体調不良で梨平峠、平丸峠を、あきらめて向かった遺跡は・・・
千曲市「森将軍塚古墳」(千曲市森将軍塚古墳館)です。
千曲市「森将軍塚古墳」(千曲市森将軍塚古墳館)です。
古墳館で(自販機にて)観覧券を買おうとすると古墳までは
片道200円のバス(古墳館のみなら200円)が出ているとあります。
片道200円のバス(古墳館のみなら200円)が出ているとあります。
「古墳まで有料バス?それも片道200円も??」、
「往復+観覧券なら500円(100円割引)???」、
「古墳が、そんなに離れているなら自転車で行けばいいや」
と古墳館観覧券のみ購入しました。
これが後で、おおいに後悔する事になるのですが・・・(笑)
「往復+観覧券なら500円(100円割引)???」、
「古墳が、そんなに離れているなら自転車で行けばいいや」
と古墳館観覧券のみ購入しました。
これが後で、おおいに後悔する事になるのですが・・・(笑)

見学は2階から見はじめるようになっています。
石室が精巧に復元されています。

森将軍塚古墳の大きさ(100mほど)は全国的に見れば、特別に大きいわけではありません。
しかし、竪穴式石室は日本最大級の規模を誇ります。
その石室が再現されていました。
2階の見学を終え1階に降りて行くと先ほど上から眺めた石室を内部から見る事が
出来るようになっていました。
(撮影禁止とは特になかったようなので画像を撮りました)
さて、古墳館の見学を終え受付の女性に古墳までの道を尋ねると・・・
「古墳までは歩いて20分ほどかかります」、「もちろん一般車輌は入れません」とのこと。
「それなら自転車は?」と聞くと「一般者の方は公園内、歩きのみです」と言う。
「まあ20分と言っても女、子供を考えてのことだろう」とルートを確認して外に出ると・・・
「古墳までは歩いて20分ほどかかります」、「もちろん一般車輌は入れません」とのこと。
「それなら自転車は?」と聞くと「一般者の方は公園内、歩きのみです」と言う。
「まあ20分と言っても女、子供を考えてのことだろう」とルートを確認して外に出ると・・・

この山の頂上が古墳でした!
(頂上に古墳の石積が見えている)
森将軍塚古墳が長野県を代表する古墳だと言うことは、もちろん知っていましたが、
こんな尾根の上にあるとは不勉強で知りませんでした。
この日、長野県は猛暑で気温は36度前後とラジオで言っていました。
これなら有料バスで行けば良かった・・・・
受付の若い女性に歩きで行くと言い「お気をつけて」と送られた手前、今更、バス券を
買いには行けず(笑)
自然を楽しみながら古墳の立地、古墳作りに携わった人達の苦労を感じながら歩いて
行くことにしました・・・
(古墳のある山を含め古墳館、隣接して県立歴史館が作られ山全体が歴史公園になっている)
これなら有料バスで行けば良かった・・・・
受付の若い女性に歩きで行くと言い「お気をつけて」と送られた手前、今更、バス券を
買いには行けず(笑)
自然を楽しみながら古墳の立地、古墳作りに携わった人達の苦労を感じながら歩いて
行くことにしました・・・
(古墳のある山を含め古墳館、隣接して県立歴史館が作られ山全体が歴史公園になっている)

バスが行くのですから舗装道路がありますが・・・もっと、近道があります。
ただし、こんな急な階段です。
疲労でサイクリングを泣く泣く、あきらめて遺跡見学に来たはずなのに、
まさか、こんなヒルクライム?があるとは(笑)
まあ、林間なので日陰があり、途中、休憩所、水飲み場所などが整備されているのが、救いです。
(ルート選択によっては2号墳等を見学しながら登る事も出来ます)

汗を流しながら登っていくと偉容を誇る古墳が見えてきました。
ちなみに「森将軍塚古墳」と呼ばれていますが葬られている人は誰かは判っていません。
(森と言うのは地名)
偉い人=将軍と言うことで、このように呼ばれていたようですが将軍と言うよりも
「当時の科野のクニを治めていた王の墓」と考えた方が良いのでしょう。
(森と言うのは地名)
偉い人=将軍と言うことで、このように呼ばれていたようですが将軍と言うよりも
「当時の科野のクニを治めていた王の墓」と考えた方が良いのでしょう。


「前方部」側から。
森将軍塚古墳は前方後円墳(全長約100m)で約1600年ほど前(4世紀代)に
作られたと考えられているようです。
古墳館で見た竪穴式石室は後円部(この画像の奥側、高いところ)内部に作られていました。
また、尾根に作られていてスペースの問題があったのか後円部と前方部の主軸が
大きくずれているのが、この古墳の特徴です。
(前方部の中心線に対して後円部の中心線は大きく右にずれる。したがって上空から見れば、いびつ)
大きくずれているのが、この古墳の特徴です。
(前方部の中心線に対して後円部の中心線は大きく右にずれる。したがって上空から見れば、いびつ)

後年、古墳の埴輪を、お棺として利用して埋葬された遺構が前方部や古墳周辺に、
かなりの数あるそうです。
これも、その一つの復元模型です。
古墳の被葬者の家族、一族、子孫なのでしょうか?

古墳の後円部に登ってみると、この景色が広がります。
この地には古墳時代にも多くの人々が暮らしていたはずです。
王および王家の偉大さを国中の人々に(また、ここを通る他国の人にも)知らしめる為に、
国中から見える、この高いところに巨大な墓を築いたのだろうと言うことが素人にも推測されます。

下に見えるのが古墳館です。
この標高差を初めから知っていたら私もバス代をケチることはなかったでしょう(笑)
よほど歩きたい人、以外は、ぜひ見学バスを利用することをお勧めいたします。
この画像では、ほとんど写っていませんが左手に長野県立歴史館があります。
当初は、こちらも見学するつもりでしたが古墳への登り降りで消耗し今回は見学できませんでした(笑)
当初は、こちらも見学するつもりでしたが古墳への登り降りで消耗し今回は見学できませんでした(笑)


ふもとには長野県立歴史館の地下から発見された集落跡をもとに推定された
古墳時代の村が復元されています。
※終わり
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