愛知大学 総合郷土研究所の「はじまりは考古学」展に行ったことは
何度か書きました。
その際に以前から見たかった愛知大学内の古い建物も見学してきました。

豊橋市は地元の人からも忘れ去られそうになっていますが、
かつて軍都でした。
吉田城には歩兵第18聯隊、愛知大学周辺には第15師団などが
あったのです。
愛知大学周辺には第15師団その後、陸軍教導学校、陸軍予備士官学校
などが置かれ現在も関連する建物などが一部残っています。

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まずは現愛知大学記念館
明治41年に建てられた陸軍、第15師団司令部庁舎として使用され
現在は国の登録有形文化財なのだそうです。
30年ぐらい前には、まだ大学の事務所として使われていたはずで
自分は仕事で打合せに来た記憶があります。
(調べてみると1996年まで愛知大学本館として使用されたとのこと)

愛知大学記念館で、いただいた資料によれば「豊橋初の明治の洋館」
とあり、壁のはり方はドイツ式、土台のレンガ積みはイギリス式、
玄関のエントランスはイタリア式、ヨーロッパの様々な建築技法が
取り入れられた独特な建物なのだそうです。。

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南側から見た第15師団司令部庁舎。

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第15師団司令部庁舎の内部の様子。

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次に見学したのは大講堂。
陸軍教導学校時代の講堂で昭和2年に建てられたとのこと。
とてもそんな古い建物とは感じられませんでした。
よく見ると室内に明かりが見えるように現在も学生たちに
使われています

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こちらは歩兵第60聯隊、将校集会所。
なんと明治41年に建てられたそうです。

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将校集会所は現在、一部倉庫として使われているそうですが・・・

くもりの日の夕方には・・・雰囲気あり過ぎ、怖いくらい(笑)
弟子はオカルト好きなので喜ぶかと思いきや・・・
オカルト好き(すなわち信じている)だからこそ怖かったらしい(笑)

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養生舎と呼ばれる建物。
窓枠など建具類は新しいものに変わっているようですが建物自体は、
こちらも昭和2年に建てられたそうです。
(屋根瓦に陸軍の五芒星があるそうですが見忘れました)

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北側、渥美線に沿って残っているのは教導学校時代のコンクリート製の塀。
よく見るととても味?があります。

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今回、初めて知ったのですが愛大校内に古墳が移築されていました。
(渥美線、大学前駅すぐ裏)

職員の方がわざわざコピーしてくださった資料によると・・・
1957年に愛知大学が旧宝飯郡一の宮村の東原4、5、6号墳を調査し、
その後、東原5、6号墳を2基を移築したのだそうです。
資料の中にも
「現在は笹が生えてしまい、マウンドの形状も変わってしまい、
 移築された石室の様子が覗えないのが残念である」
とありましたが・・・
実際、その通りで(笑)何もわかりませんでした。

※間違いなど億付きの点が御座いましたらご遠慮なくご指摘ください。