1月2日は忙しい正月休みのスケジュールをぬって?(遊びみたいなことばかりですが)
「走り初め」に行くことにします。
とは言っても時間が14時過ぎから夜の約束までの時間ですから実質
走れるのは2時間少々でしょうか?
いつものトレーニングコースではつまらないので15キロほど車で移動して
渥美半島の泉福寺に行って見ることにします。
ここは自宅から30キロ程度なのですが、今まで一度も訪ねた事がありません。
「走り初め」に行くことにします。
とは言っても時間が14時過ぎから夜の約束までの時間ですから実質
走れるのは2時間少々でしょうか?
いつものトレーニングコースではつまらないので15キロほど車で移動して
渥美半島の泉福寺に行って見ることにします。
ここは自宅から30キロ程度なのですが、今まで一度も訪ねた事がありません。
建物は新しいもののようですが歴史自体は古いようなので一度行ってみたかったのです。
15キロ程度手前まで車で移動して向かい風の中、走り始めます。
泉福寺の登り口に着いたのは、すでに16時近く。
ここから標高差約150m程度、登らなければなりません。
そのうえ道はダートでした。
16時20分までに着けなかったら、また日を改めて、と決めて登りはじめます。
15キロ程度手前まで車で移動して向かい風の中、走り始めます。
泉福寺の登り口に着いたのは、すでに16時近く。
ここから標高差約150m程度、登らなければなりません。
そのうえ道はダートでした。
16時20分までに着けなかったら、また日を改めて、と決めて登りはじめます。
麓には巨岩があり、雰囲気を盛り上げます?(笑)
既に日暮れが近い事がこの画像からも感じられるかと思います。
人の気配のないダートの道を、登っていきます(ただし、ほとんど押しですが)
時間切れ直前、やっと泉福寺 本堂が見えてきました。
案内板によれば、この泉福寺、創建は743年の伝承があり平安、鎌倉時代は
比叡山延暦寺の直末寺として、この地方の天台宗寺院の中核をなしていたそうです。
比叡山延暦寺の直末寺として、この地方の天台宗寺院の中核をなしていたそうです。
また徳川家康から寺領安堵され二代徳川秀忠が鷹狩りに訪れた際には宿泊所になったのだそうです。
ところが昭和37年、火災により本堂などを消失(残念)、現在の建物は昭和47年に
再建されたものとのこと。
ところが昭和37年、火災により本堂などを消失(残念)、現在の建物は昭和47年に
再建されたものとのこと。
さて、日暮れもせまり帰ろうとすると、お寺の東に中世の墳墓(古墳ではない)があるとの
案内板が見えるではありませんか!
すでに薄暗く、そんな中で一人でお墓?と言われるかもしれませんが遺跡好きの
血が騒ぎ?探索に山に入ります(我ながら物好きだと思う)
ここは鎌倉時代から室町時代の墳墓、約90基ほどが確認され地元、渥美の窯のほか
瀬戸、常滑の骨蔵器などが見つかっているのだそうです。
地元の渥美窯製の骨壷ばかりではなく瀬戸や常滑の骨壷が使われているのが興味深いですね。
血が騒ぎ?探索に山に入ります(我ながら物好きだと思う)
ここは鎌倉時代から室町時代の墳墓、約90基ほどが確認され地元、渥美の窯のほか
瀬戸、常滑の骨蔵器などが見つかっているのだそうです。
地元の渥美窯製の骨壷ばかりではなく瀬戸や常滑の骨壷が使われているのが興味深いですね。
「泉福寺中世墳墓」南端部は歴代住職の墓石、五輪塔などが並んでいます。
さて、思わぬ寄り道をして薄暗くなってきましたし気温も下がってきました。
一気に下りたいところですが、車も通らぬ山寺からのダート道ですから慎重に下ります。
(転んで怪我しても誰も助けてくれませんからね)
山を下り国道259号線側に抜けます。
とはいえ国道は交通量が多いでしょうから国道手前の農道をぬって帰る事にします。
日没直前、先ほどの泉福寺がある山々を北側に回りこんで眺めます。
(寺は南側斜面にあります)
すぐに日は完全に暮れて暗くなってしまうでしょうが、
あと車まで10キロほど、追い風に乗って「ぶっ飛ばして」帰りましょう(笑)
あと車まで10キロほど、追い風に乗って「ぶっ飛ばして」帰りましょう(笑)
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