いろいろ忙しかったりして記事アップの順番が前後したうえ、
ずいぶん遅くなりましたが3月7日にサイクリングに行ってきました。


I氏から、面白そうな、お誘いを受けたので仕事を放り出し時間を作って?
出かけることにしました。


今回のコースは岡崎市宮崎町(旧 額田郡)という山間の町をスタートし旧道を
探しながら走るというものです。
(岡崎市宮崎町 本宮山の北西部)

あわてもののコルサはカメラを忘れてしまった為、今回の画像はI氏が撮影したものを
一部お借りしました。



まずは「寸五郎坂」に向かいます。

この寸五郎坂は5万分の1の地形図にも名前が記載されていて高校生の時から知っていましたが、
なぜか今まで訪ねる機会がなく(近くは、ほとんどくまなく走った道なのですが)30年以上
経って初めて越えることになりました。



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これが宮崎地区から寸五郎坂に向かう山道です。
なかなか手ごわいですね。
倒木、落石、崩壊などで荒れていますし後半は、かなりの急斜面の地形でした。



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寸五郎坂、峠の様子
画像は峠から、北側を見ています。登ってきたのは背中側になります。
登ってきたルートは急斜面ですが北側、木下(きくだし)地区側は、ゆるやかな
地形になっています。



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寸五郎坂(峠)にあった石碑
「宮崎音頭」が刻まれていました。宮崎は出発してきた町の名前です。
歌詞の全ては読み取れませんが中に「寸五郎」の文字が見えます。

後半の歌詞には「百千鳥」という文字がありました。この意味は・・・・

この石碑を過ぎ下り始め畑に出ると仕事をしている、ご夫婦に出会いました。

お話を伺うと
「山道の上の方が千鳥(ちどり)になっていたらぁー、あのへんが寸五郎坂だ」と
教えてくださいました。
一般的には「つづら折れ」と呼ばれる道(地形)を、このあたりでは「千鳥」と
呼ぶのだそうです。


「うん?千鳥??」そう言えば先に書いたとおり峠の石碑に「百千鳥」という
歌詞がありました。

歌詞にあった「百千鳥」の「百」と言うのは多分、「たくさん」という意味で
「たくさんのつづら折れ」という意味か?と思ったのですが帰ってから調べてみたら・・・

「百千鳥」は(ももちどり)と読んで万葉の昔から使われた季語だそうです・・・・
もちろん、地元で「つづら折れ」を「ちどり」と呼ぶのは、聞いたとおり
間違いないはずなのですが、
そこに掛けた歌詞なのか?謎が増えてしまいました。

その他にも、ご夫婦からは
「寸五郎坂を越えて木下地区から宮崎の小学校に通っていたこと」、
「狭く急坂とはいえ荷車ぐらいは何とか通れた道だったこと」、
「伊勢湾台風の際、倒木等で道が荒れ、その頃から使われなくなったこと」
また、峠付近が開拓されて平らな地形になっていたことを聞くと
「昔も茶店などの建物はなかったはずだ。おじいさんが昔、桑畑を作った跡だと思う」
などの貴重なお話を聞く事が出来ました。


さて、ここから途中、「鉢巻山」山頂に登り(自転車は途中に置いて)、山道を進み
今度は岡崎市切山町の南あたり「うつき坂」という旧道の峠?を探します。

すると杉林の間に細道があり、途中に弘法さんの祠があります。
地形的にも、ここが旧道「うつき坂」だろうと目途をつけました。

さらに周りを調べていると山林から出てきた方に出会いました。
地元の人だと思い早速、「うつき坂」のことを聞いて見ると、「ここだ」と教えていただけました。

いろいろ、お話を聞いていると、かなり古い道に詳しいようですし、それにカメラを、お持ちです。
「何を撮っているのですか」と聞くと「私は古い街道を調べて本を出版している」と
おっしゃるではありませんか。
「もしかして中根さんですか」と聞くと、やはり、思ったとおりでした。



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中根さんは私たち、愛知県の旧道ファンには欠かすことの出来ない本を出版されている方です。

いつか山の中で調査中の中根さんに、お会いする事があるかもしれないと思っていましたが、
その機会は思いのほか早く訪れました。



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中根さんの書かれた本。
右の2冊は「忘れられた街道 上・下」
左は「愛知の歴史街道」

「忘れられた街道」は風媒社から発行されていますので書店に問い合わせれば入手可能です。
「愛知の歴史街道」は494ページに及ぶもの。
こちらは、私家版で直接、中根さんに問合せとなっています。
もし、ご興味があれば、このブログ記事に、ご連絡いただければ、お問い合わせ先を、
お教えいたします。

中根さんは他にも「愛知発巨石信仰(私家版)」「愛知の巨木 (風媒社)」などを
書かれています。



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「忘れられた街道」を、ご紹介。
カラー写真やポイントを押さえた簡単な地図などが載っていて現地を訪ねる際の参考になります。
コルサが過去に訪ねた旧道記事も、この本を参考に出かけたところが、たくさんあります。



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「愛知の歴史街道」を、ご紹介。
こちらは、カラー写真ではありませんが、やはり写真と地図などの資料が載っていて
旧道探索(峠越え)の大変、有効な資料となります。
再印刷されたそうなので旧道、峠ファンの方はぜひ、手に入れられては。



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「うつき坂」を下り、後半は新しく出来た林道などを通る予定でしたが道路工事中で通行不可。
県道などを通って車を停めた宮崎地区に戻ることにします。

途中、「日近城」という、山城を見つけ登ってみます。
これが思いのほか、規模の大きな山城で興味深いところだったのですが・・・
光線の加減で、あまり良い画像がありませんでしたので説明板の画像だけでも(笑)




さて県道37号線を宮崎に向けて走っていると淡渕地区でI氏が道端の山林の中に
道標を見つけました。
山林の中を、よーく見てみると旧道らしき登りの道の形跡が伺えます。

この先、明見地区までの地形を考えてみると現在は川沿いの険しい地形(きりたった崖)を
切り開いて道が作られていますが、昔は危険な川沿いではなく山越えの道が
あった事が想像できます。
多分、ここから山の尾根近くを通り明見地区まで抜ける道が有ったのでしょう。

今回は県道を進むことにして先に行くと今度は、こんな道標がありました↓



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これが、その説明板と道標。

先ほど、書いた山林のなかの道標と符合する記述がありました。
「明見坂」という坂を含む明治時代中頃まで使われた旧道が、やはり山林の中にあったようです。
明見坂改修によって出来た道が現在の県道のベースになっているのでしょう。
ここの区間の旧道も後日調べてみないといけませんね(笑)

それにしても、この道標、変わっていますね。
「後生車」(ごしょうぐるま)と言うそうです。
上部の円盤状の石は石の心棒で固定されているようでした。
試しに回してみると、ゴロゴロと音を立てて回りました。
まわして祈るといえばチベット仏教の宗教用具、「マニ車」を思い出しますが・・・

今回は念願の「寸五郎坂」と「うつき坂」を越える事が出来ました。
しかし、最後に「明見坂」という課題?を発見してしまいました(笑)
まだ、まだ、この地区の探索は続くことになりそうです。