コルサの毎日がヒルクライム

2008年12月

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※この画像はkokoさんのパクリではありません(笑) 詳細は最後に。


2008年度の年間走行距離目標を、
12月27日、何とか達成する事が出来ました

前年の2007年の目標は7000キロ(達成)でした。
7000キロといってもレースをやっている人は、もちろん熱心なサイクリスト、通勤、
通学などで自転車を利用している方々は、「俺はもっと乗っているよ」という人も多いでしょう。

コルサも30歳台半ばのサラリーマン時代、「朝一番に会社に行って鍵を開け、最後に鍵をかけて帰る」
なんていう時代でも年間、1万キロ以上走っていたこともあります。

一万キロ走るには一日平均28キロ弱、走らなければなりません。
出張、雨降りで3日も休めば4日目には100キロ以上走らなければ追い付きません。
実際は休日や普段の貯金で充当していたわけですが。
しかし、実際、毎日、走れるときは走らなければ無理ですから残業の後、
走りだして家に帰るとニュースステーション(午後10時~)が
始まっているという時もありました(笑)

おっと、話がずいぶん脱線して昔話になってしまいました。


結局、2007年は7000キロ目標で
2008年は「距離は少なくしても充実した走りを目指す」?ということで
6000キロに設定していました。

1~2月は仕事が忙しくて、あまり走れず、7月は夏バテのせいか、これまた走れず、
予定を8月末頃には700キロぐらい下回っていました。
その頃は2008年目標達成は、ほとんど諦めていたのですが秋後半から何となく
走れるようになり、またモチベーションも上がってきて何とか
遅れを取り戻し目標を達成できました。



さて、2009年の年間走行目標は何キロにしておきましょうか?(笑)
2008年より増やすのは、どう考えても辛いし・・・・
減らすと、一気にガタガタとなりそうです。


そこで、2008年と同じ6000キロに設定しておきましょう。
まぁ、なんとも面白くない結論ではありますが(笑)




2009年の目標達成を目指して、
今から(現在、午後18時)12時間後には2009年、最初の走行を開始予定です。

それにしても2足あったはずのシューズカバーが結局、見つかりません(笑)
明日の初日の出ランは辛い走行になりそうです(爆)


今年も残りわずかとなりました。
好き勝手なネタをアップするだけの、私のブログに訪れて下さった方、感謝いたします。
皆さんにとって2008年はどんな年でしたでしょうか?

それでは、一年間、ありがとうございました。



追伸
最初の画像はイメージです(笑)
先日、kokoさんのブログをみていたら地形図にキルビメーターの画像が出ていてびっくり。
コルサの、この画像は以前より考えていたものでkokoサンのパクリではありません(笑)
まあ、いずれにしても写真のセンスや画質はkokoさんには、全然及びませんけど。


地図は5万分の1の伊良湖岬です。
海に引かれた青いラインはパドラー時代(カヤックのパドルに由来)に漕いだところ。

シルバ コンパスはサイクリングでは、まず使いませんよね。
これはコルサが中学生の時(ボーイスカウト時代)買った36年物?
キルビメーターは内田洋行製で高校生の時に買った32年物?
両方とも長持ちしていますね。
(もう使わなくなって久しいですからね)

昨日、サイクリング中に起きた「RD破断事故」に関し
今日から「豊橋コルサ自転車研究所」において原因究明の作業が始まりました。



まずは昨日の事故直後の映像を分析していきましょう。



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①事故直後の関係者の証言どおり
 プーリーケージとプーリーの隙間に木の枝の先が食い込み
 チェーンをロックした事が確認されました。

 画像では判りにくいと思いますが木片が見えます。

②また、本日の検証で意外にもフレームリヤエンドの後部側に塗装がはがれた傷が見つかりました。
コルサの記憶によると、以前は、ここにキズはなかったはずですから
今回の事故との関連を調べることにしました。



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破断の状況を探る前に、
RDの破損状態を改めて確認しておきましょう。

見事に、「まっぷたつ」になっていますね。



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破断部分を、細かく見てみましょう。

泥だらけですね。手入れ、掃除が行き届いていないのは見ないことにしてくださいね。

事故原因とは、とりあえず関係ないのですが
プレートとの支点ピンにブッシュが入れられている事がわかりますね。



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ピンが抜けていく傷が残っています。
ピンの抜けていく方向が、それぞれ違うのがわかります。
ピンが抜けていくのと、ほぼ同時?にボディが破断していったのですね。



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さて、RDの後部を見てみます。

おっと、赤いペイントが見えますね。
RDの、この部分がフレームエンドにあたった証拠が発見されました。
ここまで、あたると言う事は、かなりRDが、跳ね上げられたのですね。


さあ、それでは破断への流れを追ってみましょう。
(一部、昨日の記事から流用)


①一枚目の証拠画像のように、
 RDプーリーケージとプーリーの隙間に木の枝がかみこんでロック。
 後方を走っていたHさんから「大きな木の枝を跳ね上げた」、
 という目撃証言が得られました。

②当然、チェーンが、まったく動かなくなる。

③でも気が付かずペダルを踏みこんでいたので徐々にチェーンに引かれて
 RDが後方に引っ張られていく。
 (最初はRDの稼動範囲から)

④どんどん、チェーンに引っ張られRDが後ろに跳ね上げられていき、
 ついにエンドに当たる。
 多分この前後で、やっとペダルに違和感を感じたのでしょう。

⑤エンドに、あたったことでRDに一気に力がかかり一番弱かった部分が破断した。

といった、ところだったのでしょう。

足には、ほとんど抵抗感は感じられず、ちょっと抵抗を感じて、
あれっと思っていたら足にグニャとした感じが伝わりました。
その、グニャリとした感触はRDが破断するものだったのでしょう。

まっすぐチェーンでRDが引っ張られた為か、あっさりRDは破断してしまったのだと思います。
さいわい、素直に?RDが破断した為かエンドのRDブラケットには変形はほとんど見られませんでした。


それにしても、普通、チェーンに枝などを巻き込むと、すぐに気が付くものですが、
なぜ、今回は、このようになるまで気が付かなかったのでしょうか?
ちょっと不思議です。
もちろん、過去に数え切れないほど枝などを巻き込んでから気がつき停車した事があります。
でも、今回は、ほとんど違和感を感じるまもなく破断していました。

下りだったのでギヤはロー側ではなく中間あたりに入っておりスポークに引っ掛けたのではありません。

MTB用でなくロード用(シマノ アルテグラ ロングケージ)だったので
RDの構造上、設計上の強度が意外に弱かったのでしょうか?

それとも、ロングケージが災いして力点が遠くなり、てこの原理で思いの他、
チェーンの引っ張る力がRDに強く作用したのでしょうか?

「いずれにしても今回のRD破断事故は非常に、まれな状況または不運で発生した」と、
皆さんには、ご報告しておきます。

今までは、たまたま運が良かったのかもしれません。
これからは、山サイクリングの時は、ちゃんとチェーン切り等、持参しないといけませんね。


さて、最後まで読んでいただいた方の中で、ご希望の方に抽選で一名様に
今回のクラッシュしたRDをプレゼントいたします(笑)
プーリーなどは、ほとんど磨耗していませんし、小ネジ類なども
スペアパーツとして使っていただく事が出来ます。

28日は、けったさんの企画で「古道サイクリング」に行きました。

参加者はけったさん、kokoさん、Hさんとコルサの4人です。

場所は愛知県岡崎市東部の山中になります。
目指す古道は千万町街道(ゼマンジョ)と道根往還(ドウネ)です。

いずれも自動車が一般的になる前の時代の人馬の道です。
山中の尾根を通るルートが多く現在では、ほとんど忘れ去られた街道といってもいいでしょう。
この古道企画は昨年からコルサとけったさんで本格的に?取り組んでいるのですが
驚くほど、たくさんのルートが山の中にあり驚かされています。



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桜井寺というお寺の前。
ここから、いよいよ、本格的に山中に入っていきます。

パスハンに近いルートですが、なぜかミニベロが2台ありますね。
これは、けったさんとHさんの自転車。
このあと、古道に入って、わかるのですが、お二人とも速い、速い(笑)
けったさんとは何度も山に入っているので、けったさんの速さは知っていましたが
Hさんも綺麗なオーダーミニベロで悪路をスムーズに、こなしていくのにびっくりでした。

桜井寺前では仕事で参加できなかったSさんが社用車?で差し入れのコーヒーを
届けてくださいました。
Sさん、ご馳走様でした、今度は一緒に自転車で山に入りましょうね。



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これは以前にも、ご紹介した、切越集落の奥にある「切越八面塔」

祭祀遺構説、落人墓所説など、いろんな説がありますが時代も目的も
具体的な解明には至っていないらしい謎の遺跡です。



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今日のコースは、おおむね、こんな感じの落ち葉の中の古道でした。
実に気持ちいいルートです。
画像はMTBを押し上げるkokoさん。



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今度は急斜面を、けったさん特製ショルダーベルトを使って担ぐkokoさん。



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画像ではたいした斜面には見えませんが、かなりの傾斜です。
ここでは、倒木を迂回する為に、けったさんとkokoさんが二人がかりで
MTBを押し上げています。



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かなりの山道ですが、かつては古道として、かなりの往来があったらしく、
所々に、こういった祠も見受けられました。



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千万町街道の途中で休憩。
雰囲気の大変良い、山中の古道だということがお分かりいただけると思います。

先頭からケッタさんのミニベロ、コルサのリッチー シクロクロス車、
Hさんのサワイさんオーダーミニベロ、kokoさんが乗ったけったさんのTREK MTB。

ちなみにコルサのリッチーはフロント3枚、リヤ10枚のギヤを装備しています。
このあと、楽しく落葉を踏みしめてダウンヒルを楽しんだのですが・・・・・・
途中、急に気が変わってシングルスピードにモディファイする?ことにしました。



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これが山の中で急遽、シングルスピードに改造した姿(笑)
ストレートエンドなので、なかなかうまくチェーンのテンションが取れません。
実は、はじめ、もう少したるみのないようにしていたのですが走っているうちに
リヤが小さな方のギヤに自動変速してしまいチェーンが緩んでしまったところです。



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なぜ、急にシングルスピードに改造したのかというと原因はこれ!!!
RDが根元から折れちゃいました(笑)
長いこと、このような道を走っていますが初めての経験です。

下りを気持ちよく飛ばしていると、駆動系に何か巻き込んだ感触が伝わってきました。
「あーなにか木の枝でも絡んだかな、取らなきゃ」と思って止まると
「えー!!!」RDがあらぬところに、ぶら下がっています(笑)
思わず、目が点になりました。


原因は・・・

①RDプーリーケージと下側のプーリーに木の枝がかみこんでロック。
(上の画像でプーリーケージに、しっかり、かみこんだ木片がお分かりになりますか 右の方)
②当然、チェーンが動かなくなる。
③でもペダルを踏みこんでいた。
④チェーンに引っ張られてRDに負担がかかる。
⑤RDで一番弱かった部分が一気に破断する。
といったところでしょう。

足には、ほとんど抵抗感は感じられず、いきなり、ちょっと違和感を感じて、
あれっと思っていたら足にグニャとした感じが伝わりました。
その、グニャリとした感触はRDが破断するものだったのでしょう。
まっすぐチェーンでRDが引っ張られた為か、あっさりRDは破断してしまったのだと思います。

さいわい、素直に?RDが破断した為かエンドのRDブラケットには変形はほとんど見られませんでした。
このフレームは一度、信州の山の中で、やはり木の枝を巻き込んで、
かなりエンドを曲げているので今度、変な力がかかるとエンドの破断につながる可能性も
ありましたから、少しほっとしました。


さて、トラブルはショックですがリカバリーを考えなければいけません。
さいわい、けったさんがチェーン切りを持っていたのでチェーンを詰めて
シングルスピードに改造することにします。
この作業は、けったさんが手を油だらけにして作業してくださいました。
(けったさん、ありがとう)


※教訓
山に入る時は、必ず予備のRDを持って行きましょう(爆)
(正しくはチェーン切りやアンプルピンを持っていくこと)



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当然、シングルスピードになってしまったので、
「一番近い舗装道路で帰るしかないなぁ」
「みんなに申し訳ない」と思っていたのですが・・・

けったさんは、予定通りのルートを辿るみたいです(笑)

また、山道に入ります。
これは道根往還の祠。
古いものらしく大きな木の根が絡みついていますね。



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森の中に、突然、こんな奇岩があったり。
しかし、木の間になぜ、こんな風にバランスよく岩が残ったのでしょうか?
まわりには、大きな岩はまったくありません、不思議ですね。



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こんな、荒れたところもある古道をたどっていきます。



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道根往還は途中から車も入れるように?広げられて整備
(大正時代に整備したという石碑もあった)されたところも多かったのですが
後半は往時を感じさせる雰囲気の良いところもたくさんありました。

しかし、コルサのRD破断事件で時間を取ってしまったせいと、
良い道は走るのが楽しく画像を撮るのに立ち止まる気になれず(笑)良い画像がありません(笑)



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幸いゴールの、けったさん宅まで無事、この状態で走り切る事が出来ました。
(途中、結構、自動変速したり歯飛びしたりして怖かった)

RDが壊れたのは、まだ行程の中頃でした。
その後のルートは、もう大変。
押して歩くところは当然、問題ありません、軽く踏んでいける平坦もOK、もちろん下りも大丈夫。
でも目いっぱい踏んで登って行きたい所は・・・・

最近の多段チェーンは一回ごとに新しいピンで接続するようになっています。
今回はスペアのピンを持っていませんでしたので、以前のように、
ピンを交換せず、そのまま使って切り継いでいます。
(作業は、ほとんどチェーン切りの持ち主、けったさんがやってくれたけど)

10速用のチェーンは、ただでさえ結構、神経質でロードの使用でも
初期の頃はチェーン切れをよく見聞きしました。
今回は、前述のように新しいピンでつないでいないのでダンシングで乗っていくのは
チェーン切れが怖くて少しでも登りになるとすぐ押していました。
でも、みんな乗ったままどんどん先に行っちゃうし。
必死でランニングで追っかけていました。


道根往還の後半は乗車率の高い、非常に楽しいルートでした。

また行きたいと思いますが今度は、ぜひRDを付けた状態で行きたいですね(笑)


P.S.
そういえば先週のカフェポタもシングルスピードで参加したんだったよなぁ

さすがに年末でいろいろ、やらなければならないことがあります。

でも・・・
とりあえず、午前中、2時間ほど走りに行くことにします。
(年間走行目標も、まだ達成していないし 笑)

時間があまりありませんので、自宅近くの史跡を訪ねることにします。
近所ですが今まで調べた事がないところです。

まずは豊橋市から西の田原市を目指します。



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田原市の神戸地区、西神(にしかんべ)戸交差点にある道標。
ここは、よくロードトレーニングで通るところです。

以前から気になっていた道標を調べてみます。
全体的に風化が激しく字が読み取りにくくなっていました。
年号は大正11年のようで、あまり古い物ではありませんでした。
右と、左という文字は読み取れるのですが、その下の文字が両方向とも確認できません。
どうも現在の地名と符合しないようなんですが。

この地点は現在、交通量の特に多いところでは有りませんが、
位置的に、江戸時代頃は田原藩の城下町から東の遠州(浜松地区)に抜ける道の
ひとつだったのかもしれません。



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そして、西神戸地区から南西の大草地区に向かいます。
この道路脇の林が今回の目的地。

惣作(そうさく)古窯跡群です。



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ここは以前から、ロードトレーニングで良く通ったところで怪しい?と思っていました。

立派な石碑にも気が付いてはいたのですが、立派過ぎて史跡の物だとは
思っていませんでした(笑)
この辺りで、このような石碑は「土地改良記念碑」等が多く、そういったものと思いこんでいました。
(たいていの場合、史跡は木の棒かブリキの看板程度の簡単なものが多いので)



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最近、手に入れた資料でこのあたりが惣作(そうさく)古窯跡群だと知りました。

それで、確認する為に今回、久しぶりに訪れてみると
「あれ、ちゃんと窯跡が表示されている?!」

以前は気が付かなかったけど、なぜ? (いつも横目で見ていた場所だった)
どうも白いテープは新しく設置されたものではありません。
どうも以前から設置されていたのでしょうが、ずっと下草が生え放題になっていて
気が付かなかったようです。
最近、下草を刈って白いテープが見えるようになったのでしょう。



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この辺りには、このような古窯跡は数百基もあったといわれています。
(渥美古窯 ほとんどが12~13世紀ごろ)

そのなかで、なぜ、ここに、こんなに立派な石碑が立ったのでしょうか?
その理由は全国的にも珍しい
「ざれ歌」が刻まれた碗が出土したからなのです。



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帰り道に、これまた以前から気になっていた豊橋市老津町(おいつ)の高縄城址(たかなわしろ)
に立ち寄ることにします。
(画像は南西側から見たところ)

ここは、母親の実家にも近く、昔から馴染み深いところでしたが城跡だとは、
最近まで知りませんでした(汗)

小高い丘(城山とも呼ばれる)全体が高縄城址で右側の建物は「豊橋市立家政高等専修学校」です。
学校のあたりも、かつては城郭の一部だったようです。

現在は学校、道路、宅地化で、かつての姿はほとんど残っていないということですが、
愛知県の調査では城郭の規模、東西230m、南北120mほどだったそうです。

学校の近くに、かつての空堀、土塁が残っているとも聞きますが今回は時間がなく未確認。



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西側から城山の上部に登ってみました。
学校の西側は畑になっていましたが林の中に、このようなところが。

嘉永、弘化、天保などの年号が読み取れました。
どうも江戸時代の墓石のようです。

この城が築かれたのは明らかではないようですが戸田宗光が、このあたりの領主になった
1475年前後と推定されています。

いつまで、この城が存在したのかも判りませんが・・・
この墓石?類は城とは直接関係ないのかもしれません。
(後の時代に近くに点在したものを、ここに集めたものか? これも私の妄想ですが)



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城跡を歩いてみると林の中に貝類が散乱しているところが2ヶ所ほど見つかりました。
城内で食べられた物か?
貝塚の一部?

探してみると、こんな物も見つかりました。
大きな物は両方とも石ではありません。
どうも、前述の惣作古窯等と同じ時代(12~13世紀前後)くらいの窯跡から
発見される物に似ています。

左の上のものには陶器の破片が付いていますし左の下の破片は陶器です。
この城山にも古窯跡があるのかもしれません。
でも貝殻との関連は??
(海岸線は、すぐ近い)



今回は時間がなく、ほんの3時間弱のサイクリングでした。
それでも、興味深い史跡がたくさんありました。
まだまだ、訪ねてない史跡が周りにはいくつもあります。
ほんとうに、豊橋市、田原市(渥美半島)は史跡も多く、地形的にも走るところに恵まれていますね。

前回は「くさやん」さんの「ツノダ グランプリ」を紹介しましたが

今回は、「まほろみつる」さんの「ミヤタ ジュネス」です。



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このミヤタも、もとはと言えば「くさやんさん」が発掘してきたものです。

くさやんさんによれば店主が純正のオレンジ系の色が気に入らずメーカーに頼んで
グリーン系に塗り替えたものとのことです。
確かにキズの所々からオリジナルと思われるオレンジ系の塗装が見えています。

部品に関しては、メーカーのオリジナルでないと思われる部分が多数あります。

「完成車で手にいれたのではない」という店主の話だったという、くさやんさんの情報も
ありますが当時、この車種にフレーム売りはなかったと思います。
店主が手に入れた経緯は今となっては不明ですが、
このモデルが当時のどのタイプだったのか調べてみましょう。



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輪行車ブーム?時代のモデルらしく輪行用に、このようなヘッド小物が採用されています。
32~34ミリの大きなスパナを使わず(持参せずに)にヘッドのロックナットを着脱する為の
工夫と思われます。
この小物はミヤタのオリジナル アイディアのようです。



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調べてみると1975年10月号のサイスポの裏表紙の広告を見つけました。

ポイントは「まほろみつる」さんのミヤタに使われているヘッド小物と
同じ物が使われていると思われる点です。


いろいろ調べてみると、ユニークなヘッド小物だという事がわかりました。

上側のフォーク部分画像の右端のようにマイクロアジャスター(ヘッド小物 上ナット)は
ステムに固定されるようになっています。

固定は先の実車画像に見えるようにボルトでステムに固定しているようです。
(ハンドルの高さを決めた後、ボルトで上ナットを固定する)

これで、ステムを抜くとマイクロアジャスター(ヘッド小物 上ナット)もはずれ、
その後は上側玉押しを手で緩めればフロントフォークが簡単に抜けるというシステムのようです。
ベアリングはシールド構造により分解時にベアリングが落ちたり、
ゴミが付くのを防ぐと広告文にあります。

では、この広告のグリーンのモデル(JU-10P-B)が「まほろみつる」さんの
ミヤタと同じものでしょうか?
どうも違うようです。



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疑問点は、このステッカーです。
クロモリとありますね。
(これがオリジナルステッカーだとすると・・・)
実は上の広告のモデル(JU-10P-B)はハイテンション鋼でクロモリ鋼ではありません。



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クロモリと言えば「クロモリ ジュネス」という謳い文句の広告を忘れることは出来ません。
早速探してみるとサイスポ1976年2月の裏表紙にありました。

ちなみにクロモリと言ってもカタログにメーカー名などは表示されていないようですし、
バテットチューブでもなくプレーンのクロモリ菅だったようです。

この広告のJU-10DX-Cと言うモデルは実は輪行車ではなく「まほろみつる」さんの
モデルに採用されている例のヘッド小物は採用されていません。
しかし、当時の資料を調べてみると輪行用にJU-10PDX-Cというモデルが用意されていました。
品番にある「P」の文字は「パックモデル」の略で輪行用を表しているようです。

以上の情報をもとに考えてみると「まほろみつる」さんのミヤタのフレームは
1976年前後のクロモリ ジュネス「JU-10PDX-C」ではないかと思われます。

ちなみに輪行モデルの「JU-10PDX-C」(63,500円)と
ツーリングモデルの「JU-10DX-C」(59、800円)との
値段の差はわずか3,700円でした。
違いはヘッドパーツ、サドルバックサポーターが付くか付かないか程度の違いだったようです。
(他にもあるかもしれないが、いずれにしても大差ないと思います)
輪行袋は、どちらのモデルもオプション。



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ミヤタといえば「ギヤ エム」マークですね。



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「ギヤ エム」マークは泥除けにも付いていました。
泥除けはオリジナルでしょうか?



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ポンプペグは直付けされていますがWLはバンド止めになっています。
WLはシマノ ユニシフトがついていました。
ジュネスは、駆動系にシマノ600が使われていましたから、このWLはオリジナルだと思われます。



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RDは当時のシマノのトップモデル クレーンが付いていました。
本来はシマノ600だったはずですから、これは店主の好み?でしょう。

ちなみに、このクレーンは、70年代前半の、通称Ⅰ型と呼ばれる初期のモデルです。



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マッドガードステイはウイングナット式になっています。

ハブのクイックレバーは曲がりのないシマノの古いものです。
これはフレームより、少々古い時代のものでしょう。



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ハブ本体には「3.3.3.」の文字がある古いものです。
先に紹介したクイックレバーと、もともとセットだったものでしょう。



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マッドガードには「JCA 愛知」のステッカーがありました。
これも今では貴重品かも?



いかがでしたか?
「まほろみつる」さんの「ミヤタ ジュネス」、
懐かしく思われた方もお見えになるのでは?

メーカーオリジナルの部品ではないところも見受けられるのですが
ほぼ、1976年前後の雰囲気を感じさせるもので組まれており
これも貴重なマスプロメーカー 中級サイクリング車といえると思います。


P.S.
ペダルは一見、普通のママチャリ用にも見えますが非常にユニークな物が付いていました。
ちょっと、良い画像が撮れてなかったのですが、いつか紹介してみたいと思っています。



番外編で~す


※ブログ容量確保の為、画像を削除しました※
当日、「まほろみつる」さんが持込んだ「アラヤ マイクロハリー」
これで、ポタも走って欲しかった(笑)

月並みな表現ながら
どうみても「サーカスの熊」状態にしか見えない・・・(失礼)

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