昨年末、奈良県明日香村に遺跡の現地説明会(2011.12.3)があり行ってきました。
年末年始の忙しさ?から記事としてアップ出来ずにいましたが自分としては
注目していた遺跡なので遅ればせながらアップしておきます。


その遺跡は「飛鳥京跡苑池」(あすかきょうあとえんち)といいます。
この遺跡、明日香の中心といっても良い場所にありながら遊歩道にも案内板が出ていません。
(有名な史跡、「伝飛鳥板蓋宮跡」、「甘樫の丘」、「橘寺」、「飛鳥寺」に囲まれた辺り)
昨年、探し当てたところ、現地には説明板が出ているものの遺構は埋め戻され水田になっていました。
(それは行く前から予測していましたが)
では遺跡が多く存在する明日香村で遊歩道に案内板も出ていない遺跡に惹かれるのか?
(史跡、名所案内地図にも載っていない物が多い)
それは発掘時の遺構の壮観さ(写真で見ると)と1916年に現地から発掘されたと言う
巨石石造物の迫力からなのです。
この遺構、1999年から今回が6回目の発掘調査とのこと。
今なら以前、訪ねた時、水田になっていた所も掘り返され壮観な庭園跡が見られるそうなので、
これは行かない訳にはいきません(笑)

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今回は行列に並ぶと言うことはありませんでしたが説明時間30分以上前から熱心な考古学ファンが。

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今回の調査区域、全景(北東から)
配布された資料には「南池東半全景」とありました。
史跡は、この区域外(特に北側)にも広がっています。
(以前の調査で北池、渡堤、水路などの遺構が確認されています)

飛鳥京跡苑池とは何なのか?と思われる方もお見えになるでしょう。
ごくごく簡単に、ご説明すると
池底に石を、びっしり敷き詰め流水、噴水施設などを持った
「飛鳥時代の庭園遺跡」なのだそうです。
(飛鳥京跡苑池、天武天皇が685年行幸したとされる白錦御苑の可能性もあるといわれる)

画像の平坦な低い所が石を敷き詰めた池の底、中央の石積みは島?半島?
画像左手は石を積んだ土手。

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先ほどの画像の左手奥。
左手前に見えるハリボテは1999年に見つかった噴水と思われる流水施設石造物。
(現在は橿原考古学研究所にあり現地にはない)
そして有名な「出水酒船石」は、この画像右端手前(向きが悪く字が読めないカードが
立っているところ)から1916年に見つかったのだそうだ。
(出水酒船石は岡酒船石とは別物)

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これが現在、飛鳥資料館にある出水酒船石のレプリカ。
1916年に撮影されたと思われる有名な写真は、もっと迫力?があります。
(出水酒船石の現物は京都市東山の超高級?別邸 碧雲荘の庭石として使われています)
この石が上の画像の右側にあり噴水施設に水を流していたようです。
出水酒船石は有名な白黒写真があり、いろんな本に載っていますが今回、発掘説明会で
研究所の方に伺ったところ、
「あの写真は発掘後、場所を少しだけ西側に移して仮置きして撮影したもの」
とのことでした。

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石槽と呼ばれる石造物が以前出たところ。

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南池の西側から東側を見たところ。

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島状?、半島状?の積み石。
普段は人が立っているところまで埋め戻され保存されています。
(調査時以外に現地に行っても昨年の私のように遺構は見学できません)


現在は、普段、水田(私有地)ですが今後、遺跡として整備、活用されていくのでしょうか?
もし遺跡公園?として整備されるなら碧雲荘の庭石となっている出水酒船石も
戻してほしいものです。
でも、あちらの庭園も既に文化財級?の評価のようなのと個人蔵?という事らしいので
返還は難しいのでしょうか。