伊那街道 その1 かしやげ峠
記事が前後しましたが11月2日に伊那街道を訪ねました。
(信州街道、三州街道とも呼ばれる)
伊那街道は現在の愛知県豊橋市(三河地方)あたりから最終的には信州伊那谷(長野県)につながる街道です。
今回、訪ねたのは豊橋方面から新城地区を通り山間部に入って最初の難所だったところです。
その1では江戸時代まで良く使われた「かしやげ峠」周辺の様子。
その2では江戸時代以降の伊那街道の「アンザの坂」の様子。
(アンザの坂は与良木峠の北、清崎から田口への片峠になります)
その3では江戸時代以降「かしやげ峠」に、かわって使われるようになった「与良木峠」周辺を、ご報告いたします。。
行程の都合上、かしやげ峠は南から北へ。
アンザの坂と与良木峠は田口地区より南下しています。
かしやげ峠は江戸時代前期まで良く使われた峠で戦国時代の伊那街道とも言われます(地元では、「かしゃげ」とも呼ぶ)。
1573年、現在の新城市野田城を攻めていた際、病気になった武田信玄が甲斐に戻る際、越えたといわれています(鉄砲で撃たれたとの説も有り)。峠の北にある田口、福田寺には信玄の墓もありますし、更に北の津具地区には信玄塚などもあります。
海老の集落(かつて馬、荷車の中継地だった交通の要衝)を出発して、しばらくすると県道沿いに馬頭観音などが、たくさんあります。
ただ、元々、ここにあったものだけでなく、近隣の道路工事の際に
ここに移設された物も多いのではないかと思われます。
海老の集落から四谷地区に登り、すっかり、刈り入れの終わった棚田を眺めます。
向かって右側の鞍部が海老街道の仏坂峠方面になります。
(海老街道は、その先で別所街道に合流し信州に続く旧街道)
本日の目的地、かしやげ峠は向かって左側になります。
仏坂峠に通じる車道から旧道(車輌行止り)に入ると、祠?石仏などが目に付きます。
ここでは明和、元禄(ともに江戸時代)などの年号が確認できました。
なかには、こんなデザインの物も。
長い歴史を持つ旧道らしく、あちこちに石仏が見られます。
車道が行止りになり山道に入ると、すぐに東海自然歩道に合流します。
東海自然歩道は、おおむね、こういった感じの道が続きます。
ただし、この部分は旧伊那街道ではないと思われます。
(ただし、仏坂峠からの道が古くから有った可能性はあり)
本来の伊那街道は民家の入口から、すぐ脇を登るので通行は遠慮しました。
民家の脇を急登する旧道の上に出ると、こんな景色が見られます。
今回は前述の通り民家側は遠慮し東海自然歩道側から、回り込んでみました。
秋らしい、柿の枝越しに棚田を眺められます。
(このあたりの柿は品種改良された木ではないようで小粒のものが多数なっています)
東海自然歩道が旧伊那街道と合流した旧道の様子。
長く使われた旧道らしく深い掘割になっており石段、石垣など整備されています。
かしやげ峠に着きました。南から北側を眺めます。
東海自然歩道は、ここから右に折れて鞍掛山方面にいきます。
(以前MTB で行きましたが辛かった。乗車率5%以下?)
左には清崎の集落に下りると聞く旧道がありますが、まだ訪ねたことはありません。
峠右手に、いくつかの石碑、馬頭観音などがあります。
ここは「戦国時代の伊那街道」ともいわれますが石碑などには江戸時代の天保等の年号が
読み取れますから江戸時代に入っても使われていた事がわかります。
峠から北に抜ける旧街道は、おおむねこういった感じのルートでMTBでテクニックのある人なら
8割ぐらいは乗車していけるでしょう。
自分は、テクニックがないしクロカン車だったので、無理せず乗ったり降りたりして行きます。
(結構、左の斜面が急なところがあり、万一、落ちるとやばそうで)
今回は旧道から、はずれ前回と違う道で下ってみようと思います。
峠から少し下った別れ道を西に向かいます。たぶん、ここも清崎に向かうはずだと思いますが。
初めは、こんな感じで、いい雰囲気?の道が続きます(今になってみると、すでに踏み跡も薄れ怪しいが)。
ところが、しばらく、急斜面を降りていくと谷底に出て完全に道がなくなってしまいました。
自転車を置いて、あちこち偵察に出ますが、まったく道の痕跡はありません。
しかたなく、もと来た道を引き返すことに。
ただ、かなり下ってきた事を考えると気分がしずみます。
ところが!!下ってきた道すら、良く判りません、正直、かなり、あせリを感じて
汗が冷えたわけでもないのに悪寒が走ります。
山林を道を探して迷っていると思わぬ光景が。
まったく予期していなかったガードレールが斜面の、かなり上に見え隠れしています。
そこまでも道はありませんし、かなり荒れていますが何とか登れそうです。
やっとの思いで荒れていますが舗装された林道に出る事が出来ました。
正直、「無事生還」といった感じでした(大げさ過ぎる?)。
この道は、峠の北側へ下る旧道を行けるところまで行って、旧道を見失うところから下ってくる道で
一度走ったことのある林道でした。山の中で方位を完全に失っていたようです。
このあと清崎から旧街道に、ところどころ、かぶっている林道を探しながら塩津地区に抜けるつもりでしたが残念ながら道路崩壊で通行止めとの事で断念しました。
しかたなく新鮮味のない(車で良く通るので)国道257号線に迂回して田口の町を目指します。
※その2、その3に続きます。
(信州街道、三州街道とも呼ばれる)
今回、訪ねたのは豊橋方面から新城地区を通り山間部に入って最初の難所だったところです。
その2では江戸時代以降の伊那街道の「アンザの坂」の様子。
(アンザの坂は与良木峠の北、清崎から田口への片峠になります)
その3では江戸時代以降「かしやげ峠」に、かわって使われるようになった「与良木峠」周辺を、ご報告いたします。。
アンザの坂と与良木峠は田口地区より南下しています。
1573年、現在の新城市野田城を攻めていた際、病気になった武田信玄が甲斐に戻る際、越えたといわれています(鉄砲で撃たれたとの説も有り)。峠の北にある田口、福田寺には信玄の墓もありますし、更に北の津具地区には信玄塚などもあります。
海老の集落(かつて馬、荷車の中継地だった交通の要衝)を出発して、しばらくすると県道沿いに馬頭観音などが、たくさんあります。
ただ、元々、ここにあったものだけでなく、近隣の道路工事の際に
ここに移設された物も多いのではないかと思われます。
海老の集落から四谷地区に登り、すっかり、刈り入れの終わった棚田を眺めます。
向かって右側の鞍部が海老街道の仏坂峠方面になります。
(海老街道は、その先で別所街道に合流し信州に続く旧街道)
本日の目的地、かしやげ峠は向かって左側になります。
仏坂峠に通じる車道から旧道(車輌行止り)に入ると、祠?石仏などが目に付きます。
ここでは明和、元禄(ともに江戸時代)などの年号が確認できました。
なかには、こんなデザインの物も。
長い歴史を持つ旧道らしく、あちこちに石仏が見られます。
後の画像の脇道も気になります・・・
車道が行止りになり山道に入ると、すぐに東海自然歩道に合流します。
東海自然歩道は、おおむね、こういった感じの道が続きます。
ただし、この部分は旧伊那街道ではないと思われます。
(ただし、仏坂峠からの道が古くから有った可能性はあり)
本来の伊那街道は民家の入口から、すぐ脇を登るので通行は遠慮しました。
民家の脇を急登する旧道の上に出ると、こんな景色が見られます。
今回は前述の通り民家側は遠慮し東海自然歩道側から、回り込んでみました。
秋らしい、柿の枝越しに棚田を眺められます。
(このあたりの柿は品種改良された木ではないようで小粒のものが多数なっています)
東海自然歩道が旧伊那街道と合流した旧道の様子。
長く使われた旧道らしく深い掘割になっており石段、石垣など整備されています。
かしやげ峠に着きました。南から北側を眺めます。
東海自然歩道は、ここから右に折れて鞍掛山方面にいきます。
(以前MTB で行きましたが辛かった。乗車率5%以下?)
左には清崎の集落に下りると聞く旧道がありますが、まだ訪ねたことはありません。
峠右手に、いくつかの石碑、馬頭観音などがあります。
ここは「戦国時代の伊那街道」ともいわれますが石碑などには江戸時代の天保等の年号が
読み取れますから江戸時代に入っても使われていた事がわかります。
峠から北に抜ける旧街道は、おおむねこういった感じのルートでMTBでテクニックのある人なら
8割ぐらいは乗車していけるでしょう。
自分は、テクニックがないしクロカン車だったので、無理せず乗ったり降りたりして行きます。
(結構、左の斜面が急なところがあり、万一、落ちるとやばそうで)
今回は旧道から、はずれ前回と違う道で下ってみようと思います。
峠から少し下った別れ道を西に向かいます。たぶん、ここも清崎に向かうはずだと思いますが。
初めは、こんな感じで、いい雰囲気?の道が続きます(今になってみると、すでに踏み跡も薄れ怪しいが)。
ところが、しばらく、急斜面を降りていくと谷底に出て完全に道がなくなってしまいました。
自転車を置いて、あちこち偵察に出ますが、まったく道の痕跡はありません。
しかたなく、もと来た道を引き返すことに。
ただ、かなり下ってきた事を考えると気分がしずみます。
汗が冷えたわけでもないのに悪寒が走ります。
山林を道を探して迷っていると思わぬ光景が。
まったく予期していなかったガードレールが斜面の、かなり上に見え隠れしています。
そこまでも道はありませんし、かなり荒れていますが何とか登れそうです。
やっとの思いで荒れていますが舗装された林道に出る事が出来ました。
正直、「無事生還」といった感じでした(大げさ過ぎる?)。
この道は、峠の北側へ下る旧道を行けるところまで行って、旧道を見失うところから下ってくる道で
一度走ったことのある林道でした。山の中で方位を完全に失っていたようです。
しかたなく新鮮味のない(車で良く通るので)国道257号線に迂回して田口の町を目指します。
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