コルサの毎日がヒルクライム

1月5日は、けったさんと愛知県岡崎市東部に行ってきました。
岡崎市の中心街から10キロほど東に、いったあたりでしたが本当に山深いところでした。
今回もコースプランは、けったさんが考えてくれましたので
コルサは、ついていくだけで楽しています(笑)

目的地は岡崎市中心部から東方向、
岡崎市切越町(きりこし)、古部町(こぶ)、遙生町(よもぎゅう)を
中心とした地域になります(上記以外に一部、額田郡地区もあり)。

今回尋ねた道は、作手方面から山の中を岡崎方面に至る道(行き来した)、
千万町街道(ぜまんじょ)本道と、途中にある集落を結んだ枝道です。

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まずは国道473号線を走り額田郡額田町夏山(寺野)から山中に入ります。
入口には薬師堂があり「寺野の大楠」と呼ばれる巨木があります。
この大楠は愛知県指定天然記念物で
「根回り 27m」「樹高 36m」「推定樹齢1千年」ほどだそうです。

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薬師堂の脇から登っていき、山道に入るのですが、ここはミスコースでした(笑)
少し山に入るのが早かったようです。

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幸い、そのまま進んで、本来の道に出る事ができました。
ここが切越峠でしょうか。

偶然、地元の老人がこの道を歩いているのに出会いました。
今でも、こういった道が集落を行き来するのに使われているのですね。

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切越集落、一番奥にある民家です。
畑に出ていた、この民家の、おばあさんに話を聞く事ができました。
それによると
おばあさんの、ご主人は、切越集落の総代を30年ほど勤められたそうです。
おばあさんが、ここに嫁入りした時(多分50年ほど前)、切越には12軒ほどの家があり、
当時は一軒平均、7反(約2100坪)ほどの農地を耕作していたそうです。
しかし農業、林業だけでは生活が苦しくなり、街に出て行く家がほとんどで
現在住んでいるのは、こちらの一軒になってしまったそうです。

この民家の庭先を左奥に進むと岡崎市指定文化財の「切越八面塔」という史跡があります。
時々、歴史研究、郷土史家の方が調査に訪ねてくるそうです。
「切越八面塔」を訪ねたあと、右側の石垣の間から旧道を訪ねます。

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切越八面塔の説明です。

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切越八面塔です。
前述の、おばあさんに聞いたところによると
年に一度、旧暦の8月、村を出て行った人たちも戻り夜祭(よまつり)が今でも行われるそうです。

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切越八面塔の基台部分には「祠」のような物の他に「人型」のような物が見られる塔もあります。
非常に、興味深い史跡ですが詳細がわかりません。
今後の、調査、研究が期待されます。

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民家から登っていく山道のかたわらに「荒神」の石碑がありました。
これはどういったものでしょうか?
時代などは一切読み取れませんでした。

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道の横には石垣があり、田畑の跡が残っています。
しかし、このような山奥で先ほどの、おばあさんが
言うように一軒、七反平均の田畑があったのでしょうか?


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登りつめると、こんな道が、ほぼ東西に続いていました。
ここが作手地区と岡崎を結ぶ、千万町街道の本道だと思われるのですが。

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千万町街道の本道だと思われる尾根道を東に向かって進みます。
途中、尾根の低いところ、何ヶ所かには明らかに人為的な盛土がされており
通行しやすくなっています。
やはり、千万町街道の本道のように思えます。

途中、地元の猟師の方に合いました。
話を聞くと
今日は少し時間があったので一人で来てみたが獲物はなかった。
今の時期、猪は山の食料(どんぐりなど?)を食べていて山奥にいるが、これから、
山の食料が減ってくると里に下りてきて畑などを荒らすようになるとの事でした。
彼は普段は作手(ここから東の地区)のグループで猟を行っていて、
一シーズン、グループで30頭(猪、鹿)ぐらいの獲物があるそうです。

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けったさんが、急な登りの道を力強く登って行きます。
この辺は杉、ヒノキなどの植林ではなく、広葉樹の多い自然林で落葉が一杯です。

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林道に出ました。
林道の両方向に偵察に行き、道の両側を丹念に探しますが旧道らしい道は見つかりません。
一旦、昼食にして、休憩しながら今後の行動を考えます。

休憩後、林道を東に下って現在地を確認することにします。

※その2、に続きます。

その1からの続きです。
今回のレポートは豊橋自然歩道を多米峠から南下します。

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前回(12月30日)は、多米峠からトンネル西側に下山しましたが今回は、
ここから稜線の豊橋自然歩道を南下します。
しばらく稜線を行くと「雨宿り岩」という巨岩があります。
いかにも信仰の対象となりそうな岩ですが特に、祠とかは見られません。
岩の上に登ると豊橋側、浜松側とも展望が素晴らしいところです。

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「雨宿り岩」から見た豊橋側(西)です。
豊橋市街が一望できます。右側が豊橋の中心部(JR豊橋駅周辺)になります。
画像では判りにくいのですが三河湾越しに知多半島方面まで望む事ができます。

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「雨宿り岩」から見た浜松側(東)です。
手前は浜名湖、右側が浜松市街地になります。
浜名湖沿い中央やや右側の白い建物群は舘山寺温泉です。
中央やや左には東名高速道路の浜名湖にかかる橋も見えています。
今日は富士山は見えていませんねー。

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「雨宿り岩」から見た南側です。
左すみが神石山。山の間から見えているのは遠州灘(太平洋)になります。
また、現在地から神石山まで一旦下って登ることになります(やれやれ 笑)。
すでに山に入って3時間以上が経過しており、疲れもありますが夕方の約束も
心配になってきました(笑)

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「雨宿り岩」と「神石山」の間で、ハイカーとすれ違う為、一旦止まると、偶然
こんな標識を見つけました。
「太田峠跡」とあります。
調べてみるが標識に「跡」とあるように、すでに廃道になって久しいようで両側とも
道筋はほとんど見られません。
ここからは神石峠まで登りが続きます。

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神石山324mに到着。
ここには、かつて航空灯台があったそうです(航空灯台の詳細は不明)
ここも、ハイカーの休憩ポイントで浜松方面の展望が開けています。
浜名湖南部が良く見えますね。水平線は太平洋です。
浜名大橋(旧浜名バイパス)国道1号線も良く見えます。


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さあ、時間もないので(笑)先をいそぎます。
また、稜線に大岩がありました。ここの分岐を右に下ると普門寺峠方面とのこと。


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少し、下ると標識があり無名峠を経て、普門寺峠ではないが車を置いてきた岩崎町に
下れるとあります。
(画像右側が神石山から下ってきた道。今日は左側に下ります)
ここで当初の予定はあきらめて岩崎に下る道を選びます。
今日中に普門寺に行くことは可能ですが、普門寺周辺には調べたいところが
たくさんあるので改めて訪れることにしました。

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この道は神石山自然歩道とのこと、入口は道跡もしっかりしていましたが・・・
下っていくと、ほとんど通る人もないらしく、だんだん道跡が怪しくなってきます。
ちょっとあせってきます。
松林の、こんなところを下っていきます。

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下りきると「日吉神社」にでました。
境内には「上代墳墓遺跡」の碑もあったが詳細は判りません。
また調べねば。

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↑画像A

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↑画像B

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↑画像C

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↑画像D



岩崎町の中央部から見た今日のコース。

画像Aの左側が、今日、最初に越えた乗小路峠です。
右すみの樹木がないところが「その1」で豊川方面、豊橋市多米東町を見たところです。

画像A、B、C、Dの稜線をずっと歩いたり、乗ったりしてきました。

画像Dの右側、電柱のあたりから下山したと思われます。

※今回のサイクリングは、これで終わります。
 この続き普門寺周辺も、今後、探索の予定です。

今日は夕方から用事があります。ということは昼間はあいている?
それなら、ちょっとサイクリングに行ってもいい?ということで早速、出発(笑)

コースは年末30日の続きを走ることにしました。
(年末30日のレポート→http://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/11686979.html )
豊橋市東部の多米町に車を置いて出発。


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まずは赤岩山赤岩寺(あかいわさん せきがんじ)を訪ねます。
ここも、行基が開山(726年)したと伝えられ、鎌倉時代には源頼朝が庇護したという、お寺です。
国指定重文の木造愛染明王坐像が有名ですが、今回は、お会いできず。
画像は「桜門造り」という形式らしい、堂々とした構えの仁王門。
立派な仁王様も安置されているのですが現地に説明はなく書籍にも見当たらず詳細は不明。


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赤岩寺の本堂です。
赤岩寺には面白い話があります。
もともと山号は赤岩山(あかいわさん)で寺号は方(法)言寺(ほうげんじ)だったそうです。
ところが江戸時代、寺社奉行が誤って赤岩山、方(法)言寺とするところを「赤岩山赤岩寺」と記録し、
その台帳が明治政府を経て近年まで引き継がれ名前が変わったということです。


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かつて赤岩寺の前を鎌倉街道が通っていたとのこと。
そして、お寺のすぐ西側の尾根に鎌倉街道の峠があったといいます。
源頼朝も1190年、上洛の折、このあたりを通ったことになります。
そこで、この画像の住宅地を抜けて山麓まで行ってみると、赤岩自然歩道の入口を発見。


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早速、赤岩自然歩道に入ってみると、こんな道がありました。
いかにも、古道の趣があります。
鎌倉街道を自然歩道にしているのではないかと思われます。


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標高差はわずかなので、すぐに峠に到着。静かな良い峠です。
残念ながら峠名の看板、鎌倉街道を表すものは何もありません。


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念の為、登ってきた南側斜面から反対側の北側に下ってみます。
思っていたとおりの場所に出る事ができたので鎌倉街道に間違いなさそうですが確証がない為、
いまいち、すっきりしません。
と、折り返すとなんと、こんな看板があるではありませんか。
やはり、鎌倉街道、「乗小路峠」で間違いがなかった、良かった、良かった(笑)
ちなみに工事は土砂流出を防止する為の工事で、鎌倉街道を新道にする工事ではないので、
ご安心ください(笑)
(すぐ西側に環状線道路の建設工事が進んでいます)


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さて、峠にまた戻り、今度は稜線を東に向かいます。
岩場も多いが、だいたいは、こんな、感じの道が続きます。
ただ、登り基調で乗車率は低いコースです。


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途中、両側が開けたところがあり(鉄塔工事の為に?)、稜線から南北両側の展望があり、
こんな景色が楽しめます。
これは稜線から北側の豊川市街側(左側の方)を望んだところ。右端の山は本宮山です。
30日に訪ねた姫街道は、この画像の中央あたり左右を(右から中央まで、のびる山の向こう側)
横切っていることになります。
(右が東側、静岡県方面 左側が東海道 御油宿、名古屋方面となる)
姫街道の北側には東名高速も(左右に)横切っています。


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これは稜線から南側を望んだところ。豊橋市岩崎町、多米東町あたりです。
今から行くのは、この画像の右すみ側、電線と重なっている峠部分の予定。
画像の向かって左側から、ぐるっと稜線伝いに行くことになる。
地形図で確認してきたとはいえ、まのあたりにし、ここまで登ってきた疲れと、
これからの距離とアップダウンに、心配になってくる(笑)。


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ここは、本日の最大の難所だったところです。
画像では、まったく高低差など感じられませんが、正直、自転車を分解、数回に分けて登ろうかと
思ったほどのところでした。


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山に入って2時間後、やっと30日に通った豊橋自然歩道本線に合流しました。
ここからは30日のレポートでご紹介したとおり、また難所が続きます。
本来は、ここを避けたかったのですが前述の赤岩自然歩道ルートを通りたかったのと、
多米峠から南の稜線を一度に踏破したかったので、このルートになったのです。


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無事?多米峠に到着。
峠からは豊橋側の展望はありませんが浜松方面の景色を見る事ができます。
中央のビルは浜松の中心部、アクトタワー、手前は浜名湖です。
景色を眺めながら少し休憩。

2日のサイクリングレポート、まずは、ここまで。
後日、その2に続きます。

あけましておめでとうございます。

今年も、よろしくお願いいたします。

さて、早速ですが新年早々、走ってきました(笑)
まあ、「初日の出ラン」は毎年、恒例なんですけどね(30年以上になりますか)。

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まずは、へたな画像ですが一応、今年の「初日の出」です。
今年は水平線(太平洋)に雲が掛かっていて、雲の中からの初日の出となりました。
手前に見えるのは浜名湖です。

場所は愛知県と静岡県の県境、多米峠です。
「えっ、と思った方は地元の人か30日のブログを読んでいただいた方ですね」
そう、おとついの30日に訪ねた多米峠のトンネル出口です(静岡県側)。
ここは、以前は初日の出の名所として、大変な賑わいだったところです。
峠道全体が渋滞して車の中で初日の出を見逃す人もいたくらいでした。
ところが、樹木が茂ってきて初日の出が見にくくなった為か、
峠の駐車場が車乗り入れ禁止になった為か、最近は少しさびしくなりました。
自転車乗も以前は20人を越えることもあったほどですが、メンバーの高齢化?(笑)のせいか、
今年はわずか2人と、さみしい。

もうひとつ、さみしかったのは例年(もう15年以上か)習慣だった初日の出サイクリングのあと、
N氏宅の庭に集まっての「トン汁」パーティーが諸事情で中止になってしまったことです。
まあ、この企画が中止になったことも参加者の少ない原因でしょう。
正月のトン汁パーティーとは、住宅地のN氏宅の庭で火をたいてトン汁を作って騒ぐという正月早々、
近所迷惑なイベントでした。
来年はみんな集まって、またトン汁パーティーを復活させましょう。
(正月、早々、来年の正月の計画を練るコルサでした 笑)


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初日の出を拝んだ後は、例年通りのコースを走ることにしました。
峠から静岡県側に下ります。早朝のダウンヒルは、超寒いっ(笑)
下りきって、初日の出を拝んだ多米峠を振り返ります。


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例年のコースを少し変更して東海道 二川宿を通る事にしました。
なんとなく旧街道の雰囲気はありますが、
お正月の早朝の為、誰もいませんね。


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ここが二川宿の本陣です。さすがに立派です。
実は、地元ながら初めて来ました(笑)
いつも気になっていたのですが新東海道やバイパス道路(新所街道)に挟まれているので、
普段は、ここを通る事がありません。
本陣には資料館も隣接していますが、
さすがに今日は開いていないので、後日、再訪の予定です。


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二川宿に、こんなところがありました。
手前の石碑には「高札場跡」大きな石碑はちょっと読みにくいのですが「二川町道路元標」と
書いてあるようです。
常夜灯の文字は見落としました。


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東海道、二川宿を西に向かって出発すると、すぐ現れるのが東海道の難所の
ひとつと言われる「火打坂」です。
まあ、難所といっても、ちょっとした坂なんですけどね。
この坂が難所だったら東海道は難所だらけになってしまうと思います。
ここも、いわゆる片峠になっています?(峠にカウントしてもいいのかな?)


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この画像は約2時間走ってきた朝9時頃のながめです。
多米峠の西側から豊橋市街を眺めています。
遠くに見えるのは三河湾です。豊橋市の中心部は画面右側になります。
中央やや左に見える高い建物は「ホテル日航 豊橋」です。
その奥に見える多数の風車は田原市(旧渥美郡)のトヨタ自動車田原工場です。

自分は車を多米峠の下に置いたのですが、K君は峠の頂上に車を置いています。
それで、トレーニングがてら峠まで付き合うことにしました。
コルサは夜明け前にも登っているので多米峠、今日2回目になります(笑)
正月早々、ヒルクライム三昧です。「さすが毎日がヒルクライム」でしょう(笑)


それでは、改めまして
「今年もよろしくお願いいたします」

もう12月30日です。年末ですが家にいても、たいした事もしませんし(笑)
知人を訪ねれば迷惑でしょうから、サイクリングに行くことにしました。

まずは豊橋市東部の多米町に車を置き、そこから北上、別所街道に入り「和田辻」交差点より
本坂街道(姫街道)を訪ねます。
・「別所街道」は愛知県豊橋市方面から信州に抜ける旧街道です。
・「本坂街道」(本坂通)(姫街道)は東海道の脇往還で、東海道見付宿(静岡県磐田市)から
浜名湖北部を、とおり本坂峠を越え嵩山宿(すせしゅく)を経て東海道御油宿(愛知県豊川市)
に抜けています。

姫街道の、いわれは東海道、浜名湖今切(難所)の渡船と新居の関所を、さけるため「お姫様」が
好んで通った道というのが通説です。
しかし最近では「ひなびた街道」という意味の「ひね街道」が、なまったという説が有力で、
東海道より歴史が古いといわれています。

資料によれば1708年の一年間で大名などの本坂峠越えは300回以上!?あったそうです。
(千人以上の行列が16回、百人の行列50回)
ちなみに1707年からの7年間で、お姫様は一人しか通っていないそうです。

面白い話としては、
1718年には八代将軍吉宗の実母、浄円院が一万人!の行列を連ねて通ったという記録もあります。
また、1729年には安南国(ベトナム)から将軍に献上された象も、ここを越えたそうです。
(ここより東、引佐峠の手前に、急な坂道に象が鳴いたという象啼坂という所もあります)

ちょっと話が長くなりました。


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別所街道を北上、「和田辻」交差点を右(東)に折れ「本坂街道」に入ります。
本坂街道に入るとすぐに一里塚がありました。
最近作られた物のようで築山(昔は道の両側に一里塚の目印に築山があったという)もありません。
ここからだと江戸より京のほうが、かなり近いようです(笑)


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稜線の低いところがこれから向かう本坂街道、本坂峠でしょう。
右は現国道(有料トンネル)で左が旧道、嵩山宿(すせしゅく)になります。
旧道側に入ると更に先で大正時代に整備された道と、旧街道の本坂街道と別れます。
嵩山宿には幕末頃、旅籠11軒と本陣があったそうです。
現在は宿場を感じさせるものはあまりなくわずかに石垣、門、蔵がある家などが往時をしのばせます。
今日は12月30日ということもあり昔懐かしい石臼と杵で餅つきを準備している家が数件見られました。
もう少し遅い時間に通れば、つきたてを、ご馳走になれたかもしれません(笑)

のんきな事を言っていますが、実際は天候が悪くのんびりとはしていられません。
雨が降り出して路面が濡れ始めているのがお判りになりますでしょうか。

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本坂峠に向かい山道に入りました。
画像の右側奥に築山(前述のとおり一里塚の目印)があり、ここが嵩山の一里塚です。
ここから東海道 御油宿まで四里だそうです。
それにしても、この山道を大名行列が越えたのでしょうか。
籠を、かつぐ家来はもちろんですが籠に乗る大名も大変そうです。

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旧道の途中から大正時代に作られた道に出て旧トンネルに着きました。
トンネル手前から本坂街道に再度、入ります。


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旧道に入るとこんなところもあります。
その昔、弘法大師が、この地を訪れた時、この清水を飲んだそうです。
残念ながら最近は水がかれています。


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本坂峠(標高328m)につきました。右が静岡県側、左側が豊橋側になります。
10年ほど前に、ここ姫街道を訪れた時は若いハイカーの「お姫様」達に、
たくさん出会ったのですが・・・
今日は、さびしいかぎりで誰もいません。
まあ、あまりたくさんの人がいる時に、自転車で行くのも気が引けるので良しとしましょう(笑)

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ここ本坂峠から湖西連峰を稜線伝いに南下します(豊橋自然歩道)。
こんな気持ちが良く、乗車していけるところもあります。

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富士見岩につきました。ここは休日にはハイカーの休憩場所(景色の良い食事ポイント)として
賑わうところですが年末で天候が悪いこともあってか誰もいません。

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岩の上から浜名湖南部を望みます。遠くに見えるの遠州灘(太平洋)です。
左上部に見えるのは浜名大橋?でしたっけ?旧浜名バイパス(現、国道1号線)です。
天気が良ければ、ここから富士山も見えるそうですが、今日はあいにくの天気です。
雨は幸い、やみましたが時々、みぞれが降って寒くて仕方ありません(その上、強風)。
あまりの寒さに岩の上で、たったまま(足踏みしながら)パンを食べて、早々に出発します。


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凄い傾斜で乗っていけないところもありますが、おおむね、こんな感じのところで
乗車出来るところも結構あります。
ただ落葉の下に鋭利な岩が隠れているので気をつけないとバーストの可能性があります。

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山道を行くと、突然こんな所に出ます。国指定史跡、大知波峠廃寺跡です。
ここは静岡県湖西市側になるようで、湖西市教育委員会が発掘調査、整備しています。
石垣などが綺麗に保存されていて気持ちの良いところです。
この山寺は文献などに記録がないそうで謎とされていましたが近年、発掘調査の結果、
いろいろ判って来たようです。
それによると時代的には10世紀中頃(平安時代中頃)から建設され11世紀末には
廃絶したといわれています。

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寺は山を背にしていて南向きなので風がさえぎられ、温かく感じます。
でも大知波峠の写真を撮っているうちに体が冷えて寒くなってきました。
ここから西に下れば石巻山の林道で簡単に下れます。
しかし、出会ったハイカーと話をしているうちに、やはり当初の予定通りもう少し
自然歩道を行くことにします。
ただ、ハイカーが言っていた「けっこう、担ぎがありそうですよ」の言葉を少し甘く見ていたようです・・・・

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本坂峠から大知波峠までの道より大知波峠の南側の道は、かなり険しかったのです。
画像では傾斜が判りにくいのですが、ここは自転車無し、の歩きでも怖いくらいの斜面です。

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稜線を南下、多米峠(標高266m)に付きました。
ここは直下にトンネルがありますが旧道はほとんど知られていません。
画像の右側が静岡県湖西市側、左側が愛知県豊橋側になります。
判りにくいのですが中央右奥から稜線を伝ってきました。

多米峠のトンネルは豊橋のサイクリストで越えた事がなければもぐりといわれる?ほどメジャーな峠です。
(峠自体はたいした所ではないが、ここを越えると浜名湖などサイクリング、トレーニングに最適なところ)

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予定では多米峠から更に稜線を南下するつもりでしたが楽しみは先に残しておくことにしました。
旧多米峠からトンネルのある県道に下ることにします。
峠から県道まで700mとのことですが、自転車にはきつい路面でもっと長く感じました。
そのなかで、ここは比較的、路面の良いところです(ここを下ってきた)。

まもなく県道に出て無事、今年、最後のサイクリングを終えました。

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