20,21日はbikariaさんのお誘いで奥三河にサイクリングに行ってきました。
なんでも来年の「ランドナーのサイクリングイベント」の下見だそうです。
なんでも来年の「ランドナーのサイクリングイベント」の下見だそうです。
普段「ランドナーには縁のない」(笑)コルサですが、ちょうど良いかと思い
先日、手に入れたシルクのキャンピングフレームをランドナー仕様に急遽、仕上げて
参加させていただくことにしました。
先日、手に入れたシルクのキャンピングフレームをランドナー仕様に急遽、仕上げて
参加させていただくことにしました。
朝9時頃まで降っていた雨も、やんで絶好のサイクリング日和になりました。
(画像は本長篠駅、路面がまだ濡れています)
今回の参加者はbikariaさんとデモ鳥さん、そしてコルサの3人です。
お二人はトーエイのランドナーです。
(中央がコルサのシルク キャンピング)
お二人はトーエイのランドナーです。
(中央がコルサのシルク キャンピング)
まずはJR飯田線、本長篠駅から県道32号(鳳来東栄線)を北上します。
鳳来寺山の登り口、門谷地区の手前に、短いのですが結構きつい峠があります。
鳳来寺山の登り口、門谷地区の手前に、短いのですが結構きつい峠があります。
県道32号(鳳来東栄線)を行くと廃線になった田口線の痕跡が所々に見られます。
画像は門谷地区 鳳来寺駅跡から北西側に下ったところにある田口線の田代トンネルです。
海老地区の手前には県道から離れて田口線の線路跡を利用した道を行きます。
ここは田口線跡の双瀬トンネルを北側から見たところ。
見事な岩盤をくりぬいたトンネルです。
見事な岩盤をくりぬいたトンネルです。
そしてここは田口線の滝上駅跡です。
向かって左側に駅のホームが残されているのですが・・・今の時期でもこの様子です。
実は、この駅、県道から、ほんの少し入ったところにあります。
せっかくですから当時を偲んで歩いてみました。
せっかくですから当時を偲んで歩いてみました。
稲目トンネル南側から右に折れ仏坂峠方面に入ります。
仏坂峠の途中、有名な四谷の千枚田。
まだまだ、田植え前ですから、ちょっとさえませんね。
中央の山が鞍掛山で右側に仏坂峠、左側に、かしやげ峠があります。
仏坂峠は現在トンネルがあり車で抜ける事が出来ます。
いずれの峠も古い時代からの街道の峠だったそうです。
仏坂峠は現在トンネルがあり車で抜ける事が出来ます。
いずれの峠も古い時代からの街道の峠だったそうです。
仏坂峠に到着です。
bikariaさんがデーターを熱心にメモしていますね。
ここの峠は展望は良くありません。
本来の峠は、ここから少し登るだけなのですが・・・。
東海自然歩道が通っていますが鉄製の階段で登るほど険しい区間で、かつて多くの
馬が滑り落ちたりした難所で、たくさんの馬頭観音があります。
東海自然歩道が通っていますが鉄製の階段で登るほど険しい区間で、かつて多くの
馬が滑り落ちたりした難所で、たくさんの馬頭観音があります。
現在、旧峠の北側はほとんど滅失しているようでコルサも、そちら側には下った事がありません。
仏坂峠から数キロ下り神田の集落に出て左折、今度は堤石トンネルに向けて登っていきます。
堤石トンネルを過ぎた所から数百メートル下ったところから林道に入っていきます。
そして次なる峠、柴石峠を目指します。
林道(舗装)を行くと途中、長江という集落があり所々に長江城への道標がありました。
帰ってから調べてみると、
このあたりは戦国時代頃まで?の街道(現在の県道は西側を通る)であり
長江城には10世紀中頃から500年間ほど、永江氏(村名とは字が違う)が
居城していたとのことでした。
帰ってから調べてみると、
このあたりは戦国時代頃まで?の街道(現在の県道は西側を通る)であり
長江城には10世紀中頃から500年間ほど、永江氏(村名とは字が違う)が
居城していたとのことでした。
柴石峠(旧峠)は、ずいぶん前に越えた事があります。
久しぶりに再度訪ねてみました。
峠になぜかゲートがありますね(ゲートについては後述)
ゲートの左側に石柱が見えます。
この石には「みぎはあきは」「ひだり つく」「明和7年」とかいてあります。
この石には「みぎはあきは」「ひだり つく」「明和7年」とかいてあります。
「あきは」は「秋葉」で「つく」は「津具」でしょう。
秋葉と言うのは静岡県浜松市の北東、天竜川沿いにある秋葉神社のことを表します。
長野県境に近い奥三河の山中でピンと来ませんが、かつての秋葉神社信仰が
盛んだったことの証拠です。
秋葉と言うのは静岡県浜松市の北東、天竜川沿いにある秋葉神社のことを表します。
長野県境に近い奥三河の山中でピンと来ませんが、かつての秋葉神社信仰が
盛んだったことの証拠です。
かつて尾張や岐阜、信州から、この柴石峠を通って秋葉神社を目指したと言われています。
(ちなみに当時のルートは尾張や恵那方面から稲武へ出る。稲武から津具を通り柴石峠、
ここから東栄町、浦川、和山間峠を越えて天竜川沿いに出たという。他にもルートはあるが)
(ちなみに当時のルートは尾張や恵那方面から稲武へ出る。稲武から津具を通り柴石峠、
ここから東栄町、浦川、和山間峠を越えて天竜川沿いに出たという。他にもルートはあるが)
さて峠のゲートは何なのか説明しましょう。
実は柴石峠は奥三河の有名な化石産地なのです。
柴の石・・・そう、植物の化石がたくさん見つかったことから柴石峠と
呼ばれるようになったと言われています。
柴の石・・・そう、植物の化石がたくさん見つかったことから柴石峠と
呼ばれるようになったと言われています。
その為、ゲート(峠)の東側斜面は化石マニアの盗掘を防止する為に
鉄条網+金網で囲まれています。
鉄条網+金網で囲まれています。
コルサはかつて単独で自転車を持って越えた事がありますが
鉄条網+金網は峠周辺を完全に閉鎖しており今回、急斜面をランドナーを引きずって歩くのは、
どうかと言うことで柴石峠越えは断念、県道に引き返しました。
鉄条網+金網は峠周辺を完全に閉鎖しており今回、急斜面をランドナーを引きずって歩くのは、
どうかと言うことで柴石峠越えは断念、県道に引き返しました。
柴石峠の北側に石仏がありました。
残念ながら年号などは読み取れず。
(旧)柴石峠から県道427号(坂宇場、津具設楽線)に出て津具に向けて北上します。
津具からは本日、最後の峠、折元峠があります。
折元峠を登りきると峠の上には高架で茶臼山高原道路が通っています。
ここ折元峠から北側、長野県側に下ればすぐに今夜の宿があります。
(面白いことに県境は折元峠ではなく2キロほど下ったところに愛知長野県境がある)
(面白いことに県境は折元峠ではなく2キロほど下ったところに愛知長野県境がある)
画像のように、折元峠のすぐ南側には石碑があって
「至上津具」「右 旧道」「左 新道」とあります。
「至上津具」「右 旧道」「左 新道」とあります。
旧道は急勾配の上、道幅が狭く車がかえって多い(距離が短い為、地元の車が多く通る)
ので自転車には上り下りとも新道をお勧めします。
ので自転車には上り下りとも新道をお勧めします。
ちなみに新道は明治25年頃出来たそうで津具村内の石碑には「旧道21丁、新道1里7丁」と
あるそうです。
わかりやすく言えば旧道2.3キロ、新道5キロほどと言うことですから新道は傾斜を
緩くする為に距離にして倍以上長くなっているということになります。
あるそうです。
わかりやすく言えば旧道2.3キロ、新道5キロほどと言うことですから新道は傾斜を
緩くする為に距離にして倍以上長くなっているということになります。
※21日の様子は、また後日アップします。
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