先週のことですがモリコロパークで行われた
トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバル
に行ってきました。

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クラッシックカー約150台が集まるこのイベントで私がもっとも興味を
持っていたのは・・・この一台。

トヨタの関連施設、MEGA WEB(東京 お台場)から持ち込まれた
この2000GT。

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この日、トヨタ博物館のボンドカー、一般オーナーの持ち込んだトヨタ2000GT
9台?を含め10台以上(合計11台?)の2000GTが集まった中で、
なぜ、最初の画像の1台に最も興味を持っていたのか?
それは・・・
(画像ではわかりにくいのですが、ここに一般オーナーの2000GT、9台が写り
他にトヨタ博物館系の出展車輛2台が展示の計11台の2000GTが展示されました)

※ここで、お断りしておきます。
 これから私が書く疑問はオーナーズクラブや熱心なファンにとっては取るに
足らないことで常識なのかもしれません。
 ただ、一般のファンにとっては、語られている(書かれている)ことを目に
することはほとんどないと思うので、一クルマファンの疑問として
書かせていただきます。
もし私の間違い、認識違い等ございましたらご指摘いただければ幸いです。

 
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この日、1万人?を超えた観客のなかで、この車、この説明板に興味を持った人は
何人いたのでしょうか?
(クルマ好きを自称する方々も含めて)

注目すべきポイントは一番下の「水冷直列6気筒SOHC」の部分。
「SOHC」???、トヨタ2000GTを、ある程度?知る人には、これは
誤植にしか思えません。

普通、トヨタ2000GTは「DOHCのはず、間違ってるね」と思いますよね。
ですが・・・この車は「トヨタの出展車輛」です。
もちろん間違っているはずはありません。

では、なぜか?
トヨタ2000GTの車輛形式は「MF10」、「MF10L(左ハンドル車)」なのです。
この形式の2000GTは、「DOHCエンジン」が載っています。
それでは、説明板の画像を見直してください。
車名は「TOYOTA2000GT MF12L」となっています。
そう、この車輛形式は「MF10」ではなく「MF12」なのです。
(末尾のLは左ハンドルを表す)
MF12には2300cc直列6気筒「SOHC」エンジンが積まれているのだそうです。
(2M-B型エンジン 2,253㏄)
その為、このことを知る少数のマニアの間では通称「2300GT」と呼ばれています。

ただ非常に残念だったのは今回の展示で少なくとも私がいた午前中にはボンネットが
明けられることがなく2300㏄SOHCを見ることが出来なかったこと。
(また「開けて」と頼めるような人が近くに見当たらなかった)
開けてもらえればSOHC(2M-B)エンジンの画像をここにアップ出来たのですが。

またシャシープレートがあるかどうかも確認できたのですが・・・
(プロトタイプと言われているのでシャシープレートはないはずですが、
  それを確認したかった)

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MF12Lですから左ハンドル。
ステアリングホイール、パネルも後期型の特徴を備えているように見えます。


この2300GTについてはミステリアスな部分が多数あります。

まず生産台数。
一説には2台(当時のアメリカ専門誌の記述から?)、
5台説(開発に携わったヤマハ技術者の記憶?)、
そして9台説(根拠不明)などがあります。

そして、この2300GT、エンブレムは2000GTとなっていますが
販売台数337台には含まれていないのだそうです。

それはすべてがプロトタイプで市販化されていないというのが
理由らしいのですが。

ところが80年代半ばの日本の雑誌に
シャシーナンバーMF-12L 000001(左ハンドルそして3速ATだという)
が逆輸入されたという記事が載っていて初代オーナーはアメリカ在住の日本人女性
だったと明記されています。
ただし、この記事には「モニター車としてアメリカに輸出した」という意味の
記述もあります。
(この記事にはモニター車と書かれているが「市販されていない」とするニュアンスはない)
(この車は今どうなっているのか?日本でナンバーを取得することが出来たのか?)

また同じ記事には「アメリカ在住の愛好家から日本のオーナーズクラブに
MF12-000006のシャシーナンバーの車を持っている」との写真同封の連絡が
あったことも記されています。
とすると2300GTが全てプロトタイプであり正式販売されていなかったとしても
少なくとも何らかの事情で000001と000006の2台はアメリカで一般人?の手に
渡っているということになります。

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通称2300GT(SOHC搭載車)の外観上の最大の特徴としてマニアの間で
語られるのはフロントナンバー部分につくオイルクーラーとそのカバー
なのですが、このクルマにはありません。
(ただ、ナンバー裏のプレートにも前期、後期があり、このクルマは後期型の
 プレート(パネル)が備わっているように見えます。)

前述のシャシーナンバーMF-12L 000001の画像では、はっきりとそのカバーが
写っています。
またMF12-000006の写真にも「別ワクでオイル・クーラーが取り付けられている」
のが確認できた旨が記されています。
ところがMEGA WEB車輛には見当たりませんし1980年頃に鞍ヶ池記念館で
撮られた雑誌の写真にも写っていません。
これは、このクルマが2300GTの初期プロトタイプ(一説には2号車、その根拠は不明)
であるという説から考えると、まだオイルクーラーの取り付け前だったという事で
片付けられる問題かと・・・

そして、この画像に写る、もう一点の疑問。
このナンバープレート。
80年代の雑誌記事+最近の情報を合わせて考えると、このクルマは
後期型2000GTの輸出仕様プロトタイプでテスト後、放置されていて、
くたびれ果てていたものの解体を免れトヨタ鞍ヶ池記念館に展示。
その後(1999年?)にMEGA WEBに展示されるため、レストアされたというのが
通説になっているようです。
それでは、この「USA」、「1967」の文字が見えるナンバープレートらしきものは
何なのか?
トヨタ(MEGA WEB)の収蔵車でありながら、このヘンテコ?なプレートが付けられて
いる理由は何なんでしょう。

2枚目の説明板画像を見ると年式は「1969」となっています。
後期型2000GTの販売は1969年からですから1969年の年式が正しい?と
思われますが後期型輸出用プロトタイプとすると1969年以前に作られ開発、テストが
進んでいたことが考えられます。
それが前期型が販売された1967年には始まっていた?そしてアメリカ輸出向けという
事で「USA」の文字が入っているダミーのプレートを付けていた?
(これは私の妄想ですが)

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2枚目にアップした画像をここでもう一度。
ここにも2300GTの特徴?が一つ写っています。
車体後部側面に付くリフレクターハウジング。
画像の後期型では、この部品が大型に変更されています。
それはすべての後期型、2000GTに共通の特徴なのですが・・・
良く見ると側面(白いボディカラーに塗られた側面部分)に、ごく小さなスリットが
入っていることがわかります。
これは一般の2000GTで私は見たことがなく先にも書いた80年代に逆輸入された
2300GT(MF12L-000001)と、この展示されている2300GTでしか
私は見たことがありません。
その為、私は、これはMF12、2300GTの特徴の一つではないかと思っています。
(スリットが付けられた理由は不明)

すみません。
話が長く、くどくなり過ぎました。自分自身でも混乱して来てしまいましたので、
この辺で終わりにしたいと思います。

※次回は、今回の展示車輛がトヨタ鞍ヶ池記念館のクルマと同じ車であることを
 検証(大袈裟過ぎる?)してみたいと思います。