奈良県サイクリングシリーズ?、今回は「箸墓古墳」を取上げます。

奈良盆地の東南部、三輪山のふもとに作られた大きな古墳です。

三輪山の大物主神(おおものぬし)に使えた巫女で妻でもあったと伝えられる
「倭迹迹日百襲姫命」(やまとととひももそひめのみこと)の墓であるとされています。

ただ、その大きさ、作られた時代から一般的には「卑弥呼の墓ではないか?」
と語られることも多い古墳です。



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纒向(まきむく)古墳群から少し南下したところから眺めた箸墓古墳です。
全長約280m、奈良県内で3位、全国でも11位といわれる巨大古墳です。



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宮内庁では第7代孝霊天皇の皇女「倭迹迹日百襲姫命大市墓」
(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)としています。

天皇陵と同じく墳丘への立入は一般人はもちろん、研究者も禁止されています。
その為、過去に10回以上の調査が行われているようですが、いずれも周辺部に限られていて
石室などの状況はまったく判っていないようです。

ただ、2度ほど宮内庁による墳丘への立入調査も行われているようで、
その際、壺、埴輪の破片などが採取されているそうです。

しかし、現地に行ってみれば柵があるとはいえ簡単に乗り越えられる程度ですし急斜面でも
登ろうと思えば登ることは容易でしょう。
発掘調査を受けないうちに心無い人間に荒らされたり盗掘されなければいいのですが。



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近くでは全景が収まらないほど巨大な古墳で左が後円部、右が後方部になります。

この古墳は日本列島で「最初で最大の定型化した前方後円墳」といわれてます。

日本書紀の中では「昼は人が作り、夜は神が作った」という伝承があるそうです。
また大坂山から箸墓古墳まで人が並んで?手渡しで石を運んで作られたとも言われています。



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珠城山古墳群から見た箸墓古墳(後円部側より)
右の山は大和三山のうちの「耳成山」、古墳と耳成山の間に見えるのが同じく
大和三山の畝部山でしょうか?

箸墓古墳は、かつて築造時期が3世紀後半から4世紀前半と推定されていたこともあり
卑弥呼の時代とは合わないと言う意見もありました。
しかし、最近の研究では3世紀の中頃に築造とする意見も出され一部では?
卑弥呼の墓説は今も根強いようです。
(卑弥呼 一説には3世紀中頃 248年頃没とも言われる)



「盗掘など荒らされて後悔しないうちに研究者の立入り調査が許可されると良いのですが・・・」