4月8日に仕事がなくて雁峰林道に行ったばかりですが
11日も、また近くの山中に行ってきました(笑)


今回の目的は8日に訪ねた「涼み松」の北側の古道を探索することです。
北側には「荒原」(あわら)という小さな集落があるのですが
「荒原」と「涼み松」をつなぐ古道を、どうしても確認したかったのです。

理由は・・・鳥居強右衛門の通った道の可能性が有るからなのです(笑)
毎回の繰り返しになりますが鳥居強右衛門の簡単な説明です。

「鳥居強右衛門とは長篠城が武田軍に取り囲まれて窮地に追い込まれた際、城を抜け出して
40~50㌔離れた岡崎城の徳川家康に救援を求めに行った使者のことです」

「このことが設楽ヶ原の戦いにおいて織田軍が鉄砲隊の新戦法で武田騎馬軍団を
打ち破ることにつながります」

中根洋治氏の著書「忘れられた街道」の中に
鳥居強右衛門が救援を求めに行った道筋として、こんな記述があります。

「忘れられた街道」より抜粋
{強右衛門は荒原で握り飯を食べ、馬を借りて、奥さんの在所である市場に
 寄っていったといわれる。
 (中略)その後は前述の千万町街道を辿れば、岡崎城へ行ける}

実は以前にも「荒原」を訪ねた事があります。
その時は東に抜ける道を探したのですが残念ながら完全に道の痕跡が消えていました。

さて、今回は国道301号線から和田峠に登り、そこから林道などを通って
「荒原」に行き、そこから「涼み松」につながる道を探す予定です。



イメージ 1

まずは国道301号線に向かいます。
画像は国道301号線脇の竹生神社から北側を見たところ。
画像からは切れていますが、この左側に本宮山、和田峠などがあります。
この山腹には、最近かよっている?「雁峰林道」が通っています。

話はそれますが、この山の尾根上(もう少し東側か?)に風力発電の風車を
立てる計画が進んでいるようです。
風力発電は環境に負荷を、あまり掛けないと推進(各地で)されているようですが
景観的にはどうなんでしょうか?



イメージ 2

和田峠に登り和田の集落から「林道 立岩線」に入ります。
林道といっても、ここも完全に舗装されています。

途中、古道が交差しているはずなのですが(今回の目的とは別の古道)
今回も見つけそこないました(笑)



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これが林道の名前の由来になっている作手村杉平の「立岩」です。
これと言って珍しいような岩では有りませんが古道脇であり集落の入口に、あたることも
あり信仰の対象になったのかもしれません。

前述の「忘れられた街道」によると現在の国道301号線以前の新城と
豊田市方面を結ぶ旧道(挙母街道)は、このあたりを通っていたそうです。



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杉平集落から田代集落に抜ける小峠にあった石仏群。
明治、大正ぐらいの年号の物がほとんどでした。



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荒原集落の神社、この周辺には人の住んでいる家は、もう2、3軒しかないようです。
このあたりには県道計画が2本あったようですが両方とも
中止になってしまったようです(地形が険しすぎる為か)

また、ここから東には「林道 赤木沢線」がのびていますが、
こちらも通行止めで抜けられません(歩きでもまったく通れません)。
将来、荒原集落の歴史が閉じられてしまうのかもしれません。

さて、神社周辺の山に向かい古道を探しますが見つかりません。
しかたなく、荒原集落と手前の大田代集落の間の峠まで戻ります。

この峠辺りには古道の痕跡が見受けられました。
これが荒原集落と手前の大田代集落を結ぶだけの道だったのか?
それとも新城方面から登ってきて作手、岡崎、豊田方面に抜ける道であるのかは
わかりませんが興味深いところです。



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さて、先にも書いたとおり荒原集落から山越えして新城に向かう古道が見つからなかったので
荒原集落と大田代集落の間にある峠の林道を捜索します。
すると林道脇に古道跡が見つかりました。

古道跡を選ぶか林道を選ぶか迷いましたが・・・
①すでに、ここまでの走行で体力的に辛いこともあり古道を下って道に迷った場合、
 単独行動の為、危険かもしれない。
②「涼み松」のすぐ北側に林道があったことから林道を辿ればまず間違いなく下れるだろう。
③一度、林道がつながっていることを確認し後日、古道を再調査する方が安全で効率的だろう。

ということで今回は画像の未舗装の林道を選びました。

林道を進めば・・・
①「涼み松」のすぐ北側の林道に出られれば最高(笑)
②うまく「涼み松」に出られなくても、どんどん下っていけば雁峰林道のどこかに出られるはず。

いずれにしても標高的には最高点に近い尾根からなので下り基調で行けるはずと
思ったのですが林道が登り始めています。
この先、林道が通行止めになっていたら、どうしようと不安になっていたら、
山中ですごい巨石を見つけました。



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先日、紹介した石座石より、はるかに大きな岩ですが(2、3倍は優にありそう)
特に、お祭りされているような様子はありません。
あまりに集落や古道から離れている山中で誰にも知られていないかったのか?と
更に不安にさせます(笑)

帰宅して調べたところによると、この岩は稚児岩(巨大なのに)と呼ばれ、
かつては社が有ったそうです。
今では石座石の、ふもとの社、石座神社の近くに小社があるようです。



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さて、巨石、稚児岩を過ぎると、やれやれ道は下り始めました。
しかし、林道には、何も案内のない分岐が、いくつもあります。
地形図を見ても記載されていない林道ですしカンで行くしかありません(笑)

ちなみに画像のポイントでは左上から下ってきました。
ルートは画像にある右か背中側にも道があります。
右は車の跡もしっかりついています。背中側には車の跡は、ほとんどありません。
さて、あなたならどちらを選びますか?(笑)

コルサは結局、背中側の道を選びましたが・・・
結局、ここに至るまで何ヶ所かの分岐があったのですが、奇跡的に
全問正解だったようです(笑)

おかげで前回の記事に紹介した「最後の画像」ポイントに到達しました。



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ということで、さっきまでの不安(道に迷うのではないかという)は、どこへやら(笑)
三日前に訪ねた「涼み松」を見て古道を雁峰林道に向けて下ります。
ここの古道は崩れやすい所もあるのですが「設楽原を守る会」の方たちによって
保守整備されているようです。
路面を傷めないよう気をつけながら下っていきますが・・・
(モーターサイクルでの古道への乗り入れはやめましょうね。タイヤ跡を見かけました。
  自転車はエンジンがないので路面へのインパクトは少ないということで、ご勘弁を。
  登りは押しか担ぎですし)



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調子に乗って下っていると石に前輪をとられ転んじゃいました(笑)

前転気味に転倒、ハンドルを飛び越えて!着地、無事でした。
ただハンドルを飛び越える際、右のかかとでメーターを蹴った事はわかっていました。
「メーター、どっかに飛んで行っちゃったかな」と心配しましたが取付バンドを
緩めに固定する習慣が良かったのか位置がずれただけでメーターは残っていました。
(ブレーキレバー等は緩めに固定しておけば転倒しても折れずに、
ずれるだけですむかも、というオフ走行の知恵?)



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雁峰林道にでました。

白い案内板の一番下に「額岩を通り、荒原、田代への道」と書かれています。
一部、古道を外れていましたが確かに荒原、田代へとつながっている事を確認できました。
「額岩」と書かれていますが、どこの岩でしょうか?
途中の山中にあった「稚児岩」のことでしょうか?



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雁峰林道にでましたから帰りのルートの選択肢は二つほどあります。
雁峰林道をたどれば舗装ですから楽々です、道に迷う心配も有りません。
でも、せっかくですから、ふもとまで下りる古道を探します。

「涼み松」から下ってきて雁峰林道に出たポイントのすぐ東側に古道?跡を
見つけましたので下ってみることにします。


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最後は、こんな感じの道で、ふもとまで下る事が出来ました。



今回の目的だった「荒原集落から新城までの古道を辿る」は、ほぼ達成したといえるでしょうか。
でも、荒原集落から涼み松までは、ほとんど古道を通っていませんからね。
こうなったら今度は荒原集落から涼み松までの古道を探しに行くしかない??