ここのところ、2/11、2/18の発掘説明会などの様子をご報告してきましたが
実は、一番最初の予定は2月10日の豊川市古墳、史跡巡りでした。
今回、次回は2月10日の豊川市古墳、史跡巡りのご報告です。
(次々に発掘説明会の予定が入ってきて嬉しい悲鳴状態?)

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10日最初に見たのは私が大好きな?御津船山古墳(豊川市御津町)
ここのところ何度も取り上げている三河地方最大級の古墳と同じ
名称なので、こちらを「御津船山古墳」、大きな方を「船山第1号墳」
などと呼び分けて区別することが多いと思います。
こちらは住宅地の中に前方後円墳が残っています。
「東側の浸食が著しい」と案内板に書かれていますが
「それより、なにより、この住宅地の中、よくぞ残ってくれていた!」
と感謝したくなるのは私だけ?(笑)

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前方部から後円部を見たところ。
まわりが住宅地であることがお分かりになるかと思います。
全長約37m、6世紀中頃以前の築造と考えられているようです。
埋葬施設などは特に調査されてはいないようですが後円部には
盗掘孔と思われる大きなくぼみがあります。

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次は11日に発掘説明会のあった船山第1号墳を下見?して近くに
あるという久保古墳を探します。
(この日は発掘説明会の前日でした)
久保古墳は国府東地区市民館(豊川市国府町)の前にありました。

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ひとつ前の画像の真ん中にある看板は古墳とは何の関係もなく・・・
木の間から入っていくと「古墳」と書かれた昭和初期に建てられた
石碑が見えました。(古墳名は書かれていなかった)
文献などを見ると周辺にはかつて多くの古墳があったとされて
いますが現在残っているのは、船山第1号墳と、ここだけのようです。

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墳丘と思われるような高まりはほとんどありませんでしたが
石室の天井石と思われる石材が残っていました。
この後、古墳以外の史跡を回ったのですが古墳だけ先に
ご紹介することにして(笑)

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豊川市赤塚山総合公園内の赤塚山1号墳。
20mほどの円墳で横穴式石室を持っていたそうですが・・・
現状は埋め戻され綺麗に(綺麗過ぎる?)整備されていて
逆に実感がわきません?(笑)

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墳丘頂部の石も含めて周辺の石は古墳の石材とは無関係のようです。

※2/10古墳巡りは以上です。次回は2/10史跡巡りになります。