4月26日は豊田市の古墳+神社を探索サイクリングに行ってきました。

スタート地点は豊田市南部の柳川瀬公園。
ここから矢作川堤防道路+サイクリングロードなどを適当に北上して行きます。

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遺跡公園の入り口近くには八柱社神社。
建物は新しいものの立派な神社。
境内に由緒などが刻まれた石碑があったもののコケなどで残念ながら読み取れず。
(新しそうで石碑自体に風化はないものの)

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サーカーなどが行われる豊田スタジアムの、すぐ南側が第一目的地。
画像は遺跡公園内、竪穴住居跡越しに見た豊田スタジアム。

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ここは曽根遺跡公園として整備されていました。
画像は遺跡公園を西側から東側を見たところ。
手前が縄文時代の竪穴住居跡。
右手は古墳、奥に復元した縄文時代住居。

東海地方には珍しく縄文時代中期の、まとまった資料が出土した遺跡であること
(+豊田市の財力が大きい??)などから(市指定遺跡ですが国指定遺跡並みの)
トイレ、10台も停められる駐車場、あずまやなどが作られた立派な
遺跡公園に整備されていました。
(Pは満車だったが、ほとんどスタジアムのイベントに来た車のようだった・笑)

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竪穴住居跡は発掘された状態を樹脂で固めて保存されている由。

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復元された縄文時代住居

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最初に出てきた八柱社神社の建物の下は実は八柱社古墳(やつはしらしゃ)。
(意外にも)豊田市唯一の前方後円墳で豊田市内(に現存する)では最大規模クラスのものなのだそうです。
前方後円墳と言っても前方部が、とても小さい帆立貝式古墳と呼ばれるもので
直径約33m、周壕を含むと全長45mほどあるそうです。
発掘調査は行われておらず、わずかに見つかった埴輪片から年代は
5世紀半ばぐらいとされているようです。

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公園の東側にも小さな古墳が。
これは市内志賀町から(宅地造成により)移設された香九礼1号墳(かくれ)。
こちらは直径12mほどの円墳で7世紀末から8世紀初頭と推定されていました。

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終末期古墳らしく横穴式石室を持っています。
石室の石組みもしっかりしており長さ7mほどあるそうですが入り口部は狭く
内部に入る気にはなりませんでした。
奥壁の石は豊橋などの古墳と比べると、とても小さな石に見えます。
(豊橋市内の古墳は奥壁に立派な石を用いている例が多いと思う)

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豊田スタジアムと曽根遺跡公園を北側から。
左の小高い丘が曽根遺跡公園。
豊田スタジアムの西側には矢作川が流れ日当たりもよく
縄文人にとって住みやすい場所だったことは容易に想像できます。

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さて曽根遺跡公園から南下して行く途中に立ち寄った延喜式内社 糟目春日神社。

なんと701年持統天皇が行幸した際、このあたりで鷹狩をしたのが
糟目春日神社の始まりなのだそうです。
(したがって1300年ほどの歴史を持つ)
現在、この辺りは渡刈町と言うところなのですが、かつては鷹狩にちなんでなのか
鳥狩と呼ばれていたらしい。
(鳥狩が、いつしか渡刈に変化した)


さてスタート地点の柳川瀬公園をさらに南下、実は市境を超えて
岡崎市北野町に入ります。
ここは仕事で近くをクルマで通るたび「猿投塚古墳」の文字がナビに表示され
気になっていたところ。
そりゃ、古墳はあちこちにあるでしょうが、この辺りは住宅地。
住宅地に今も壊されず古墳が残っているのでしょうか?

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自転車用のナビにも「猿投塚古墳」が表示されますから道案内に従って
住宅地を進んで行きます。
するとまわりを住宅に囲まれた一角に不自然な小山があります!

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ここが猿投塚古墳(さなげつかこふん)。
三方向が道路に隣接しており(他は住宅地)形はかなり変わっているようです
が直径30mほどの円墳とされているようです。
知りませんでしたが橋目荒居古墳群と呼ばれる中で唯一、現存している
古墳なのだそうです。
発掘調査は行われておらず、また遺物も知られていない為、築造年代は不明とのことでした。

※終わり