
倒木、雪などに悩まされながらも幸い道跡らしきところは続き、
いよいよ尾根には峠らしき場所が、はっきり見えてきました。

さらに近づいていくと尾根にしっかり切通しが作られており、
いずれにしても峠道に違いはなさそうです。

そして切通しに。
依然来たときに反対側から見たはずの
仏坂峠の(記憶にある)イメージとは違いますが・・・

西側に回ると信州往還 仏坂峠に間違いありませんでした。
画像、右手の崖の上から東海自然歩道が尾根伝いに、ここまで来ています。
10年ほど前でしょうか、一度尾根伝いに、ここまで来たはずですが、
その時の記憶とはずいぶんイメージが違っていました。
その時の記憶とはずいぶんイメージが違っていました。
まあ、10年ほど前に来た時は東海自然歩道を一日、MTBを押し担ぎして
薄暗い冬の夕暮れに峠に到着。
(途中、タイヤサイドが切れて応急処置、また古いビンディングシューズの
靴底がはがれるというトラブルもあり疲れ切っていた)
薄暗い冬の夕暮れに峠に到着。
(途中、タイヤサイドが切れて応急処置、また古いビンディングシューズの
靴底がはがれるというトラブルもあり疲れ切っていた)
峠から東には降りていく道は、雑木が茂り踏み込む場所もないぐらい
もっと荒れていたように感じられました。
もっと荒れていたように感じられました。


仏坂峠の名前の由来。
ただ、石仏は心無い人に持ち去られてしまったものも多いようです。
これから下る西側の道が特に険しく足を踏み外したり荷物が崖に接触したりして
バランスを崩し多くの馬が犠牲になったようです。
バランスを崩し多くの馬が犠牲になったようです。
たとえ生きて道に引き上げられたとしても大きな怪我や骨折があれば仕事にはなりません。
その為、家族同然、大切な馬も泣く泣く処分され、その肉は荷物を拾い上げるのを
手伝った仲間に分けられたとのことです。
その為、家族同然、大切な馬も泣く泣く処分され、その肉は荷物を拾い上げるのを
手伝った仲間に分けられたとのことです。

それでは峠を後にして西側に下ることにします。
こちらは東海自然歩道ですから気楽に下れるはずです・・・

画像でも、お分かりになるでしょうか?
自然歩道ですが、かなりの急坂です。

大雪のせいでしょうか?それとも強風のせいでしょうか?
こんなところが自然歩道だけでも数か所ありました。
(2月の初めに来た時には、こんな場所は、なかったとハイカーに聞きました)
(2月の初めに来た時には、こんな場所は、なかったとハイカーに聞きました)

低い位置に車道が見えてきました。
こんなところを荷物を積んだ馬で下るのは大変だったはずです。

急な坂を下るのですが足が滑って右のワイヤーをつかまずには降りられませんでした。

最後は階段で車道に降りますが階段も積もった雪で怖かった(笑)
自転車を持って行くことはできませんでしたが無事、
信州往還 仏坂峠の上部?を超えることができました。
信州往還 仏坂峠の上部?を超えることができました。

さて自転車まで戻らなければなりませんが・・・
来た道を戻る気にはなりませんので(笑)
まあ、トンネルを歩いて戻ることにしましょう。
まだ少し早いので、もう少し周辺を探索していくことにしましょう。
東海自然歩道を、かしやげ峠(武田信玄が敗走したという)経由で鞍掛山に
登るという案が浮かびましたが、道標で調べてみると
これは、ちょっと距離がありそうです。
登るという案が浮かびましたが、道標で調べてみると
これは、ちょっと距離がありそうです。
でも、せっかくなら古道の峠に行きたいし・・・
※つづく
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