先日の奈良行きでは天皇陵も回ってきました。
しかし天皇陵は敷地内部には一般人はもちろん入れませんし研究者の立ち入りも制限されていて
近代、調査された事がないので何も判っていないところがほとんどです。
その為、案内板(古墳の内容などについて)は、まずありません。
しかし天皇陵は敷地内部には一般人はもちろん入れませんし研究者の立ち入りも制限されていて
近代、調査された事がないので何も判っていないところがほとんどです。
その為、案内板(古墳の内容などについて)は、まずありません。
また天皇陵の被葬者は宮内庁の認定によるもので研究者の見解と違っているところもあります。
大きな陵墓は全体像がうまく撮れないところが多く小さなところはまわりが
住宅などになっていて、これまた絵にならないところが多くどれも
同じような画像ばかりになってしまいました(笑)
住宅などになっていて、これまた絵にならないところが多くどれも
同じような画像ばかりになってしまいました(笑)
※コメントなどに明らかな間違いなどございましたら遠慮なく、ご指摘ください。

第一代 神武天皇(じんむ)
実在の人物ではないとするのが一般的です。
敷地は広大のうえ中には入れないので陵墓がどのようになっているのか、まったく判りません。
大和三山 畝部山のすぐ北側に立地します。

第二代 綏靖天皇(すいぜい)
実在の人物ではないとするのが一般的です。
神武天皇陵の北側に隣接しています。

記事の最初に書いたとおり天皇陵、天皇陵参考地は宮内庁の管轄で一般者はもちろん
研究者の立ち入りも制限されています。
その為、古墳の形状すら詳しく判らない物がほとんどで、まして石室内部などは
過去(江戸時代以前とかに)に調べられた事がないとまったく判らないのです。
その為、現地に行っても(ここに限らず)宮内庁のこのような味気ない看板があるだけです。

第三代 安寧天皇(あんねい)
実在の人物ではないとするのが一般的です。
大和三山 畝部山のふもと西側にあります。
ここは住宅や畑の間にあり、あまり大きなところではありませんでした。

第四代 懿徳天皇(いとく)
実在の人物ではないとするのが一般的です。
大和三山 畝部山のふもと南側、橿原神社の裏手(西側)にあります。
こちらは本当に住宅地の中で、この画像の両側、カメラの背後は全て住宅地になっています。
こちらも大きなものではありませんでした。


第八代 孝元天皇(こうげん)
孝元天皇については実在の人物とみなす見方も出てきているようです。
周りは住宅地で石川池(剣池)にあります。

第十代 崇神天皇(すじん)
実在の可能性がある程度見込める初めての天皇と言われているようです。
纒向古墳群の近くにあります。天皇陵の東側すぐには櫛山古墳が隣接しています。

第十二代 景行天皇(けいこう)
景行天皇の実在性にも疑問を持つ意見が出されているようです。
こちらも纒向古墳群の近くにあります。


第二十八代 宣化天皇(せんか)
ここから北に大和三山 畝部山が望めます。
すぐ東側には約600基の古墳があるといわれる新沢千塚古墳群(にいざわせんづか)があります。

第二十九代 欽明天皇(きんめい)
ここが実際に欽明天皇陵なのか疑問もあるようです。
(被葬者について、いろいろ異論があるのは、ここの古墳に限りませんが)

先の記事に紹介した「猿石」はこの近くから出土し江戸時代頃まで、
この古墳の上に置かれていたそうです。
猿石のほかの画像はこちら→ http://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/32158518.html

第三十二代 崇峻天皇(すしゅん)
山村の集落、住宅裏手にあり、敷地はそれほど広くありません。
周りを回って柵の間から見ても、これといった「土の高まり」も「石造物」らしき物も
見られませんでした。


第四十代 天武天皇陵
第四十一代 持統天皇陵
天武天皇とその皇后で次に即位した持統天皇が葬られているといわれています。
鎌倉時代に盗掘された時の記録から天皇陵としては珍しく状態がある程度わかっています。
その為でしょうか、天皇陵としては例外的に案内板がありました。
当時の記録によると墳形は八角形、五段築成、切石式の石室は2室で構成されているそうです。
ちなみに持統天皇は天皇として始めて火葬にされたといわれています。
今回、自転車の機動力と駐車場を気にしなくて良い気楽さで3日間で12基の天皇陵を
回る事が出来ました。
奈良盆地南部周辺には、まだまだ天皇陵とされているところがたくさん有ります。
いろいろ勉強してから、また他の天皇陵も回って見たいものです。
回る事が出来ました。
奈良盆地南部周辺には、まだまだ天皇陵とされているところがたくさん有ります。
いろいろ勉強してから、また他の天皇陵も回って見たいものです。
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