奈良県明日香村には多くの石造物があります。
いずれも飛鳥時代に作られたと言われていますが、用途や性格がわからないものが多く
考古学研究者や考古学ファンだけではなく多くの人々の関心を集めています。

今回、コルサは初めて憧れの地、明日香に行き、点在する石造物を自転車で見て回りました。

※画像のコメントは書籍からの引用、またはコルサの考え等もあり必ずしも現地の
 案内板などの 見解とは一致しないものも有ります。
 また、明らかな間違いなどございましたら遠慮なく、ご指摘ください。



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「亀石」
全長約4m+、高さ2m弱
後ろには住宅が写っていますが周りは、ほとんど水田です。
用途など不明ですが寺領(川原寺?)、または居住域と墓域との結界等の説があります。



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亀石は非常に愛嬌のある顔をしていますが西を向くと飛鳥に洪水が起こり
村が沈むとの伝説もあります。



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「マラ石」
高さ約1.25m
形態的に男性の象徴と判断できるものですから子孫繁栄、豊穣などを
願った可能性があります。
地元では対岸の丘陵を「フグリ山」と呼びマラ石と一対の物と考える説もあるようです。
(この石は、あまり知られていませんが有名な石舞台古墳の近くにあります)



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「二面石」
高さ約1.24m
橘寺境内にあります。
二つの顔が背中合わせに掘られ、それぞれ「善面」「悪面」を表していると言われています。



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「二面石」右側に掘られた「善面」



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「二面石」左側に掘られた「悪面」



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「酒船石」
小高い丘の林の中にあります。
この特異な形からTVのミステリー番組にも取上げられたりするので、ご存知の方も多いかと思います。
酒の醸造などに使われたなどいろいろな説がありますが用途は不明です。
(出水酒船石とは、まったく別物です)

近年、この後に紹介する石造物がすぐ近くから発見されるなどして研究が進みつつあります。
この石より更に高い所から導水管等が発見されたとも言われており、
私も更に上部にも上ってみましたが丘の頂上は近く水をどこから引いたのか?
という疑問が残りました。



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「酒船石」の両側には「ノミ」の跡が残っていますが、これは中世?の物と
言われているようです。
削られた石材は高取城、築城の際の石材として使われたとの説もあります。



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「亀型石造物」(画像左)、「小判型石造物」(画像右)
「亀型石造物」全長約2.4m
先に紹介した「酒船石」が存在する丘のすぐ下から2000年に発見された謎の石造物です。
まわりに敷き詰められた石なども当時の物だそうです。
(画像からは切れていますが、この奥に階段、テラスと呼ばれる敷石施設もあります)

現在は「酒船石」「亀型石造物」「小判型石造物」を合わせて(周辺も含む)
「酒船石遺跡」と呼ぶようになっています。

ここから「酒船石」のある丘に登る道の途中から石垣(四重に巡らされているらしい)なども
発見されていて、この遺跡全体が「日本書紀」に記されているという斉明天皇が作った
「石の山丘」ではないかと言う説が出てきています。
目的としては天皇の祭祀の場、賓客をもてなす場などの説が有力のようです。



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「猿石」
現在、現地には4体残っており一番大きい物で高さ約1.28mほど。
欽明天皇稜南側の水田から江戸時代に掘り出されたと伝わります。
現在は欽明天皇稜のすぐ近くにある「吉備姫王墓」の柵の中にあります。
(その為、画像は柵の間より撮影)

その姿形から、それぞれに名前が付いています。

(先に出てきた二面石は、ここから出土し運ばれたと言う説もあります)



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「僧」
頭髪がないように見え僧と言われれば、そう見えなくもないが、いかつい感じ。



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「山王権現」
いかにも中央アジアや西域などの異邦人(渡来人)をモチーフにしていると思わせます。



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「男」
ユーモラスな人相、たしかにヒゲ面の男を想像させます。
(この画像からは、ややわかりにくい)



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「女」
4体の中では最もサル顔か? 爬虫類的な感じすら抱かされます。
女と呼ばれる理由は良くわからないのですが、あえて考えてみれば胸に見える溝が
「乳房」を思わせる為なのでしょうか?


後編に続きます。