前回よりの続き

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右手に見える森が「行燈山古墳」(あんどんやまこふん) 
242m(周濠まで含めると360m) 前方後円墳

奥左手に見えるのが「天神山古墳」 103m 前方後円墳 
二つの古墳の間には「アンド山古墳」、「南アンド山古墳」等、その他、
周辺にはいくつかの古墳があります。
行燈山古墳は宮内庁により「崇神天皇陵」とされています。

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先の行燈山古墳に並ぶ巨大古墳が左の「渋谷向山古墳」(しぶたにむかいやまこふん) 
300m 前方後円墳
右は「上の山古墳」 144m 前方後円墳
渋谷向山古墳は宮内庁により「景行天皇陵」とされています。
この画像では渋谷向山古墳の大きさが感じられませんので全景を下にアップします。

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南から見た渋谷向山古墳

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先の渋谷向山古墳の撮影ポイントから北に振り返ると「赤坂古墳」 詳細は不明

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渋谷向山古墳を過ぎると「珠城山古墳群」(たまきやまこふんぐん) 
画像に見えているのは、もともと丘陵で、ここに3基の前方後円墳が存在したとのことです。
しかし3号墳は、近年、土取りの為、滅失したとのこと。

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檜原神社(ひばらじんじゃ)
鳥居が珍しく二本の柱に注連縄(しめなわ)が張られているだけですね。

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檜原神社には拝殿も本殿もなく「三ツ鳥居」があるのみ。
檜原神社は「元伊勢」と呼ばれます。
(由来に興味ある人は各自調べてね)

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檜原神社の南には「玄賓庵」(げんぴんあん)
ここは興福寺の高僧だった玄賓が周りの堕落した僧に耐え切れず隠遁した場所。

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玄賓庵の南には「月山日本刀鍛錬道場、記念館」があります。
歴代の月山鍛冶の作品を無料で見る事が出来ます。
(土曜日のみ開館。1、2、8、12月は休館)
売り物の脇差もありましたよ(2百5十万円でした)

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大神神社の摂社、「狭井神社」(さいじんじゃ)
狭井というのは神聖な泉という意味があるのだそうで古代から信仰を集めていたそうです。
その泉は、どこにあるのでしょうか?

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拝殿の向かって左手奥にありました。
ここが御神水をいただく事が出来る薬井戸です。

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突起部分の先端に金属製のボタンがあって、そこを押すと下から御神水が流れます。
ステンレスのコップは、すぐ右手に掛かっていますので狭井神社にお越しの際は、
霊験あらたかな御神水を、ぜひ味わってください。

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大神神社の摂社、「若宮神社」(わかみやじんじゃ)
この神社の祭神は出雲神大物主神の子 
大直禰子(おおたたねこ)(大田田根子とも書きます)だそうです。

さて、今回は大神神社をスルーして先に進みます(何度も以前、立ち寄っているので)。

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大神神社の神宮寺、「平等寺」(びょうどうじ)
ここも廃仏毀釈で衰退したそうです。

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いよいよ、山辺の道も終わりに近づいて来ました。
金屋集落のはずれ(北側)に重要文化財の「金屋石仏」(かなやせきぶつ)が
コンクリートの収蔵庫に納められています。
収蔵庫の柵の隙間から撮影します。
2mほどの石製板材に彫られた石仏です。
この材料は、古墳の石棺の蓋を利用したものだといわれています。
余談ながら大和の古墳には立派な石室がありながら石棺を失った古墳が、かなり多くあります。
(もちろん、木棺などの古墳もあり、全ての古墳に石棺が納められていた訳ではありません)
こうした石棺の石材は、いろいろな物に使われているようです。


金屋を過ぎ、これで、とうとう大和川(初瀬川)に到達しました。
山辺の道は、このあたりで終わりです。
この後は北上しながら往路で立ち寄れなかった場所を探索しながら天理(白川ダム)まで戻ります。


「山辺の道」探索は、まだ、続きます(笑)
※古墳の大きさ、形は参考にした資料の後の調査などによって改められている場合があります。
※私の間違いなどありましたら、遠慮なくご指摘くだされば幸いです。