「日吉神社から西の民家の畑にある」という古墳を探しに先ほど
走ってきた道を戻ります。

来る時、気が付かなかったので、きょろきょろ両側を見ながら戻ります。

気になる場所はいくつかありましたが決め手がありません。
あきらめかけた時に民家の倉庫前に遺跡の案内看板を見つけることが出来ました。

ちょうど良いことに民家の方が古墳の上の木の枝を刈っています。
早速、声を掛けて古墳見学の許しをいただきます。

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道路側から見た不幸寺塚古墳(ふこうじづかこふん)

道路から少し入っている上に畑や倉庫の影なので、最初通ったときには
気がつかなかったのでした。
古墳時代後期の横穴式石室を持つ円墳(直径約20m)だそうです。
ただし、現状3分2ほどは失われていて当時の形をとどめていません。
案内板には明治時代には「人骨、金環、銀環、などが石棺内にあった」と
書かれていますが現在は何もありません。
「石室内には直刀」などの記述もありましたから当時は石室も、
もう少し原形を留めていたようです。
民家の方に伺うと
「戦後の、どさくさ時に盗掘にあったらしい」
とのことでした。
重要な遺物が、つい戦後まで残っていたのに散逸してしまったのは
非常に残念なことです。
(古墳自体は、その民家より可児市に寄付されたとのこと)

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民家敷地に入れてもらい石室入り口、やや側面側より。
画面左手の土がほとんど失われ石室の石材が見えています。
細かな石を使った積み石は後の物で古墳築造時のものでは有りません。

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石室入り口を見ます。
石室上部の天井石が何枚か失われていますが石室入り口付近の天井石は
残っており門のようになっています。

奥に見える自然石のような石が石棺です。

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石棺には盗掘者があけたのでしょうか?
直径10センチほどの穴があいています。
石棺は凝灰岩質砂岩で作られており外観は自然石のまま、のように見えますが・・・

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穴からカメラを突っ込みフラッシュ撮影を試みました。
外観は自然石のままのように見えた石棺も内部は綺麗に整形されて
積み上げられていることがわかります。
この2枚の画像では、どこから盗掘者が入ったのか、わかりません。
(民家の方にも聞き忘れました)

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墳丘の上に登らせてもらいました。
石室上部の天井石が、すっぽり失われていることがわかります。
(中央、草が生えている所が石室内)

※可児市、古墳めぐりサイクリング終わり。