東海大土偶展を見学した後は友人を豊橋の古墳に案内しました。
まずは九太夫塚古墳(くだゆうづかこふん)、豊橋市の西郷小学校
の北西の方にあります。
現在は道路脇に案内板も出ています。
まずは九太夫塚古墳(くだゆうづかこふん)、豊橋市の西郷小学校
の北西の方にあります。
現在は道路脇に案内板も出ています。
以前は石室入口付近が土砂でかなり埋もれていたようですが
数年前に少し取り除き整備されたようです。
遺跡地図などでは上地1号墳という味気ない?名称でよばれて
いますが最近では九太夫塚古墳と呼ばれることが多いようです。
(残念ながら名前の由来は知りませんが)
6世紀後半から7世紀にかけて作られた円墳という事です。
数年前に少し取り除き整備されたようです。
遺跡地図などでは上地1号墳という味気ない?名称でよばれて
いますが最近では九太夫塚古墳と呼ばれることが多いようです。
(残念ながら名前の由来は知りませんが)
6世紀後半から7世紀にかけて作られた円墳という事です。
友人が横穴式石室入口の天井石の立派さに見入りながら石材の
種類などを確認しているところでしょうか?
この辺りでも特に大きな古墳ではないものの内部は広く
石材は、とても立派。
特に奥壁、天井石は巨大な石が、それ以外の石も整然と
積み上げられています。
石室内から外を見たところ。
ここに葬られた人は、どんな人物で、どこに住んでいたので
しょうか?
また、この古墳の主の為に働いた人々のことにも思いがめぐります。
古墳の外観。
画像の左上奥にみえるのが道路脇の案内板。
西郷小学校から北西に抜ける道の左側にあたります。
墳丘には木が茂り少し低い所に石室入口があるので道路からでは、
まず古墳に気が付きません。
訪れる場合は案内板を見つけましょう。
2番目に訪れたのは馬越北山古墳群の一つ、宮西古墳。
6世紀後半の円墳で直径約12mとされています。
豊橋 和田辻から新城に向かう通称、柿の木街道に案内板が
出ています。
ここには鉄柵が設けられていますが石室を観察しようと思えば
なんとか入れてしまうのですが・・・
(こんなことを書くと怒られてしまいそうですが)
今回は枯草と蜘蛛の巣が多く柵の間から内部を観察するに
とどまりました。
今回、初めてだった友人は果敢にも内部に入りたそうでしたが(笑)
(宮西古墳の画像は今回これだけ・・・)
出ています。
ここには鉄柵が設けられていますが石室を観察しようと思えば
なんとか入れてしまうのですが・・・
(こんなことを書くと怒られてしまいそうですが)
今回は枯草と蜘蛛の巣が多く柵の間から内部を観察するに
とどまりました。
今回、初めてだった友人は果敢にも内部に入りたそうでしたが(笑)
(宮西古墳の画像は今回これだけ・・・)
※つづく
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