仏坂峠旧道探索は大変だったものの距離が短く順調に終わりました。
まだ夕暮れまでは時間があるため、もう少し周辺を探索してから帰ることにします。
まだ夕暮れまでは時間があるため、もう少し周辺を探索してから帰ることにします。
いくつかプランは浮かびましたが単純に距離を延ばすことよりも
仏坂峠に続いて古道の峠を訪問することにします。
(以前にも記事をアップしたことがある峠道です)
仏坂峠に続いて古道の峠を訪問することにします。
(以前にも記事をアップしたことがある峠道です)

仏坂峠を西側、海老方面に下ると連谷小学校ちかくのヘアピンカーブから見える尾根、
ここが次の目的地。
ただ、こちらから登るのは厳しいので(笑)別ルートから登ります。

現在の車道から登って、いきなり峠のトンネル画像。
ここは(現在の)与良木峠といいます。
トンネルの上部には古道が一部残っていますが旧与良木峠は、
ここではありません。
トンネルの上部に旧の峠が存在しないという珍しい?峠になります。
では、旧の与良木峠はどこにあるのか?
トンネルの上部には古道が一部残っていますが旧与良木峠は、
ここではありません。
トンネルの上部に旧の峠が存在しないという珍しい?峠になります。
では、旧の与良木峠はどこにあるのか?
旧与良木峠は、ここから東の山の中にあり、画像には映っていませんが
右手に伸びる道を進んでいくと旧道に合流します。
右手に伸びる道を進んでいくと旧道に合流します。

尾根に近いものの山深く日当たりもあまり良い土地ではありませんが
水田の跡が残っています。
昔の人は米を収穫する為、こんな山深い所にも水田を開墾したのでしょう。
(杉の植林がされる前は今より日当たりが良かったのかも)

雰囲気の良い古道が残っています。

水田跡から離れると道は登りはじめ杉林の中に伸びています。

ここが旧与良木峠。
でも、この峠の特徴は画像左手にあります。

旧与良木峠の石仏群。
この場所には、かつて2軒の茶店があったそうです。


前回、アップした仏坂峠の西側に位置する与良木峠も三河と信州を結ぶ
重要なルートの一つでかつては往来する人馬がたくさんいたようです。
その安全を祈って周辺の商人がお金を出し合って作ったのが、この石仏群。
もともと、ここにまとめてあったのか峠道各所にあったものを、のちにここに
集めたのかは未確認。
(周辺の商人といっても近くには集落はなく海老、清崎、田口あたりでしょうか)

旧与良木峠を東側に下っていきます。
峠に一番近いところにある民家。(今は住む人もなさそうな)
道は、この家の前で曲り更に下っていきます。
道は、この家の前で曲り更に下っていきます。

そして下っていくと仏坂峠から下ってきたこの場所に。
(この記事、最初の画像と同じ)
尾根の近くに2軒ほどの民家と電柱が写っているのですが画像では
確認できないかもしれません。
確認できないかもしれません。
現在の与良木峠トンネルが出来る前、また稲目トンネルが通れるようになる前は、
この峠道を越えるぐらいしかなかったのでしょう。
(稲目トンネルは、もともと田口線のトンネル。廃線後、整備され車の道となった)
この峠道を越えるぐらいしかなかったのでしょう。
(稲目トンネルは、もともと田口線のトンネル。廃線後、整備され車の道となった)
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