1月29日は「普門寺旧境内確認調査」の現地説明会に行ってきました。
普門寺は豊橋市雲谷町にある真言宗の古刹です。
(JR東海道線二川駅北東辺り)

由来では727年、行基が船形山を訪れ霊気を感じ自ら聖観音立像を刻み、
それを本尊として山頂に寺院を建立し開山したと伝えられているそうです。
その後、平安時代に天台宗僧との勢力争いで全山焼失し衰えたのですが源頼朝の
叔父、化積上人が平家追討祈願の為、当寺を再興し頼朝の厚い保護を受けたそうです。
(1190年、頼朝が京にのぼる際、宿泊したとの説もあり)
平安時代の後期から鎌倉時代には鎌倉往還(街道)が普門寺付近を
通っていたとも言われ(普門寺峠?)交通の要衝にもあたっていました。
また、戦国時代には三河と遠州の境界という立地から今川、徳川両勢力の
衝突地帯となり(普門寺のある船形山山頂に船形城が築かれた)再び全山焼失するものの
今川氏によって再興、江戸時代には徳川家の保護を受け格式の高い
寺院として有名だったのだそうです。


普門寺のある船形山山中には200もの平場と呼ばれる人工的な平らな土地があるそうです。
それらはお堂や祠の跡、僧の住まい、畑などが有ったのだと推測されています。
今回は、それらのなかで「元々堂」(12世紀頃の建物跡)、元々堂の尾根筋南にある
建物跡(G-23平場)などを巡ります。

イメージ 1

「説明会の告知に急な斜面を登る」とありましたが思った以上の急坂でした(笑)

イメージ 2

G-23平場(調査上の整理番号らしい)
柱跡と思われる岩盤に掘り込まれた穴が見つかり大きな建物が一棟、又は
小さな建物が複数建っていたのではと推定されている場所。
参加者が少ないように見えるのは先の画像の急斜面を登ってくる人達の到着を待っている為。

イメージ 3

G-23平場の下部から検出された石組み。
斜面を補強する為の物らしい。

イメージ 4

元々堂の南側斜面から見つかった石段。

イメージ 5

石段の前から振り返ると太平洋が見えました。(右手が愛知県二川、左手が静岡県新所原方面)
かつては手前半分くらいまでは大寺院普門寺の所領だったのでしょうか?
(現在でも8万坪の境内を持つとのこと。ただし、ほとんど山林らしい)

イメージ 6

階段の上、元々堂の南側の平場。
こうやって見ると何か出たように見えますが残念ながら僅かな柱跡が見つかった程度で
「何もなかった事がわかった」、「何もなかったと確認出来たのも成果の一つ」とのこと。

イメージ 7

上の平場のはずれにあった「僅かな柱跡」のひとつ。
岩盤に掘り込まれた柱穴だという事がわかります。

イメージ 8

元々堂。
手前に転々と見えるのが元々堂の礎石。
6×6ヶ所、規則的に並んでおり大きな建物が建っていた事がわかります。
奥のテントは山奥の発掘調査の為の事務所?代わりのもの。

ここまでが今回の説明会のコースでしたが・・・
健脚者及び希望者の為に更に案内してくださるとのことです。
もう、お昼時間近く、更なる山道なので(年配者も多かった)オプションコースの参加者は、
それほどいないのでは?と思ったのですが意外や多くの人が参加するようです。
もちろん、私も参加します。

イメージ 9

船形山の尾根筋まで登り「船形山城址」(舟形とも書く)に着きました。
右手の部分が小高いのは城の土塁の痕跡なのだそうです。

イメージ 10

船形山の尾根筋を東に進むと(自然歩道あり)望寺岩(ぼうじいわ)と呼ばれる自然石があります。
尾根筋にある、この岩は、かつて信仰の対象だったと考えられているようです。

イメージ 11

船形山の尾根筋から普門寺側の南に下ります。
途中の斜面にある「薬師岩」
手前に平場、人工的な石組みがあり、かつて建物があり修行の場だったと推測されています。
ここは今後、調査されるようなので楽しみです。
私としては奈良時代や平安時代よりもっと古い縄文時代前期くらいの遺物が
見つかることも期待しているのですが(岩陰遺跡)。

イメージ 12

イメージ 13

元堂。
ここは以前、調査された事がありますが現在出ている部分は比較的
新しいようです(15、16世紀くらい??)。
下部には更に古い時代の痕跡があると推測されているようで、
ここも今年、再度調査されるようなので楽しみです。

この後、普門寺さんのご好意で普段は開放されていない
宝物庫を(釈迦如来坐像など重要文化財多数)見学させていただきました。
こちらは残念ながら撮影禁止なので画像はありません。