
ここにサンツアー シュパーブのカタログがあります。

広げてみるとこうなっていて、2ヶ所で折り目が付けられています。
向かって左側部分が裏表紙、中央が表紙になり右側に中折される部分(半ページ分)があります。
一枚の紙の裏表に印刷されたもので、裏表紙に当たる部分に小さく「1975」の
文字がありますから、当然、その年に印刷された物でしょう。

では裏返して紹介されている製品を確認してみましょう。
このカタログに載っている製品はこれで全てです。
「あれ、表紙にはシュパーブとあったはずなのに」
この後の拡大画像2枚で、よく確認してみましょう。


サイクロン変速機、ウイナーフリー、ピスト用固定ギヤ、フレーム材料などしか
載っていません。
「シュパーブ部品はどこに載っているの?」でも前述のとおり紹介されている
部品はこれで全てです。

別の資料を見てみましょう。
これは、79年のショップ用厚口カタログの1ページです。
このページには初代シュパーブのロード部品が一式載っています。
(ブレーキレバー、FDなどは最初期の物から既に変更になっています)
そこで、改めて、いろいろ確認してみると・・・・・なんと!?
1枚目の画像のカタログ表紙は「SUPERB」
このカタログ写真を見ると「SUPERBE」になっています。
あれれ、アルファベットのつづりが違います。そう、末尾に「E」が増えています(笑)

もう一度、カタログを良く見てみましょう。
中折部分の文章を読んでみてください。
1枚目の画像のカタログ表紙は「SUPERB」
このカタログ写真を見ると「SUPERBE」になっています。
あれれ、アルファベットのつづりが違います。そう、末尾に「E」が増えています(笑)

もう一度、カタログを良く見てみましょう。
中折部分の文章を読んでみてください。
1973年にシマノはデユラエース コンポーネントを発表し、またカンパはそれ以前からコンポーネントとしての部品を販売しています。
カンパ、デュラエースのコンポーネントに対応しなければならなくなったサンツアーは当然、新しいコンポーネントを開発し、シリーズ名を検討することになったはずです。
その時、上記のカタログの表紙に使った「SUPERB」の言葉が思いだされたのでしょう。
そう、「SUPERBとは華麗で気品高く他の追随を許さない物だけに許される・・・」という新しい、高級コンポーネントにふさわしい名前です。
ただ、そのまま「SUPERB」の文字を使うことに何らかの抵抗があり末尾に「E」を加えて「SUPERBE」としたのでしょう。
(このあたりの経緯について当時の雑誌かカタログにも紹介されていそうですが(いたような)、探してみても今のところ見つかりません)
「SUPERBE」シュパーブ コンポーネントは1976年のケルンショーで初披露され、雑誌「サイクルスポーツ」に、しっかり紹介されたのは1977年2月号です。
そのページを見るとロード、ピストの部品が白黒写真で4ページにわたって紹介されています。
説明文を読むと「当初の生産量は月産2000セット、厳しい品質管理を売り物にしていきたい」とありサンツアー及びJEXグループ(スギノ、三信、吉貝、三ヶ島)の意気込みが伝わってきます。
ちなみに、これ以前から雑誌広告も掲載されていましたがパッケージ(化粧箱)の白黒写真だけで製品は、まったく写っていません。
サイクルスポーツ1977年4月号ではデュラエースとシュパーブの部品を組んだロードを、それぞれ用意し比較試乗を行っています。
21ページにわたるもので当時のシュパーブへの注目度と期待度が伝わってきます。
この記事を当時、高校生だった(生意気にもデュラフルセットのロードを買ったばかりだった)自分は一喜一憂、ドキドキしながら読んだ物です(笑)
実際に初代シュパーブの部品が販売されるようになったのは77年中頃ではなかったかと思います。
このあと、コルサはサンツアーの独創的な部品群に、どんどん傾倒していくことになったのです(笑)
その時、上記のカタログの表紙に使った「SUPERB」の言葉が思いだされたのでしょう。
そう、「SUPERBとは華麗で気品高く他の追随を許さない物だけに許される・・・」という新しい、高級コンポーネントにふさわしい名前です。
ただ、そのまま「SUPERB」の文字を使うことに何らかの抵抗があり末尾に「E」を加えて「SUPERBE」としたのでしょう。
(このあたりの経緯について当時の雑誌かカタログにも紹介されていそうですが(いたような)、探してみても今のところ見つかりません)
そのページを見るとロード、ピストの部品が白黒写真で4ページにわたって紹介されています。
説明文を読むと「当初の生産量は月産2000セット、厳しい品質管理を売り物にしていきたい」とありサンツアー及びJEXグループ(スギノ、三信、吉貝、三ヶ島)の意気込みが伝わってきます。
ちなみに、これ以前から雑誌広告も掲載されていましたがパッケージ(化粧箱)の白黒写真だけで製品は、まったく写っていません。
21ページにわたるもので当時のシュパーブへの注目度と期待度が伝わってきます。
この記事を当時、高校生だった(生意気にもデュラフルセットのロードを買ったばかりだった)自分は一喜一憂、ドキドキしながら読んだ物です(笑)
このあと、コルサはサンツアーの独創的な部品群に、どんどん傾倒していくことになったのです(笑)
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