岡崎市鳥川町犬迫(いぬばさ)地区から子安堂峠を抜けて宮崎地区、あるいは
街道(現在の県道37号線)に出る道があったのではという仮説を実証出来ませんでしたが
次の道(峠)は多分間違いないはずです(笑)

イメージ 1

鳥川町より岡崎市から作手町に抜ける県道37号線の岡崎市淡渕町あたりに来ました。
この周辺に子安堂峠(向かって右方向から)を越えて出てくるのでは?と
考えていたのですが(くどいって)
前方に見えるのは岡崎市明見町(みょうけんちょう)の山で現在は右手の男川沿いに
車道が作られています。
しかし男川沿いは険しい崖下で、かつては、ここに道はなかったと思われます。
では、どこに道があったのか?前方の山越えの道が有ったと思われるのです。
それを今から確認に行きます。

イメージ 2

1枚目の画像の山に登る道が県道脇に見つかりました?
こんなヤブに道が見えるって、やっぱり普通じゃない?(笑)

イメージ 3

このような石碑もありました。
読み取りにくいのですが・・・「すぐ?  ほんぐう??」と読めます。
「ほんぐう」は、この先の古くからの信仰の山「本宮山」のことですね。
どうやら、この踏み跡が古道の跡に間違いないようです。

イメージ 4

予想では山をまっすぐに越えて最短距離を越えて行くと考えていましたが実際は
男川(現在の車道沿い)のすぐ上の崖上に古道が残されていました。
画像でもお分かりになるかと思いますが崖の岩を切り崩し大八車ぐらいなら
何とか通れるほどの道幅を確保していたようです。
右手は崖ですが木が生えていなかったら、かなり怖いと思います。

また、画像ではわからないかと思いますが足元には岩盤に打ち込まれた
アンカーボルト、ワイヤーが多数有ります。
これは、もちろん、崖下、車道への落石防止金属ネットを固定する為の物です。

イメージ 5

崖下をのぞくと・・・
手前には私の爪先が見えています。
そして、ほぼ垂直に近い古道の石垣、画面中央上のほうに車道、そして一番上に男川が見えています。
両足のつま先が見えていないのは20mぐらいはあろうかと言う崖にビビッて左足は、
ずっと後方にある為です(笑)

イメージ 6

崖上の岩盤を切り崩して作られた道に感動しながら進んでいくと
古道は川から離れ山側に進んで行きます。
この先、支流があり崖沿いに行かず男川から支流に少し入った所を道が通る為でしょう。
そして、峠が見えてきました。
少しでも峠越えが楽なようにと峠周辺は人為的に掘り下げられていました。

イメージ 7

峠手前で、右手を見ると、わずかながら平坦地があり石碑が建っていました。
石碑の上側には「宮崎街道之碑」と書かれていました。
やはり思ったとおり、ここが古道跡に間違い有りませんでした。
この古道、このあたりの中心地的(ここから北側にある)、山里「宮崎」の名前が付いて
「宮崎街道」と呼ばれていたのですね。
碑文は全て漢字で書かれていました。
「明治二十五年」の文字があり、この宮崎街道を整備したの
が明治二十五年である事がわかりました。
そして多分、昭和になってからでしょう、男川沿いに車の通れる道が作られ、
この旧?宮崎街道は忘れ去られていったのでしょう。
びっしりと漢字のみで書かれた碑文を、じっくり読んで、この先に見える「峠の名前」を
探しましたが残念ながら見つかりませんでした(笑)

イメージ 8

峠を越えて北側から見たところ。
やはり、かなり開削されて峠のピークが低められているのがわかります。
現在、従来の道部分を落石、倒木、間伐材が埋めてしまっていますが、
かつては大八車が通れる巾程度は、ここでも確保されていたようです。

ここまで来れば、あと少しで「妙慶」という地区の沢沿いの舗装道路に出られるはずです。
ところが、眼下に舗装道路が見えているのに降りる所がありません。
辿ってきた古道は舗装道路の工事の際、切り崩され高い位置でなくなっていました。
(妙慶地区の沢沿いの道を整備した時には、すでに古道は使われていなかったということでしょう)

イメージ 9

山中で輪行の準備をしているわけではありません(笑)

往復してみても、まともに降りられる所が見つからず、ついに奥の手?を久々に実行です。
自転車がなくて自分一人でも安心して降りられそうなところが見つからなかったのです。
以前、下の舗装道路側から古道を探したのに見つからなかったのは、
すでに崖上数メートルで断ち切られ入口が破壊されていていたからなのでした。

イメージ 10

まずは車輪を崖下に落とし、続いてフレームを木の枝や根っこに引っ掛けながら
少しずつ降ろします(笑)
この画像は最終段階で自分が先に林道まで降り木の枝に引っ掛けたフレームを回収するところ、
やれやれです。

やっとのことで舗装された林道に降りる事が出来ました。
この先には小さな沢があり、それを越えて山に入ると、いよいよ宮崎地区に
つながっているはずなのですが(古道の跡が)・・・
小さな橋と、その先は私有地で閉鎖されていた事と、ここまでの行程で
精神的に疲れてしまい、この先の「宮崎街道」探索はまた後日ということにしました(笑)

でも、旧道探索をあきらめたとはいえ、ここから、あっさり県道を帰ったわけでありませんよ。
舗装されているとは言え林道・鹿伏線、林道・金蔵線で峠(無名ながら10~15%が頻発?する)を
越えて車に戻りました。