豊橋市で日本国内でも最古級、縄文時代の建物跡発見!

27日は豊橋市牛川町字西側で西側北遺跡の発掘説明会があったので
行ってきました。

遺跡自体も重要ですが遺跡周辺の当時の地形も重要ということで
遺跡に向かって歩きながら周辺の土地を観察します。

なるほど、豊川の河岸段丘上で日当たりもよく洪水の心配も
なかったでしょう。
丘を下りれば多分、豊川周辺の湿地帯で水の確保もたやすく、
漁も出来たのかもしれません。
また、東を見ると石巻山も見えています。
信仰の山、石巻山ですが当時はまだそこまでの精神的文化は
なかったかもしれません。
しかし石巻山周辺の林ではシカ、猪などの猟も出来たでしょうし
秋には栗などを拾い集めて食料にしていたと思われます。

イメージ 1

天気が心配されましたが説明会の時間前には時々薄日もさすほど。

説明会開始時間より、ずいぶん早くから熱心な考古学ファンや
研究者が訪れていたようで、開始予定時間よりずいぶん早く
着いたのですが、すでに一回目の説明が始まっていました。
(自分は結局、2回半?説明を聞いてきた)

イメージ 2

ほぼ円形(実際には南北約3.48m東西約3.1mの卵型)に見えるのが
縄文時代草創期の竪穴建物跡。
中央の十字型に見えるのは地質などを調べる為に掘られたもので
遺跡の跡ではありません。
(この溝は、ほぼ方角に沿っていて左が北、右が南方向と重なる)
この遺跡の発見が重要なものだという事を現地説明会の資料の中から
抜粋してみます。

「発見された竪穴建物跡は、草創期としては愛知県内で最古かつ初めての
 発見あるのみならず、日本全国でも最古級のものです。(中略)」

「さらに特筆すべき点として、状態の良さが挙げられます。当遺構は
 後世の開発による破壊を受けることなく、発見されました。よって
 壁溝や壁溝内ピットを初めとした詳細な構造を観察することができます。
 これは竪穴建物跡の検出事例としては全国で最も良好なものです。」

「状態が良好な竪穴建物跡の中に、土器、石器が極めて高い一括性を
 もって確認された今回の発掘調査の成果は、考古学資料として
 第一級のものです。」

「本調査の成果は、今後の縄文時代研究にあたって重要な資料と言えます。」


※発掘担当者の興奮、嬉しさが伝わってくるような言葉が並んでいて
 素人にも重要な遺跡と言うことがわかります。

イメージ 3

竪穴建物跡を北側から南に見たところ。
先にも書いた通り3m程度の直径の小さな建物です。

縄文時代草創期という時代を考えれば定住生活が始まったばかり?
ぐらいの時代ですから大きな建物を作る技術も経験もまだ
なかったのでしょうか。
場合によっては住居とは別の狩猟など?の為の基地?のようなもの
だったのかもしれません。(私の妄想ですが)

イメージ 4

竪穴建物跡南側の遺構の様子。
これは建物の主構造ではなくが壁を構成していた遺構らしい。

①右奥の大きな穴、
②手前の中ぐらいの穴、
③その二つの穴をつなぐ溝、
④そしてその溝の中に開いた小さな穴。

①、②に大きめの木を壁用の柱として建て(高さ数十センチ~?)
、その穴の間に④小さな穴に細い柱をたてる。
この小さな柱にススキ、ヨシ、木の枝などの植物を交互に
絡めて壁とする?

イメージ 5

竪穴建物跡から出土した遺物。
押圧縄文土器(おうあつじょうもんどき)、石器製作の際に
生じた石材の破片など。
これらの遺物から、この竪穴建物跡を縄文時代草創期と
判断したとのこと。

イメージ 6

竪穴建物跡より上部の地層から出土した古墳時代、弥生時代の遺物。


この遺跡について
先にも書いた通り重要な発見と資料に書かれていますが・・・
この遺跡が今後どうなってしまうのか?未定のようです。

見学者の中からは
「豊橋市内の瓜郷遺跡(うりごういせき)のように公園化して保存できないのか?」
という声もありましたが、あちらは国指定遺跡です。

この西側北遺跡も重要な発見には間違いありませんが今の様子では
国指定遺跡になることは、まず、ないでしょう。

そうなると保存に関しては豊橋市関係者の見識?(こういう表現で良いのか?)
に関わってくるでしょう。
何らかの動き、働きかけがない限りは現状の予算?では公園化はもちろん、
積極的な保存すら難しいのではないか、と思われます。
もちろん、何とか保存してもらいたいのですが・・・