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新池埴輪製作遺跡から次に向かったのは名神高速道路沿いの山中にあるらしい
闘鶏山古墳(つげやまこふん)
ここは数少ない未盗掘古墳の一つで今行っても未盗掘だった副葬品が見られるわけでは
ありませんが、ぜひ行ってみたかった古墳。
(以前、ファイバースコープで内部を調査したところ、鏡、太刀、遺骨などが残されているのが確認された)

ところが古墳にたどり着くはずの名神高速道路下の道は通行止め、回りこもうと
画策するもうまくいかず。
(闘鶏山神社のすぐ北に闘鶏古墳はあるらしいのですが)

結局、闘鶏野神社(つげのじんじゃ)であきらめる(笑)
闘鶏野神社は創建年代不明ながら古くから高槻市氷室辺りの氏神として
崇敬を集めたらしい。
ちなみに闘鶏を「つげ」と読むのは鶏鳴(けいめい)が神託を「告げる」ことに
由来するのだそうです。


闘鶏野古墳をあきらめ、さらに東にある安満山古墳群(あまやまこふんぐん)を
目指します。
高槻市安満周辺の淀川沿い、三島平野は、この辺りで最初に米造りが
始まったとされる安満遺跡(弥生時代~)があります。
その安満遺跡を見下ろす安満山に存在するのが安満山古墳群なのです。
現在は高槻市公園墓地になっていますが造成に先立って行われた調査で50基前後の
古墳が見つかったのだそうです。
多くは6世紀後半から7世紀の築造と考えられていますが4世紀にさかのぼる
古墳も確認されています。
50基前後あった古墳の中で2基ほどの古墳が簡単に見学できるようになっています。

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安満山A1号墳。
直径約12mほどの円墳で調査時すでに天井石などはなくなっていたそうです。

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安満山A1号墳からは大阪の街が一望できます。

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更に高槻市公園墓地内の急坂を登っていくと安満宮山古墳がありました。
なにか異様な雰囲気ですが・・・

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手前は説明板で説明板の周囲には、この古墳で発見された重要な5枚の銅鏡の
レプリカが取り付けられています。

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ガラスシェルター内には当時の埋葬施設の精巧なレプリカが展示されています。

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安満宮山古墳は一辺約20mほどの墳墓とされています。
この古墳では高槻市教育委員会文化財課作成のパンフレットをもらえるように
なっていますが、その文面が「なかなか」なので、このあとコピーしておきます。

パンフレットには235年の年号(魏の年号、青龍三年)を持つ鏡のほか3枚の鏡を
「魏から卑弥呼がもらった銅鏡100枚のうちの一部」
とし下記のような文面があります。


「卑弥呼を映した鏡」
「邪馬台国の重要な外交ルートである淀川を一望する安満宮山古墳。
 ここに眠る人物は、眼下に広がる安満遺跡を拠点とするこの地の王で、
 使節団の有力な一員として活躍し、これらの貴重な鏡を女王・卑弥呼から
 直接、授けられたのでしょう」

どうです、すごいでしょう?
疑うこともなく邪馬台国は畿内にあった前提、更に青龍三年の銘を持つ鏡(他、合わせて3枚)
を魏から卑弥呼がもらった鏡として、この古墳に副葬されていたストーリーを作っています。

確かに非常に魅力的なストーリーではありますが・・・?(笑)