次に向かったのは前波三ツ塚から南に1キロほどはなれた自然丘陵にある
御隠山古墳群(みかくしやまこふんぐん)です。
現在、周辺は「歴史と文化の森」という公園になっています。
その中の歴史ゾーンに二基の古墳があります。

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両側が古墳で中央は古墳ではありません。
中央の整地された部分は、かつて使われていた上水道施設(貯水槽)の跡のようです。

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北側にあるのが御隠山御嶽古墳です。
古墳時代前期の二段築成の円墳(直径36m)だそうで、過去の調査で多くの副葬品が
発見されているそうです。

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御隠山御嶽古墳は上部に御嶽の神社が祭られている為、付いた名前だそうです。

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南側が御隠山白山古墳。
こちらは(左手の奥)、かつて白山神社が祭られていた為、
このような名前で呼ばれているそうです。

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御隠山白山古墳は、やはり古墳時代前期の二段築成の円墳(直径42m)だそうです。
こちらも、過去に多くの副葬品が発見されているそうです。

両古墳とも現在見ると、それほど大きく見えませんが比較的、大型の円墳でした。
そのうえ両古墳とも多くの副葬品が発見されています。
そして、先に見た前波三ツ塚と時代的には、ほぼ同時代とのことです。

これは、何を表しているのでしょうか?
前波三ツ塚は平野部にあり前方後円墳2基(+前方後方墳)、
対して御隠山古墳群は丘陵上にあり円墳、ただし副葬品は、とても立派だった。
私が妄想するに・・・前波三ツ塚は前方後円墳(大古墳の長塚古墳もある)が主体ということで
ヤマト政権との密接な関係を持つ人物の墓、ということが想像されます。
また円墳でありながら副葬品の豊富な御隠山古墳群はヤマト政権との結びつきは
前波三ツ塚の一族?よりは希薄なものの地元豪族の墓・・・
まあ、素人考えなんですけど(笑)

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御隠山の二基の古墳からは少しはなれていますが(500mくらい?)南西に向かうと
次の古墳が見えてきます。

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こちらは古墳時代後期の円墳(直径約30m)、熊野古墳です。
天井石、石室の石材が露出していて、かえって、すごさが伝わってきます。

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最初に見てきた次郎兵衛塚1号墳とは違い使われているのは丸い川原の石ではなく、
ごつごつした山の石が使われています。
(次郎兵衛塚1号墳からの距離は3、4キロほど遠い程度に過ぎないのですが)

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古墳時代後期古墳ということで立派な横穴式石室(全長約13m)です。
内部には入れませんが石室内が観察できます。


まだまだ、可児盆地は考古学ファンを楽しませてくれる遺跡があります。
東南へ自転車を走らせましょう。

※つづく