。

もちろん、両方とも通常、自転車に使われるベアリングに比較すれば、桁違いに高いレベルのものです。

・今回、メーカーさんの御協力で、非常に安価に、入手することが出来ました。

そのおかげで、デュラエースより、はるかに精度の高いベアリングを、デュラエースの補修部品より、お安く提供することが出来ます。



※ベアリングのみ販売の場合、

デュラエースの純正補修部品は1台分で 430円(送料など含まず)ですが

当店では(G-28)前後セット1台分    円です。



※ベアリング交換+ハブ オーバーホールの場合

[分解洗浄、点検、ベアリング交換、グリスアップ、組立調整]ベアリング代込みで、ハブ前後一式、    円です。(グリスはデュラエースを使用。他種グリス持込み可能)



※適応ハブ

現行シマノならロード、MTB、完組みホイールなど、ほとんど対応です。

また、従来型のBBにも、対応できるサイズが、ございます。



※玉受け研磨について (当店では、下記の理由で行って、おりません)

ハブ ボールレース(玉受け)の研磨については注意が必要です。

なぜならば、ボールレース全体が、一律の硬度を持っているわけではないからです。

通常、ボールベアリングに接する部分の表面から、何ミクロンかが高周波などで焼入れされ、その部分のみが必要な硬度をもっています。その硬い部分を削ってしまうと、当然、寿命が、著しく短くなってしまいます。

その1より続く。


イメージ 1

林道をくだると、すぐに国道473号に出ました。
国道をすこしだけ南下すると画像の「四辻峠」に出ました。
画像は南から北を見ています。


イメージ 2

四辻峠には昭和2年の道標があります。ただし、この道標、元々ここにあったものではないそうです。
ゴルフ場の工事、新道の開通などで昭和50年頃ここに移設されたようです。
石碑を見ると下記の様に彫られています。このあたりでは、なじみのある地名でした。
「右 夏山、樫山、本宿」
「前 大高味、須渕」
「左 木下(キグタシと読むらしい)、宮崎、作手」


イメージ 3

四辻峠、北西側の林の中には文化2年(1805年)の年号のある石仏がありました。
昭和2年頃の工事によって、このあたりの様子も少々変わったようですが、
やはり、ここが旧道であったことは間違いありません。


イメージ 4

四辻峠から西に入り千万町街道に続く旧道らしき所を探しました。
やっと見つけたルートの先は残念ながら廃道状態で
探索を断念しました。画像は入口付近です。

結局、ここで千万町街道本道ほか、旧街道跡を見失ってしまいました。
仕方ないので林道に出た最初の地点まで戻ることにします。
そして最初に切越の民家から上がってきた千万町街道の本道と思われる分岐まで戻ります。
先ほどは東に進んだので、今度は西に進んでみます。


イメージ 5

本道ならば、ほぼ西に進んでいく筈の道でしたが途中から南に下ってしまいます。
けったさんが、かなり先まで探索に行ってくれましたが道は見つからなかったそうです。
しかたなく、南に下る道を進んでいくと途中の斜面に猪除け?の
「猪垣」らしき物がありました。
ただ、以前、見た物より作りは悪く(崩れたのか)、これでは猪も越えてしまいそうです。
そこを更に下っていくと、結局、最初の切越集落に出てしまいました。


イメージ 6

時間もなくなってきましたので千万町街道の本道の探索、今日は終了です。

切越集落から西側に無名峠を越えることにしました。
画像は無名峠の西側の様子です。
大きな岩が露出していますが、それほど路面は荒れておらず順調に越えられました。
途中の山の中には、かつて石を切り出したと思われるところもありました。


イメージ 7

峠道を下ると「古部」(こぶ)の集落です。
峠道を出たところの石仏、石碑群です。
ここ以外にも古い集落(旧道)らしく石仏などが、道端の各所に見られます。

古部集落も山深い里で現在は二十数軒ぐらいのようです。
ただ、幸い道もしっかりしているようで新しい、立派な家も見受けられます。


イメージ 8

これは、「古部の大椋」と呼ばれる大木です。


イメージ 9

古部の集落の南側に謎の石像がありました。
これは何なんでしょうか?
比較的新しい物のようですね。

ここから山間部を下り県道37号線等を経て帰途につきます。


イメージ 10

帰途の途中、道をそれて、けったさんの気になっていたルートの下見に行きます。

岡崎市上衣文町(かみそぶみ)、(衣文観音の参道のひとつか?)から南下し鉢坂街道の
北端?に出る旧道だそうです。
シングルトラックに近い細道を抜けると出来たばかりの綺麗な道がありました。
画像のように下見だけでなく結局、峠を越えてしまいました。
サイクリストとしては残念ながら旧道とおぼしきところは、治水工事の為か綺麗になっていました。


イメージ 11

これが峠付近の治水工事?の現場です。正月休み?で(幸い)工事は休みのようです。
自己責任で突破します(笑)。
ここを下れば本宿に出る事ができます。


イメージ 12

本宿から国道1号線(東海道)でけったさん宅を目指しますが、
またまた途中から旧道の下見に行きます。

岡崎市舞木町、山中八幡宮の西側で、結果的に、ここも越えちゃいます(笑)
ここは鎌倉街道の一部と言われています。


イメージ 13

ここは、ごく低い小さな峠のようなところです。峠手前で振り返ると
岡崎市舞木町山中地区?が見えます。

画像中央の低いところが(わずかに山が切れているところ)
旧東海道及び現在の国道一号線が通っているところです。
以前越えてレポートした鎌倉街道 天神越は画像の向かって右側、樹木と重なる
あたりになるでしょうか。


イメージ 14

鎌倉街道の道の様子です。
雰囲気はありますが夕方で薄暗くなりカメラもピンボケ気味です。


今日は地元でも非常に雰囲気があり走って楽しい旧道がたくさんありました。
これからも、こういった旧道を尋ねて行きたいですね。

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