先日の奈良行きで回った古墳のうち、奈良盆地東南部、三輪山のふもとにある
纒向(まきむく)古墳群、箸中古墳群、柳本古墳群を中心に訪ねた画像をアップします。
ただし天皇陵(先に記事をアップ済み)、箸墓古墳(後日アップ予定)はのぞきます。

纒向(まきむく)遺跡は奈良盆地東南部に3世紀初めごろ出現し、4世紀前半に姿を消した
巨大集落跡だそうです。
その巨大な遺跡は当時の一般的な集落とは異なり国内最初の「都市」との見方もあるそうで、
邪馬台国(やまたいこく)論争での畿内説の根拠の一つともなっています。

纒向(まきむく)遺跡からは
①関東から九州までの各地域の土器が多数出土すること、
②土木工事用の工具が多数出土すること、
③古墳時代初期の前方後円墳が多数、築造されたことなどから
 「ヤマト政権」成立の都市跡とも言われる非常に興味深い地域です。

(全国各地の土器が多数見つかる=全国から人が集まった3世紀の都市=纒向こそが邪馬台国と言う説)

※※私の思い違いなど、明らかな間違いなどに、お気付きでしたら、ご遠慮なくご指摘ください。



イメージ 1

「纒向石塚古墳」
 全長約96m
前方後円墳ですが通常のものと少々形が異なる為、「纒向型前方後円墳」と
呼ばれているようです(周辺の古墳も含めて)。

纒向石塚古墳が「思わず、どこが古墳?」と思ってしまうほど低いのは戦時中に
高射砲陣地!?を作る為、削り取られたのだそうです。
明治時代の資料では墳丘高さは現在の倍以上、6m以上あったとされているようです。



イメージ 2

「纒向大塚古墳」
 全長約96m
纒向古墳群の古墳は周辺の古墳とほぼ同じ規格(形状、大きさ)を持って
作られていたと言われています。



イメージ 3

「纒向矢塚古墳」
 全長約96m
纒向(まきむく)古墳群は弥生時代の築造と言われていた時期もあったようですが
発掘調査の結果、現在では3世紀前半と推定されているようです。
(近年の研究でも諸説あります)



イメージ 4

「纒向勝山古墳」(左側) 右は「纒向矢塚古墳」
  全長約110m



イメージ 5

イメージ 10

「ホケノ山古墳」
 全長約80m
先の4ヶ所の古墳からやや東に離れていますが纒向古墳群に含まれています。
ここには発見された埋葬施設が再現されていました。
※訂正します。すみませんが上側の画像はホケノ山古墳の墳丘ではありません。
(削除しようとしましたが他の画像にもなぜか影響が出てしまう為、そのままにして訂正文を追加します) 


イメージ 6

「茅原大墓古墳」
 全長約66m
 帆立貝式前方後円墳
 箸中古墳群に属する。



イメージ 7

「珠城山古墳群」 
 柳本古墳群に属します。
 いずれも前方後円墳
1号墳から3号墳がありました。残念ながら3号墳は、ほぼ滅失。
三基の古墳はいずれも6世紀後半?
1号墳 約50~55m、2号墳 約80~85m、3号墳約55~60m



イメージ 8

珠城山1号墳は後円部に石室を見る事が出来ます。



イメージ 9

「櫛山古墳」
柳本古墳群に属します。
崇神天皇陵の東側に隣接するように存在していることから崇神天皇と関係が深かった
有力者の墓?との説があります。
全長約155mの大型古墳で左が前方部、右が後円部になります。
墳丘が大きすぎて全体像が納まりませんでした。
基本的には前方後円墳?ですが前方部の反対側にも大きな祭壇部分がある為、
双方中円墳とも呼ばれています。 



今回は大和古墳群(おおやまとこふんぐん)(柳本支群)のなかでも多数の鏡が発見されて
有名な黒塚古墳には時間切れでいく事が出来ませんでした。
(もう一度現地に行く理由作りの為、あえて残した? 笑)

黒塚古墳からは卑弥呼の鏡と言われる「三角縁神獣鏡」が33面も出土したそうです。
その為でしょう、「天理市黒塚古墳展示館」という施設が作られているようです。
これは、やっぱり、もう一度行かなければ(笑)