田原市博物館で企画展を見学した後は田原の古墳を見学していくことにしました。
まずは、まだ自分も見たことのない栄巌古墳群(えいがんこふんぐん)を二人で
探すことにします。
とはいっても、大体の目星は付いています。
以前から周辺を自転車のトレーニングで走りながら探していたのです。
田原市立衣笠小学校の南側の門から入るか、私有地の畑から入るか、
どちらか特定できていなかっただけで・・・
今日は日曜日、授業はないので門扉さえあいていれば学校側から探索(見学)
することが出来そうです。
行ってみると幸い門扉はあいています。
さっそく校内に入り西側に進んで行くと・・・
思った通り、そこが古墳の入り口でした。
探すことにします。
とはいっても、大体の目星は付いています。
以前から周辺を自転車のトレーニングで走りながら探していたのです。
田原市立衣笠小学校の南側の門から入るか、私有地の畑から入るか、
どちらか特定できていなかっただけで・・・
今日は日曜日、授業はないので門扉さえあいていれば学校側から探索(見学)
することが出来そうです。
行ってみると幸い門扉はあいています。
さっそく校内に入り西側に進んで行くと・・・
思った通り、そこが古墳の入り口でした。

渥美半島一番ではないかと言われる広さを誇る玄室の奥壁。
古墳女子?の身長は155cmくらい?比較すると奥壁の石材の大きさ、
玄室の横幅の大きさが、だいたい、お分かりになるかと思います。
石室の大きさは資料によって若干のばらつきがありますが現地の
案内板によれば玄室長さ約5m、高さ約2,5m、横幅約3mとされています。
(特に横幅が広いですよね~)
右側の大きな岩はチャート、左側の灰色っぽい岩は近くで現在も採掘されている
石灰岩だと思われます。
(セメントなどの原料に利用される)

羨道部分側から見た石組。
奥が奥壁、手前左側に立派な立柱石、手前に仕切り石が見えています。
(背後に写るのは衣笠小学校校舎)

西側の壁の様子。手前の東側は2、3の岩しか残っていませんし
画像の西側の壁も多くの岩が運び去られています。
これだけの幅を持つ石室ですから天井石など、どのような大きな岩が
使われていたのか・・・
残っていないのが残念でなりません。

西側から見た栄巌1号墳。
直径約25mの円墳、作られたのは6世紀中頃と推定されています。
ちなみに、栄巌古墳群は3基の古墳で構成されていたようですが
残されているのは、この1号墳のみです。
この古墳以外には・・・豊橋鉄道渥美線三河田原駅近くの城宝寺古墳に
立ち寄りました。
立ち寄りました。

お寺の門を入るとすぐ右手に古墳があります。
墳丘の石積みは古墳本来のものではないでしょう。
6世紀後半の円墳(20m前後)とされています。

回り込んでいくと横穴式石室の入り口が見えてきます。
残念ながら内部には入れません。

鉄柵の間からカメラを差し込んで撮影した内部。
石室内部の保存状態は良好なようです。
この画像向かって右側は横幅が広くなっており、いわゆる片袖式に
なっているそうです。
まだまだ田原市周辺には回りたい古墳、遺跡がたくさんありますが・・・
夕暮れになってきたので、また次回ということになりました。
夕暮れになってきたので、また次回ということになりました。
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