コルサの毎日がヒルクライム

2008年02月

今回、古典ロードを愛好する皆さんで、走行会を行うことになりました。

走行ペースは、練習会のようにガンガン?いきませんので、お気軽にどうぞ。

(高速走行、希望の方は先行してチェックポイントで待っていてください)


今回の集合地点は愛知県豊田市の「昭和の森」駐車場です。
ここから、矢作ダムまで往復するコースを考えています

昼食は途中、食堂で予定しています(走行中の補給食、ボトルは各自、お忘れなく)。


詳細は下記をご確認のうえ、参加、ご希望の方は当ブログに書き込みください。

(ご質問もどうぞ)
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↓すみません、開催日が諸事情により4月13日(日)に変更になりました。

変更になっています→{開催日時は4月6日(日)です。}

集合は「昭和の森」駐車場に9時30分までに。
サイクリング スタートはミーティング、自己紹介後、10時20分頃を予定しています。

なお車種としては古いロードレーサーが対象となります。
今回は第一回として、あまり詳細な規定は設けませんが、
下記を条件として考えていますので、よろしくお願いいたします。
なお、安全の為、ヘルメット、グローブの着用は遵守してください。
(カスク不可)

車輌規定
1988年以前の生産、製作のロードレーサーで、フレームに
準じた部品構成が望ましい。
(新しいフレームに古典部品という車輌は不可)
アウターブレーキワイヤーがブレーキレバー上部から出ていること。
トウクリップ&ストラップ着用(ビンディングペダル不可)
Rエンド幅が126mmまで
Wレバー&バーコン仕様(ロッド式とかはもちろんOK)
タイヤはチューブラでもWOでもOK。

ヘルメット&グローブ着用(最新のメットでOK)
服装、シューズは自由。



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現在までの参加希望者です。

1・当ブログのコルサです。

(一応、今回の「愛知県古典ロード走行会」の事務係です)

2・m-Kojimaさん

3・たきちゃん

4・akahori君

例によってタイムラグのあるコルサの日記です(笑)


23日朝、早朝に降った雨も上がり、まるで春のような日差し、気温。
今日も前回、悪天候に見舞われた「I氏」とサイクリングだ。
「天気予報は外れですかね」などと、お気楽に、しゃべりながら車で出発します。

今回のサイクリングスタート地点は愛知県新城市の東方、黄柳野(つげの)地区です。

ここから愛知県と静岡県の県境にある「黒松峠」をこえて、静岡県浜松市引佐町狩宿の集落に出て
舗装道を愛知県側まで戻り前回、断念した大輪田集落、さらに余裕があれば鳳地峠に行こうという
計画です。


イメージ 1

黒松峠への入口もすぐに見つかり、順調に林道を登っていきます。
早朝の雨で路面は濡れているものの日差しが暖かく気持ちよい(この時点では 笑)。


イメージ 2

林道が峠付近まで延びていたため、今回は以外にも(笑)、あっさり黒松峠に到着しました。
この画像は静岡県側から愛知県側を見ています。
左に行けば稜線上で陣座峠、右に行けば浅間山へ行けると山岳会の案内板がありました。


イメージ 3

この黒松峠も地元の人に古くから利用されていた道のようで林道の所々で
旧道が見え隠れしているのが判ります。
長く使われたのか、くぼんだ道も有れば、尾根に土盛りをしたと思われるところも有りました。

あとで静岡側の集落で地元の人にうかがうと奥山半僧坊、方広寺(浜松市引佐町奥山地区の有名な古刹)の祭礼の時には、この峠を越えて愛知県側からも遊びに来る人たちが、たくさんいたとのことでした。(愛知県側には鳳来寺もある)もちろん、参拝だけでなく、いろいろな人が、かつてはこの峠を往来した事でしょう。


イメージ 4

黒松峠を南側(静岡県)に下って行くと突然、山中に立派な石垣が現れました。
(この石垣について下ったところの狩宿集落で聞いてみたが情報はなかった)


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地形、構造から猪垣や、単なる道とは思えません。
寺院、城跡(砦)などの跡なのか、まったく判然としません。
しかし、この規模ですから、なんらかの遺跡だと思われます。
これは静岡県側の資料を調べてみないといけませんね。


イメージ 6

山を降りて集落に出ると道端に、こんなものもありました。

左側の二つは特に不思議な感じです。
左端の自然石と思われるこれには、何か「いわれ」があるのでしょうか?

こうした物が多くあることからも、黒松峠が昔から使われていた街道だと感じられます。

このあたりで朝の快適な天気から急に雲、風が出てきて天候があやしくなってきます。
気温も一気に下がってきました(ヤレヤレ・・・)。

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集落をさらに下り今度は町道を東側に向かいます。
そのうち、愛知県と静岡県を結ぶ国道257号線に出ました。

このあたりは、山深い地形でしたが(今でも)、第2東名及び、三遠南信道の
ジャンクションの建設が始まっています。
この地区にインターチェンジも出来るそうですから、
この辺の環境も、今後、一変するのでしょう。
それにしても山を切り開き、橋を架け、川がトンネルになったりと
山中に見え隠れする大規模な工事に驚くばかりです。

画像では判りませんが、ここで急に大雨が降ってきました(突風も)。
ちょうど国道沿いに木陰があり休憩しながら雨宿りします。


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雨もやみ、走り出すと国指定重要文化財の看板があります。
これは、寄り道して見に行かなければ。
ここは国指定建造物、農村民家でした。

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住居の入口には表札も掛かっています(向かって左側の入口)。
その他、画像には見えませんが回りには、物置があったり、自転車が放置されていたりなど
生活感が感じられ、つい最近まで住人が住んでいたようです(住んでいなくても物置など
として利用されていたのでは)。


イメージ 10

何とか天気も持ち直してきたので、また無名峠を探す為、山中に入ります。
道が見つかれば簡単に越えられる筈だったのですが・・・
これが、また悲劇の始まりでした(笑)。

山中に入る手前の最後の集落(引佐町的場)で、こんなところが有りました。
舞台のような本堂を持つお寺です(中部地方の山中に似た構造の建物を時々見かけます)。


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案内書きによれば四天王のうち一番古いは藤原時代、それ以外も室町時代の作だそうです。
そんな古く貴重な物が扉もない本堂に!。今の時勢、盗難が心配になってしまいますが。


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さて無名峠を目指して入った山中ですが例によって道に迷います(笑)。
というか道を何度も見失います(爆)
簡単に越えられるはずが結局、迷った末に計画変更です。
山の稜線に出てしまい、これを辿っていくと「浅間山」山頂に出られるようです。

それにしても山中で雨、雪、そしてあられまで降ってきます。
かなり体力を消耗してきています。


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ほとんど押し、担ぎでやっと「浅間山」山頂(519m)に到着しました。
頂上には、このように祠がいくつも並んでいます。
右側の物は扉形式の祠になっていますが
左から2番目の物は2枚の扉もなく一枚いたで開かず?の形式ですね。


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こんな形式の祠があったり、


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こんな石仏?があったり、


イメージ 17

山頂から少し下ったところにも。
このあと「下浅間山」(479m)をへて林道へ出て車に戻りました。

浅間山には二つの頂があり先に登った浅間山(519m)と下浅間山(479m)
と呼ばれているようです。


結局、簡単に越えられるはずだった無名峠が、いつのまにか稜線を伝って
浅間山の山頂に至るという(笑)大幅な計画変更で今日も時間切れ。
先回のリベンジ?、大田輪集落行きは今回も断念という結果になってしましました。

前回のレポートで大田輪集落に至る道が見つからないと書きましたが
地形図には一本の道が書かれていることが判りました。
とはいっても、狭い道(多分)が一本有るだけ?の山奥集落であることは間違いありません。
一体どんな集落なのでしょう。

今回はサンツアーの傑作ペダル、「シュパーブプロ」を取上げます。

シュパーブプロペダルがデビューした当時の国産高級ペダルとしては
極東プロエース、三ヶ島ユニーク(シュパーブペダルも三ヶ島ユニークをベースにした物だった)。
などでシマノはまだ、ペダルをラインナップしていなかったと思います
三ヶ島ユニーク、極東プロエース両者ともに基本的な形状はカンパ レコードに非常に似たものでした。

シュパーブプロペダルは当時のペダルの形を大きく変えました。
この頃、シュパーブプロのペダルのようにプレートをネジによって交換出来るペダルも
他にいくつかありました。
(TA、イーストロチェスター、バレッリなど)
ただ、私には、どれが一番最初に販売されたのかはよく分りません。
シュパーブプロが一番最初ではないかもしれませんが、少なくとも日本ではビンディングペダルが
登場するまで一世を風靡したといっても過言ではないと思います。

それでは、シュパーブプロのペダルのバリエーションを見てみましょう。


イメージ 1

イメージ 2

シュパーブプロペダルのバリエーションで一番に思い出されるのは
①ロードタイプ
②ピストタイプ
の2種類でしょう。
もちろん、この二つのペダルのプレートは互換性があります。


それでは、ロードタイプのバリエーションについて。
通常、バリエーションとして
①スチールシャフトの一般品
②チタンシャフトの軽量品
の2種類が良く知られています。

チタンシャフトといえばシュパーブプロペダルのチタンシャフトには競輪に使える
「NJS」認可のものはありません。


それ以外には、どんなバリエーションがあるのでしょうか?


イメージ 3

それでは、今回のサンプルです。
最初にお断りしておきますがロードペダルの「スチールシャフト通常タイプ」が
ありません(すいません)。

・一番右側が短期限定生産と聞いた「シルバープレート」タイプです。
・右から2番目が「ブラウンプレート」で、これはフルセットで販売された物の一部です。
・左から2番目がチタンシャフトのノーマル品です。
・一番左側は、ちょっと確定が出来ません。単品販売品なのか?ブラックカラーの
 フルセットで販売されたのか?


それでは、それぞれの違いを見てみましょう。

A・プレートの色違いがいくつかあります。
左から
①黒色つや有り
②黒色つやなし
③ブラウン
④シルバー
ブラウン系の限定品(フルセット販売)には色合いが違う物があったような気がします。
(ブラウンの濃い物と薄い物)

B・シャフトの違い。
左から
①チタンシャフト
②チタンシャフト
③スチール梨地仕上げ
④スチールクロームメッキ
ちなみにスチールシャフトはアーレンキーで脱着出来るようになっていますが
チタンシャフトには径の小さな丸穴があいているだけです。


C・プレート固定ボルトの違い
左から
①「SUNTOUR」文字入り金色
②「S」字のみ
③「SUNTOUR」文字入り
④「SUNTOUR」文字入り
固定ボルトは文字が違うだけでなく形状もわずかに違います。
「SUNTOUR文字入り」ボルトの頭は横から見た断面が水平なのですが
「S字のみ」の物は横から見た断面がわずかにふくらんでいます。
これは少しでも工具のかかる部分の面積を増やしてなめにくく改良した物だと思います。


D・プレート「SUNTOUR文字」の違い
一番左の物と他の3点とプレートにある「SUNTOUR文字」の形が微妙に違うのが
お判りになりますでしょうか?


イメージ 4

イメージ 5

E・プレートの形状の違い
集合画像で左から[2番目]の物と[右端]の物と比べています。
よく見比べていただければ上下のプレートの形状が違うのがお判りになりますよね。
シルバープレートより、黒色プレートの方が上下に薄くデザインされています。


イメージ 6

パッケージのバリエーションです。
一番古いのは左の下の赤い箱です。
この赤い箱は、もともと「プロ」でない「シュパーブ」に使われていた箱です。
この赤い箱の中央に「プロ」のステッカーを貼っただけのものです。

2番目に出たと思うのが右下のタイプです。
この箱にはシルバープレートのペダルが入っていました。

最後に使われていたパッケージが上のタイプです。
スチールシャフトもチタンシャフトも同じ箱に入っていました。
チタンシャフトの場合は画像のように小さな白い「TITANIUM」の
ステッカーが貼られています。


イメージ 7

画像は初期のXC-PROペダルです(この画像はヤフオクから)。
XC-PROはシュパーブプロペダルのバリエーションに含めても良いのでしょうか?
本体は基本的に一緒だと思います。
実は、私もXC-PROのペダルも所有していたのですがシュパーブプロとプレートの互換性が
あるのかを確認しないまま手放してしまいました。
どなたか、ご存知の方、ご教授ください。

ちなみにXC-PROにはプレートの形状に2種類あることは確認しています。
1991年頃のカタログに載っている「PL-XP01」、
そして1992年のカタログにはプレートの形状を変えた「PL-XP02」が載っています。
さらに1989年のカタログにはXC-PROシリーズはまだ登場しておらず、最高級モデルは
XC-9000シリーズでした。
XC-9000シリーズには1991年の「PL-XP01」と同じ物と思われるペダルが
「PL-XC10」という品番で載っています。
「PL-XP01」と「PL-XC10」は基本的に同じ物だと思うのですがシャフトに
違いがあって1991年「PL-XP01」には「グリスガードシステム」が採用されています。
「グリスガードシステム」はペダル以外にBB、前後ハブ、ヘッドパーツに採用されていました。
「グリスガードシステム」とはメンテナンスを簡単にするものでグリスガンでグリスを
部品を分解することなく注入できます。
新しいグリスを注入すると古いグリスが隙間から押し出されてきて拭き取ればグリスアップが
終了するという便利な機構でした。
コルサはXC-PRO及びXC-PRO MDシリーズを使用していましたので
グリスガードシステムの便利さを身を持って体験しています。


※上記のレポートにはコルサの思い違い、間違いがあるかもしれません。
 ご遠慮なく、ご指摘ください。
 
 また、他のバリエーションをご存知でしたら、ご教授いただければ幸いです。

2月は仕事他が思いのほか忙しくなり先週のサイクリングを今頃アップします(笑)
(レポートが前後しましたが)



11日は仕事の予定だったのですが、あまりの暖かさに、ついつい出かけてしまいました。

11日は建国記念の日ということで、「いにしえの故郷の姿を探ろうと古墳巡り」に出かけました(笑)
コルサの住む豊橋市には739基の古墳があるといわれています(開発などで失われたものも含む)。
立地を、大雑把に分けると海岸線(三河湾)に近い物と比較的山地に近い物に分けられると思います。
今回は山地寄りの豊川流域に近い古墳を訪ねます(一部、豊橋市以外の古墳も含む)。

豊川と豊川放水路の分岐点に車をとめ、自転車を下ろします。
豊川右岸の堤防道路を上流に向かって走ります。今日(11日)はとても暖かく風も
ほとんどないので、とても快適です。


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このあたりで一番高い本宮山(789m)です。いわゆる三角山で古代から
崇拝の対象となっている山です。
地元では「三河国、一の宮」砥鹿神社の奥宮が鎮座する山として知られています。


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本宮山のふもと、豊川右岸にある「炭焼古墳群」です。
ここは豊橋市ではなく豊川市一宮町(旧宝飯郡)になります。
古墳は6世紀後半から7世紀のものだそうです。

帰ってきて資料を探すと、4基の炭焼古墳群からすぐ近くに石室が観察できる(天井石はない)
炭焼平第4号墳も、あったことを知りました。
残念、また見に行かねば。


イメージ 3

炭焼古墳群には、かつて42基ほどの古墳があったそうですが
現在は5基を残して滅失したそうです。
ここには4基の古墳(第15墳~第18墳)が見られます。
石室の一部なのか「葺き石」なのか石材が散乱している古墳もあります。


イメージ 4

今度は豊川左岸側、川から少し離れた新城市の「夜泣石古墳」を訪ねました。
ここには2基の円墳があります(画像手前側に並んでいます)。
後ろに見える山は「吉祥山」です。
ここも見る角度によっては見事な三角山で信仰の対象になった山です。
この山にも多くの古墳が存在しているそうです。
今回の古墳は山から少し離れていますが、このように、ふもとに近い位置ですから
吉祥山崇拝?と関連があるのかもしれません。


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夜泣石古墳については古墳時代後期の円墳が2基ということ以外、良くわかりません。
2基の古墳とも石室、天井石の一部が露出しています。


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さて次は豊橋市内最大の古墳「馬越長火塚古墳」を見に行きました。
この古墳は全長推定65mに達し市内最大の前方後円墳です。
6世紀後半のものだそうです。
画像左側の木が茂っているところが「後円部分」で「前方」部分は画像のほぼ右端
まで至っている大きな古墳です。


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「馬越長火塚古墳」は、内部が公開されており自由に入る事が出来ます。
その為、石室の石組みを、じっくり見る事が出来ます。
この石室からは「金銅装馬具」(古代の金メッキ製品)など、素晴らしい副葬品が
発見されています。


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石室奥には3mを越えそうな大きな一枚板の大岩が使われています。
その他、天井にも巨石が使われています。


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次に向かったのは「馬越長火塚古墳」の、すぐ東にある宮西古墳です。
中央に小さく見える青い扉が宮西古墳の石室への入口部分で、
ここは7世紀初頭のものといわれています。
後ろの山林には十数基の古墳がある群集墳になっています。


イメージ 10

宮西古墳は先ほどのように青い扉で封鎖されていますが扉の間から内部を観察する事が出来ます。
大きな声では言えませんが扉の横から簡単に内部に入る事も出来ます。
玄室の奥には、やはり巨石が配置されています。


イメージ 11

山林を歩いてみると簡単に、いくつかの古墳を見つける事が出来ます。
山林の中の古墳は、なぜか石室部分が、ほとんど陥没しています。
みなが自然に倒壊したとは思われませんので盗掘にあったのだと思われます。
(副葬品の盗掘以外にも石材を取る目的の可能性もあります。
でも、なぜか宮西古墳だけは石室がちゃんと残っています)


今回は、ずいぶんマニアック?なサイクリングになってしまいました。
次回は、自転車部品かフレームの話でもアップしようかな。
でも、まだまだ、たくさん遺跡ネタもあるんですけど(笑)

今日、愛知県刈谷市の住宅街を車で走っていると民家の庭先にプロペラが見えます。
セスナ機か何かのプロペラかなぁ?と近づいてみるとエンジンも付いています。
それもセスナ機などのエンジンとは、全然違います。
なんと、星型二重のエンジンではないですか!?


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さっそく、ご主人に、お話を伺います。
ご主人によると
①中島飛行機製のエンジンで18気筒である。
②20年ほど前に一色町の漁港近くにある「魚広場」にあったものを譲り受けた。
③幡豆町沖で漁師の網にかかり引きあげられた物。
との事でした。


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18気筒2重星型空冷エンジンです。
9気筒(中心から放射線状に並ぶ)×2列で18気筒ということになります。
ご主人の話では中島飛行機製ということでしたから日本陸軍の傑作戦闘機「疾風」に
積まれた「誉」(ほまれ)エンジンでしょうか?
(だとしたら2千馬力の高出力)
ちなみに有名な「ゼロ戦」は14気筒(7気筒×2列)950馬力です。

でも疾風(キ84 四式戦闘機)は4枚プロペラだったはず・・・・
とするとこのエンジンは?
搭載機は?何でしょうか。

プロペラは3枚とも比較的損傷はありません。
回転状態で海面に突っ込むと曲がりますからエンジン停止状態で落水したのでしょうか。


イメージ 3

可変ピッチ機構も組み込まれていると思いますがよく分りません


イメージ 4

かなり腐食していますが60年以上はたっているはずですから、しかたありません。
(海底に30年以上沈んでいたと思われます)


ご主人はブルーシートのカバーをはずしてクランク軸を見ていくように進めて
くださったのですが仕事中で時間もなく丁重にお礼を述べて引き上げました。
(今度、プライベートで訪ねてシートをはずして、ゆっくり見せていただくことにしましょう)

なお、ご主人は見に来るのは大歓迎との事でした。
(連絡先をいただいてきましたので、ご興味があればご連絡ください)

ただ、「俺が元気なうちは絶対売らない」とも、おっしゃっていましたので念の為。

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