3月16日に豊橋市で「古墳でたどる穂の国の古代」という魅力的な
イベントが開催されました。
(穂の国とは愛知県東部、東三河地区の古代の呼び名)

その日は別のイベントに参加要請があり残念ながら参加できなかったのでした。

後でチラシを見ると、コースには名前は知っていたものの行ったことのない
古墳もコースに入っています。

そこでコースにはなかったようですが近くで気になる古墳と合わせて(23日に)
サイクリングで探索に行くことにしました。

ただし、行動時間は午前中、昼までに戻らなければいけないので時間(行動範囲)
は限られてしまういます。
その為、目的ポイントは二か所だけにしておきました。

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豊橋市街地から田園地帯をのんびり走り石巻地区へ。
右手の権現山には権現山古墳群があります。
(ちなみに権現山には戦中、ここに高射砲が作られた)
左手の山が今回の最初の目的地。

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白山神社の境内から山頂に登っていくと勝山1号墳が見えてきました。
先に書いたイベントのコースには権現山古墳群が入っていましたが、
こちらは特にふれられていませんでした。
ただ下草が刈られていましたし隣接しますから見学コースに
入っていたのかもしれません。

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この勝山1号墳、3世紀後葉の築造ではないかと考えられ
東三河で最古の古墳とする資料もあります。

形状は前方後方墳(前方後円墳ではない)と言われていますが
後方部とされる部分は見ただけでは後円に見えてしまいます。
全長は約44m、葺石は検出されていないそうです。

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現在は林の中に立地する勝山1号墳ですが作られた当時は四方が
見渡せたのではないでしょうか?

北側には豊川越しに本宮山が見え当時も豊川沿いの湿地では稲作が行われていたのでしょう。

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東側には豊橋市では最大の馬越長火塚古墳(中央の森)を中心に口明塚南古墳、
大塚南古墳など多くの古墳が点在しています。

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さて次の古墳に向かいます。
先ほどの勝山1号墳から河岸段丘?沿いに走ると見えてくるのが照山城址。
ここは、ちょうど今頃、咲くカタクリの群生地として知られています。
(写真愛好家に聞いたところ23日には、まだ早かったとのこと)

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照山城址から少し登ったところ。何の変哲もない田舎の風景。
このガードレールの外に小さく見えるのが九太夫塚古墳(くだゆうづかこふん)。
この方向からは道路脇の小山にしか見えませんが・・・

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石室の入り口側に回ってみると立派な石室を持つ古墳でした。
玄室の保存状態はとても良好ですが羨道は天井石が失われ床面は
土砂で埋もれています。
本格的な発掘調査は行われていないようで副葬品なども知られていないようです。
(早い時期に盗掘されていた?)

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案内板もちゃんと整備されていました。

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石室入口から内部の様子。
しっかりとした石組み、巨大な岩による奥壁と天井石です。

古墳の規模としては、この辺りでも、たいしたものではないかもしれませんが、
これだけの石を運搬し組み上げるのは大変な作業だったでしょう。
(昔は羨道部分があり、もう少し大きかったと思われますが)

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石室内部から外を見たところ、玄室内部は、ぎりぎり立てるか立てないか
くらいの高さがありました。


今日は昼までしか時間がありませんので、これで帰ることにします。
半日ですが順調に二つの古墳を見学でき大満足です。

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十数キロ走って豊橋市の中心地へ。
大きな建物は豊橋市役所、手前の小さなのは吉田城(再建)
豊橋市民でも、この方向から見たことのある人は意外に少ないのでは。
そういえば吉田城址も、もう何十年も?行ったことがないような。
今度は城跡の様子を探索してみるのも面白いかも(笑)

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今回の使用車はダホン オビワン。
最近はサドルをフランスのイデアル90(1990年製)に交換して乗っています。
近日中に、また他の古い革サドルに交換予定?(笑)