車塚遺跡と岩津第一号古墳の見学を終えた後、私は矢作川にある念願の物を、
くさやんさんにお願いし案内していただくことにしました。

くさやんさんは以前に(念願の物を)見ていて、その際の資料をいただいた私は、
ずっと気になってしょうがなかったのです。
「矢作川なら近いのに、なぜ今まで見に行かなかったの?」
と疑問の声も聞こえてきそうですが、それには訳があるのです。
それは・・・まあ、この後の画像を見ていただければお判りになるはずです。

イメージ 1

おっ、この程度の水量なら少しは見えそうですよ!(笑)
全てでは有りませんが川底に突き出している黒っぽい物体が目的です・・・・

イメージ 2

じゃ~ん、これが念願だった物の画像です。
「えっ、何これ?ただの木の根っこじゃん?」と言われそうですが・・・
そう、これが私の見たかったものなのです。

イメージ 3

少しアップにして見ましょうか?

イメージ 4

さらにアップにして見ましょう。
お判りになりましたか?
そう、ただの木の根元部分なんです(笑)

これがなぜ、念願の物だったのか?
それは、この「立ち株」の年代にポイントがあります。
(人が切ったのではなく自然にこの姿になったものなので切り株ではなく立ち株と呼びます)
各種調査の結果、この「立ち株」の年代は約3000年前(縄文時代晩期)~約2800年前のものと
されているからなのです。

矢作川の天神橋、下流域を中心とした川床に古そうな立ち株や倒木が存在することは
古くから知られていたそうです。
そこで平成17年から豊田市、岡崎市の元で調査委員会が組織され約2年間の調査研究が行われました。
その結果、約3000年前の落葉広葉樹林の痕跡で約2800年より新しい物がない為、
その時代に洪水などで埋没したと考えられています。
その後、地下に埋もれたままだった森林は近年の川床低下により再び地表(川底)に
姿を現したのだそうです。
調査委員会は、この縄文時代の森の痕跡を「矢作川川床埋没林」と読び樹木、
土壌のサンプリング、ボーリング及び測量などの調査を実施したのです。

今回の水量は、それほど多くなかったとは言え調査委員会の調査時には、
ずいぶん水量が少なかったようで(上流のダムの協力か?)当時の画像を見ると、
もっと多くの立ち株や倒木が見えています。
もちろん、いくつかは調査、研究、保存の為、調査委員会に持ち去られているはずです。
(そう、念願の物は水量が少なくないと見られないのです)
調査の際に確認できただけでも50以上の立ち株や倒木があったようで、
倒木の中には長さ17mもあるものも確認されています。
今回、自分達も数ヶ所の痕跡を川底に見つけました。
ただし、水中の物や岸から遠い物がほとんどだったので写真は上のものしか撮れなかったのです。

この立ち株や倒木、もちろん古いものですが約3000年程度ですから
化石化(石化)しているようなことはまったくありません。
ここから持ち出せば、ただの木片にしか見えません。
これを読んで見に行かれる方は、持ち出そうとか考えず、
いためない様に、ご注意くださいね。