5月7、8日は急に思い立って奈良にいってきました。
行ける時に、とりあえず行っておかないと(笑)
7日は「山辺の道」(やまのべのみち、「山の辺の道」とも書きます)を辿ってみました。

ここで「山辺の道」を超簡単(笑)にご紹介しておきましょう。
「山辺の道」は奈良から桜井に続く古代からの道です。
現在、南北を結ぶ国道169号線より東の山手に通っています。
なぜ、歩きにくい山の中を通っているのか?古代、治水工事もほとんど行われていなかった頃は
現在の国道169号線あたりは、まだ湿地が多くて歩きにくかった所もあったからなのでしょう。


今回は北の方のルートは、はぶいて名阪国道、天理東インター近くから南下します。
「山辺の道」は現在、「東海自然歩道」として整備紹介されていますが古代の道とは違う所も
、かなりあるようです。
また、あらかじめ、お断りしておきますが「山辺の道」南ルートというと、必ず出てくる、
お約束とも言うべき長岳寺、大神神社そして卑弥呼の墓ではないかとされる箸墓古墳などは
今回、立ち寄っていませんのであしからず。
そのかわり、普通の人は立ち寄らない?古墳などはたくさん出てきます(笑)

原則として北から南へ山辺の道を下り周辺の史跡をご紹介していきます。
その後、別ルートで折り返して、今度は南から北へ史跡をご紹介していきます。

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「山辺の道」を紹介するガイドブックに必ずと言っていいほど出てくる、この場所。
実際の場所は檜原神社と玄賓庵の間で、ずいぶんと南側にあります。
右に見える石塔がやや斜めになっているのが雰囲気があります。
これは、わざと、このように建てているのか、自然と傾いたのか?(笑)
(どの本の写真を見ても傾いています)

道は画像のような古道らしい所も多いのですが集落内の車も普通に通るところもあります。

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白川ダムからスタートし名阪国道を南に越えると、
すぐに「石上大塚古墳」(いそのかみおおつかこふん)があります。
全長107mの前方後円墳だそうですが樹木、竹が茂り近づいても遠ざかっても絵になりません(笑)

またすぐ近くに「ウワナリ塚古墳」128mの前方後円墳もあるのですが帰りに
寄るつもりで時間切れになってしまいました。

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さて、普通、「山辺の道」南ルートを北から歩くと言うと最初に立ち寄る
ポイントにする人が多いのが「石上神宮」(いそのかみじんぐう)
画像の楼門は重要文化財。

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楼門の中に入ると国宝の拝殿。

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石上神宮には、もうひとつの国宝があります。
ところが多くの人は先の拝殿に立ち寄っただけで、こちらには、あまり気がつかないようです。

この建物は「出雲健雄神社拝殿」(いずもたけおじんじゃはいでん)
中央に独特の空間を設けた割拝殿(わりはいでん)と呼ばれる形式だそうで
小ぶりながら優美な建物です。

そうそう、石上神宮の国宝と言えば、もう一つありました。
教科書などで剣身から左右に3本ずつ枝の出た「七支刀」(しちしとう)と言う剣を
見た覚えはありませんか?
あの剣、実は石上神宮の宝物なのです。

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かつて東大寺、興福寺、法隆寺などの大寺院につぐ待遇を受け隆盛を誇り
「西の京都」とまで言われたという「永久寺」の跡。明治の廃仏毀釈で
破壊されつくし何一つ残っていません。
千年近い歴史を持っていた寺院が明治になって失われた事が悲しいですね。
(1113~1117年建立とのこと)

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夜都伎神社(やつぎじんじゃ、やとぎじんじゃ)
珍しい茅葺の夜都伎神社拝殿。

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拝殿の、ひなびた、たたずまいとは対照的に朱色が鮮やかな夜都伎神社本殿

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中世の終わり頃、集落を自衛する為、堀を掘って作られたという環濠集落。
ここは竹之内環濠集落。
現在は画像の部分しか環濠は残っていないようですし、山辺の道すじに案内板は
出ているものの意外とわかりにくいので地元の方に聞いたほうが探すより早いかも。

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竹之内環濠集落から南に進むと、もう一つ残る「萱生町(かようちょう)環濠集落」
背景は「西山塚古墳」 114m 前方後円墳

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萱生町周辺には「萱生古墳群」があり、周辺には大小、数多くの古墳が存在します。
(萱生古墳群中山支群を含むと代表的な古墳は25基)
左、「ノムギ古墳」 現状63m 前方後方墳(前方後円墳ではなくて前方後方墳ね)、
右「ヒエ古墳」 130m 前方後円墳
(画像は南から見たところ)

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西殿塚古墳 234m 前方後円墳
手前側が前方部。西殿塚古墳は宮内省により手白香皇女(たしらかのひめみこ)
衾田陵(ふすまだりょう)に指定されています。

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西殿塚古墳のすぐ東側には「東殿塚古墳」 139m 前方後円墳があります。
画像の中央が東殿塚古墳後円部(後方部は左にのびる)で、
右手に、ほんのわずかに西殿塚古墳の後円部が見えています。
西殿塚古墳は宮内省により手白香皇女衾田陵に指定されていますので樹木に
覆われていますが西殿塚古墳の、ほとんどは柿畑になっているのが面白いですね。

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「下池山古墳」 125m 前方後方墳
37,5cmと大きな鏡「内行花文鏡」(ないこうかもんきょう)が見つかった事でも有名。

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「燈籠山古墳」(とうろうやまこふん) 110m 前方後円墳
この古墳が面白いのは画像で見える墓地の部分が古墳の「前方部」であること。
(画像には写っていませんが右手には念仏寺があります)
左手に丸く盛り上がるのが、もちろん「後円部」です。

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燈籠山古墳の後円部から見た「中山大塚古墳」 132m 前方後円墳
手前が後円部。反対側の前方部には神社があり削られています。

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中山大塚古墳、前方部にある「歯定神社」(はじょうじんじゃ)
ここには「大和神社御旅所」(おおやまとじんじゃおたびしょ)の由来がありますが
私には良くわかりません。

「山辺の道」は、まだまだ、続きます(笑)
※古墳の大きさ、形は参考にした資料の後の調査などによって改められている場合があります。
※私の間違いなどありましたら、遠慮なくご指摘くだされば幸いです。