15日、三つ目の峠は箱山峠といいます。
実は更科峠のすぐ北側にある峠なので距離は知れています。
実は更科峠のすぐ北側にある峠なので距離は知れています。
ただ、箱山峠は結局、車が通れなかった峠と聞いていますので更科峠以上に
廃道化を恐れていた峠なのです。
さて、どうなるのでしょうか?
廃道化を恐れていた峠なのです。
さて、どうなるのでしょうか?

あの低いところを越すのが箱山峠の場所のようです。
いったん軽く下りますが標高差は、わずかですね。

近くまで行くと古い?地形図にはない広い道が出来ています。

広い道をたどって進むと・・・あれ、トンネル出来てんじゃん!(笑)
トンネルの上に見える白いパイプのところが旧道かと思って行ってみると・・・
あれ、違いました。
トンネル手前から畑の間を左に登って入るのが正解でした。
(画像の位置より百m?ほど手前)
あれ、違いました。
トンネル手前から畑の間を左に登って入るのが正解でした。
(画像の位置より百m?ほど手前)

入口さえわかればルートは問題なく?、すぐに箱山峠(標高548m)につきます。
ただ、峠手前から道のぬかるみが、すごく靴、自転車がどろどろに
なってしまったのには閉口しました。
(車に戻る前、ふもとに下り水が綺麗で豊富な側溝で洗う事が出来た)
この峠は1739年に開削され1813年には俳人 小林一茶も越えたのだそうです。
(中野市側から箱山峠を超え湯田中地区の湯本旅館に泊まったらしい)
その時、箱山を詠んだ句が・・・
「なを暑し今来た道を寝て見れば」だそうです(定本 信州百峠による)
画像は東から西側を見たところ。
(中野市側から箱山峠を超え湯田中地区の湯本旅館に泊まったらしい)
その時、箱山を詠んだ句が・・・
「なを暑し今来た道を寝て見れば」だそうです(定本 信州百峠による)
画像は東から西側を見たところ。

この峠、大きな岩を切り崩して改修されたりしたようですが結局、車は通れずじまいで
現在は峠直下にトンネルが作られ忘れ去られてしまったようです。
向かって左側は切り崩されたような岩肌でしたが
右の岩は自然のままなのか滑らかに感じられました
画像は東から西側を見たところ

西側から見た箱山峠。

箱山峠の西側にはハイキングコースも作られていますが残念ながら通る人は
ほとんどいないようでした。
「鴨ヶ嶽城跡まで754m」などと書かれています。
1m単位まで書かれているのは、面白いですね。
さて、渋峠、更科峠、箱山峠と三つの歴史ある峠を順調に越える事が出来ました。
※今更ですが・・・
更科峠を東から登って西に下り、西から箱山峠を登ればよかったですね。
そうすれば両峠の西側の道、西側の地形、西側の集落の様子も感じる事が出来たのですが。
まあ、箱山峠が西側から無事に越えられないと車まで戻るのに体力がないかも?
と不安だったからなのですが(笑)
更科峠を東から登って西に下り、西から箱山峠を登ればよかったですね。
そうすれば両峠の西側の道、西側の地形、西側の集落の様子も感じる事が出来たのですが。
まあ、箱山峠が西側から無事に越えられないと車まで戻るのに体力がないかも?
と不安だったからなのですが(笑)
車に戻り休憩の後、車で少し移動し明日(16日)の下見に行きます。
そこは・・・長野県下水内郡栄村です。
東北の震災の影で忘れられがちですが東北の地震直後、3月12日、
最大震度6強に襲われた被災地です。
東北の震災の影で忘れられがちですが東北の地震直後、3月12日、
最大震度6強に襲われた被災地です。
長野県北部の峠、野尻坂峠、古海峠は(長野県側からだと)栄村を通る
国道117号線から入って行くのです。
(峠に至るルートは長野県側からも、2、3あるですが)
国道117号線から入って行くのです。
(峠に至るルートは長野県側からも、2、3あるですが)
さて、国道117号「ひらたき地区」から峠に向かう道に入ると・・・
すぐに、この状態でした。
すぐに、この状態でした。


国道は5月に訪れた時より、だいぶ状態は良くなったようでしたが
(それでもまだ影響は残っていました)国道から入ったこの道は、
まだ、ほとんど手つかずのようでした。
この集落を抜けると、すぐに「関係者以外立入禁止」の標識で道路は封鎖されており、
今回も野尻坂峠、古海峠行きは断念しました。
(すでに19時過ぎなので更に遠い他のルートは探索しなかった)
今回も野尻坂峠、古海峠行きは断念しました。
(すでに19時過ぎなので更に遠い他のルートは探索しなかった)
では、16日はどこに登ることにしたのか?
それよりなにより、渋峠の疲れは明日までに取れるのか?(笑)
それよりなにより、渋峠の疲れは明日までに取れるのか?(笑)
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