佐記盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)を目指します。
佐記盾列古墳群では60以上の古墳が確認されているようで中でも前方後円墳が17基、
そのうち全長200mを越えるものが8基もある巨大古墳群です。

交通量の多い国道24号線を北上すると目の前に現れる巨大古墳。
まずは全長約255mの前方後円墳、ウワナベ古墳です。
佐記盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)と呼ばれる奈良県北部の古墳群です。
佐記盾列古墳群では60以上の古墳が確認されているようで中でも前方後円墳が17基、
そのうち全長200mを越えるものが8基もある巨大古墳群です。

交通量の多い国道24号線を北上すると目の前に現れる巨大古墳。
まずは全長約255mの前方後円墳、ウワナベ古墳です。
佐記盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)と呼ばれる奈良県北部の古墳群です。
ウワナベ古墳は江戸時代には元明天皇陵とされていた事もあったそうで、現在も
宮内庁は陵墓参考地として管理、その為、学者による調査、立ち入りもできません。
陵墓参考地という形で、あやふやなまま管理するなら日本の歴史解明の為にも調査しても・・・
宮内庁は陵墓参考地として管理、その為、学者による調査、立ち入りもできません。
陵墓参考地という形で、あやふやなまま管理するなら日本の歴史解明の為にも調査しても・・・

ウワナベ古墳の西に航空自衛隊の敷地を僅かにはさんで、あるのがコナベ古墳。
全長約207mの前方後円墳です。
コナベ古墳も江戸時代には元正天皇陵とされていた事もあったそうで、
ここも陵墓参考地になっています。


コナベ古墳の、すぐ北側にあるのがヒシアゲ古墳。
全長約219mの前方後円墳。
巨大古墳が次々現れます。
ここは、宮内庁により仁徳天皇の皇后の陵墓(平城坂上陵)とされており調査できませんが
外堤の調査では円筒埴輪列が発見されています。
(もちろん、画像の円筒埴輪はレプリカ)
多くの天皇陵、皇后陵などがそうであるように、ここも被葬者に関して学会では疑問視されています。
(宮内庁の陵墓の治定は江戸時代などの古い資料を基にされている為らしい)
ヒシアゲ古墳は巨大なのですが内濠の周りが林になっているところが多く
全景の画像が撮れませんでした。

ヒシアゲ古墳の北側を回ってから南下。
次の古墳を探していると、あれっ、平城京跡に出ました。
(今回は平城京跡はスルーです。 笑)
外堤の調査では円筒埴輪列が発見されています。
(もちろん、画像の円筒埴輪はレプリカ)
多くの天皇陵、皇后陵などがそうであるように、ここも被葬者に関して学会では疑問視されています。
(宮内庁の陵墓の治定は江戸時代などの古い資料を基にされている為らしい)
ヒシアゲ古墳は巨大なのですが内濠の周りが林になっているところが多く
全景の画像が撮れませんでした。

ヒシアゲ古墳の北側を回ってから南下。
次の古墳を探していると、あれっ、平城京跡に出ました。
(今回は平城京跡はスルーです。 笑)

平城京遺跡の北に接するようにあるのが平城天皇陵(楊梅陵)、ただ一般的には
市庭古墳と呼ばれています。
この古墳、航空写真や地形図で見ると円墳のように見えるのですが周辺の調査により
全長約252mもある巨大な前方後円墳なのだそうです。
これは南側の平城京造営の際に前方部が削られてしまったようです。
ただ、そうなると平城京造営以前にあった古墳が、その後の平安時代の平城天皇の陵墓とするには
無理があり(年代的に合わない)否定的な意見が学会では多いようです。

先に書いたとおり平城天皇陵(市庭古墳)で現在残るのは、前方後円墳の円墳の部分のみ。
ここから、かつては更に後方部がのびていたらしい。

日曜日の夕方、賑わうショッピングセンター出入口に辟易としながら県道52号線に出ると
左手にいきなり?拝所が見えます。
ここが第46代・孝謙天皇陵(高野陵)(後に再度、即位して第48代・称徳天皇)でした。
ただ孝謙天皇は前方後円墳の作られなくなった8世紀の人物であり天皇陵と呼ぶよりは
一般的な佐紀高塚古墳と呼ぶべきでしょうか。
全長約127mの前方後円墳だそうです。
画像では長閑に見えますが背後は交通量の多い県道52号線、向かって右手は
ショッピングセンターで混雑しています。

この周辺は、古墳が連なっていますが特に、佐紀高塚古墳、佐紀石塚古墳、佐紀陵山古墳は、
ほとんど、「ひしめき合う」と言ってもいい状態です。
上の画像が、そのなかの佐紀石塚古墳。
ここは宮内庁により第13代・成務天皇陵(狭城盾列池後陵)とされています。
全長約218.5mの前方後円墳。
画像は濠の外側の拝所から見た古墳の後方部ですが・・・
この画像では、どこの古墳かも判りませんね。
(日暮れが近く時間がなかったのと大古墳が隣接しているなどで引いた画像が取れなかった)

左手が成務天皇陵(狭城盾列池後陵)(佐紀石塚古墳)、右手が佐紀陵山古墳。
このように道をはさんで両古墳の周濠があるほど隣接しています。

成務天皇陵(狭城盾列池後陵)(佐紀石塚古墳)の東側に隣接する、佐紀陵山古墳の拝所。
こちらは垂仁天皇の皇后(日葉酢媛命)の狭木之寺間陵とされています。
全長約206mの前方後円墳。


佐記盾列古墳群の北西にある大古墳。
仲哀天皇神功皇后陵(狭城盾列池上陵)、佐記盾列古墳群で一番大きな前方後円墳で
全長約275mもあるそうです。
一般的には五社神古墳(ごさしこふん)と呼ばれています。
遠景は古墳、北東側から見たところ。
右が後円部、左が前方部分。
この古墳も陵墓として宮内庁の管理にあり立ち入りは出来ませんが、短時間ながら例外的?
に立ち入り調査が実施されています。
なってしまいました。
ここから車までは距離の近い奈良市街地(交通量が多い)を通っても15キロ程度あり、
完全に暗くなるもでの時間を考えても、もう戻らないといけません。
ということで今日はこれまで。
やはり、最低、あと1時間早く走りだすべきでした(笑)
(結局、車に戻ったのは18時40分頃)
やはり、最低、あと1時間早く走りだすべきでした(笑)
(結局、車に戻ったのは18時40分頃)
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