※前回よりの続き

前回、ご紹介した真弓鑵子古墳、牽午子塚古墳は遺跡に詳しい観光ガイドなどには載っていますが、
これから訪ねる古墳は観光ガイドはもちろん、歴史関係の本にもあまり載っていません。
場所は先の古墳から西側、貝吹山の南麓にある古墳です。

イメージ 1

乾城古墳(かんじょこふん) 円墳? 約20m
長い間に墳形も判断出来なくなるほど大きく削られてしまっています。

イメージ 2

乾城古墳、石室の上の土砂も崩れ落ち始め危険な状態でした。

イメージ 3

石室の天井が極めて高い、その他の構造的特徴から渡来系の人物の墓とする説もあります。

イメージ 4

乾城古墳の北西に見えるのが「与楽鑵子塚古墳」(よらくかんすづかこふん) 円墳? 径約24m 
乾城古墳と、ほぼ同時期に作られたと考えられているそうです。

さて、次の目的地を目指して一気に西へくだります。

イメージ 5

高取町草木集落の裏手の山にある「斉明天皇陵」
ここは宮内庁により「斉明天皇陵」とされています。
しかし昨年の発掘調査により研究者の間では「真の斉明天皇陵は牽午子塚古墳である」
と言う意見がほとんどになっています。

イメージ 6

今度は高取町佐田の集落に向かいます。
北に向けて登っていくと左手の山に見えてくるのが「岡宮天皇陵」
ここは宮内庁により 岡宮天皇 草壁皇子の陵墓とされています。
しかし、研究者の間では、この後に訪ねる古墳こそ真の草壁皇子の陵墓であろうとされています。

イメージ 7

集落の中の車も通れない細い道を抜け神社への急な階段を
登った所にある「束明神古墳」(つかみょうじんこふん)八角形墳 対角約30m
研究者の間では、ここが「天武天皇と持統天皇の間に生まれた草壁皇子の墓」
の可能性が高いと言われています。

イメージ 8

幕末、岡宮天皇(草壁皇子)の御陵を定める為、役人が来ることになったのだそうです。
その際、御陵になると周辺の村が強制的に移転させられると言う噂が流れ
村人は古墳の周辺を壊したり羨道の石材を抜いたと言われています。
(陵墓にふさわしくない大きさに見せる為?)

イメージ 9

最後に訪ねたのが明日香村真弓にある
「マルコ山古墳」 六角形(八角あるいは円墳とする説も) 対角約24m
読んでくださっている方には判りににくいかと思うのですが・・・
ぐるっと回ってきて、今まで紹介した岩屋山古墳、真弓鑵子古墳、牽午子塚古墳等の近くになります。

ここは天皇陵特有の八角形古墳と思われた時期もあり、
また石槨に漆喰が塗られていると高松塚古墳同様、壁画古墳ではないかと
期待され発掘されましたが残念ながら壁画はありませんでした。
しかし、いずれにしても皇族クラスの墓ではないか?とする説が今でも多いようです。

※今回の古墳巡りはこれで終了です。
※古墳の大きさ、形は参考にした資料の後の調査などによって改められている場合があります。
※私の間違いなどありましたら、遠慮なくご指摘くだされば幸いです。