第二次大戦末期、いよいよ本土決戦を覚悟しなければならなくなった大本営陸軍部は
防御作戦の指針を示します。

具体的には「上陸作戦の最大の弱点は行動困難な水上、水際にありという前提を基に、
配備の重点を直接海岸に置き、水際で敵上陸部隊を撃滅する」ことを
目指したものであったようです。

戦時中、愛知県豊橋市には歩兵第18聯隊、第15師団、豊橋海軍航空隊、等々の
軍関係施設、豊橋から更に北の豊川市には海軍の大規模な軍事工場、豊川海軍工廠などがありました。

当然、米軍の攻撃目標になることから豊橋市の南側、太平洋からの上陸作戦に
備える必要があったのです。
その為の拠点(豊橋市南部太平洋岸)を城下、伊古部、小島町に計画したようです。
ただ、大戦末に完成していたのは今回、探索に出かけた
小島地区(小島陣地)だけだったようです。


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小島海岸から西側を見たところ。
豊橋地区の太平洋岸は砂浜から標高差35~70mほどあるそうです。
ところによっては○○グランドキャニオンと呼ばれるほどの
崖になっているところもあります。
それに比べれば小島海岸の丘陵は、ずっと低く、なだらかになっています。


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上記のように丘陵が他の地区に比べて低い上、珍しく谷が開けています。
谷、中央部から南側、太平洋側を見たところ。

左右の丘の上に敵上陸部隊を迎え撃つべく砲台が設けられていたそうです。
画像、むかって右側を「東浜」、左側を「西坂ノ上」と呼びます。

向かって右の丘の上には小島陣地(トーチカ)がありました。
左にも小島陣地と対になる歩兵陣地がありました。

では、まず小島陣地を探しに行くことにします。


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おっと、その前に谷の中間部を観察します。
谷東側の、窪み。

このような所に歩兵陣地を設け敵が上陸した場合、側面、背後から攻撃をかける
作戦だったと思われます。
このような所が谷筋に数ヶ所設けられていたようです。


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谷、西側の丘に登ってきました。
自転車は、こちらを向いていますが、これから進んでいくのは画像奥側。
奥が南側、太平洋側になります。


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砲台より太平洋側へ細尾根を進むと比較的、大きな窪地があります。
奥に見えるのは最近出来たらしい「防災無線塔」
無線塔の工事で窪地は若干、埋められたようです。
最も海岸よりに、あることから監視所らしい。
(銃座の可能性もあり?)


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これが、小島陣地のトーチカ。
詳細は不明ですが内部には砲室、観測室などがあり
砲室に分隊長1名、砲員6名の計7名、観測室には指揮官など合計3名、
それぞれの部屋に通信士各1名が配置されていたらしい。


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トーチカの上部は階段状になっています。
これは銃弾直撃の衝撃、影響を減らす工夫であるらしい。


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トーチカ上部にあった換気坑らしき構造物。
落ちたりしないように塞がれたようです。


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トーチカのすぐ西側にもコンクリート構造物が露出しています。
下部は以前、開口していたようですが土嚢が積まれ出入り出来なくしてあるようです。


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トーチカの後部。
ここには坑道(半地下式だったとも言われる)があったようですが
現在は天井部が陥没し大きな窪地になっています。


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坑道を更に後部から見た所。
東側(向かって左側)の坑道が広いことから敵に上陸された場合、
砲の向きをかえ北側に向けても攻撃出切る様、考えられていたとする説もあるようです。


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一枚先の画像を撮った所から振り返った北西側には道状の部分が残っています。
ここが資材、大砲、弾薬を運ぶ為のルートでしょうか?
(このルートは現在、現地に訪れる人が通る小道とは違います)


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撮影場所の足元には・・・・一見、古いコンクリートのように見えたのですが、
どうやら礫を含む自然の堆積物が崖から崩れたもののようです。


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現在、林への入口になっている場所の、すぐ西側・・・

こちらは間違いなくコンクリートと思われますが・・・
右上には小さな瓦状の焼物で作られた祠があります。
藪に埋もれた小さな祠(2基ある)が不気味です。
コンクリートらしき物は戦中の構造物の物でしょうか。

さて、今度は谷の東側の遺構を調査に向かうことにします。

次回に続く。