先日、新城市の船着山から下山する際、通った松山峠を今回(2月14日)は
自転車で越えてきました。
自転車で越えてきました。
松山峠は松山越とも呼ばれており調べると長篠の戦では重要な
場所の一つであることがわかりました。
ごくごく簡単に書きますと・・・
長篠の戦(1575)の際、武田軍、鳶ヶ巣山砦に織田、徳川連合軍の武将、
酒井忠次が奇襲をかけた際、進軍したのが、この峠だったのだそうです。
ちなみに、この奇襲成功は武田軍を大いに動揺させ主戦場(設楽が原)に
展開していた武田軍が決死の突撃を繰り返さざるを得ない状況に
追い込んだとする説もあります。
場所の一つであることがわかりました。
ごくごく簡単に書きますと・・・
長篠の戦(1575)の際、武田軍、鳶ヶ巣山砦に織田、徳川連合軍の武将、
酒井忠次が奇襲をかけた際、進軍したのが、この峠だったのだそうです。
ちなみに、この奇襲成功は武田軍を大いに動揺させ主戦場(設楽が原)に
展開していた武田軍が決死の突撃を繰り返さざるを得ない状況に
追い込んだとする説もあります。
まずは豊川左岸の県道69号線を走り市川という集落に向かって南に折れます。
この市川という集落は山の中で、
なんでこんなところに集落があるのかと思うような場所です。
しかし地図を見てみると長篠地区から松山峠を越えれば吉川を通り宇利地区に
抜ける最短ルートのように見受けられます。
宇利地区に出れば豊橋にも浜松方面にも行くことができます。
もしかしたら、このルートの為に、ひらけた集落なのかもしれません。
この市川という集落は山の中で、
なんでこんなところに集落があるのかと思うような場所です。
しかし地図を見てみると長篠地区から松山峠を越えれば吉川を通り宇利地区に
抜ける最短ルートのように見受けられます。
宇利地区に出れば豊橋にも浜松方面にも行くことができます。
もしかしたら、このルートの為に、ひらけた集落なのかもしれません。
実は・・・
市川の集落の途中から松山峠へ続く林道へ行けるはずですが・・・
(集落の最下部付近からも別ルートがあるらしい)
この市川集落を抜ける道を確認したくなりました。
そこで峠まで行ってみることにしました。
市川の集落の途中から松山峠へ続く林道へ行けるはずですが・・・
(集落の最下部付近からも別ルートがあるらしい)
この市川集落を抜ける道を確認したくなりました。
そこで峠まで行ってみることにしました。
市川集落の中腹?
市川集落内のi家々の標高差は100m以上はゆうにありそう?
市川集落の、かなり奥のほうまで登りました。
くねくねと曲がる道に沿って家が建っていることがわかります。
左からの尾根は船着山でしょうか?
豊川(とよがわ)、新城市街をはさんで遠くに本宮山が見えています。
集落を抜けると林道に。
林道の峠に着きました。
ここからは下って常寒山の北、中腹を通って大平の集落に下り
本長篠の駅近くに下るようです。
予定を変更して行ってみたいところですが・・・
今後予定している常寒山に登る際にルートが一部かぶることになりそうなので
今日は我慢しておくことにします(笑)
峠から市川集落に戻り松山峠を目指すことにします。
市川集落の上からは奥三河の山々が見えています。
(方向的には・・・鳳来寺山方面??)
市川集落を通り林道 船着山線へ。
この林道の途中から松山峠への道へ入れるはずですが・・・
思わぬ困難に?
コメント