コルサの毎日がヒルクライム

2009年01月

18日は朝バンクに行こうと思いましたが
昨日の箱根峠サイクリングで疲れていて起きられませんでした(笑)
(朝バンクに行くには6時起床)

7時30分頃、起きてみると曇天ながら、まだ天気は問題なさそうです。
今日は仕事の準備をするつもりでしたが、その前に少し?走りに行くことにします。

今日は渥美半島の「皿山古窯群」を探してみることにします。

皿山古窯群は以前にも探しに行きましたが結局、判りませんでした。

→ http://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/26321013.html



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渥美半島は常春(年間平均気温は15度ぐらいらしい)と言われます。
今の季節にも菜の花が綺麗です。
でも実際は常春とは言っても冬の渥美半島は季節風が強く体感温度は低いのですが。
幸い、今日は陽射しはありませんが風もなく寒さもそれほどではありません。



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さて、今回は以前とは反対側から山を越えて探しに行くことにしました。

ここは伊良湖岬中学校から北に向かい小さな峠を越えたところにある
小塩津池から東側を見たところ。

ここから山を越えて東側斜面に出るつもりです。
前回、反対側から越えようとして道がなかったとはいえ
見ての通り、ごくごく低い峠ですから気楽なものですが。



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前回、東側から皿山古窯群を探した時は道がなくなり断念しましたが
西側から行くと、しっかりした道がありました。
おかげで、あっさり、峠を越える事が出来ました。
こちら側の道が、しっかり残っているのは東側斜面の中腹に通る
豊川用水の保守点検の為のようです。



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峠を超えて少し下り豊川用水を越えると、すぐに道は荒れてきました。

そして、ここが皿山古窯群でした。

画像の右手の斜面に、いくつかの古窯跡が、わかりました。



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皿山古窯群は県指定文化財になっていますが最近は道も荒れて
訪れる人もないようです。



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林の中に残る登り窯の跡。
ここでは8基の窯跡が確認され、そのうち3基が発掘調査されたようです。



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周辺を探すと、このように陶片が見つかりました。

この辺りの登り窯(あな窯ともいう)が操業していたのは12~13世紀頃だったようです。



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この陶片にはガラス質に変化した部分が見えます。
(高台の外側周辺に黒っぽく見える部分)

これは釉薬ではなく窯の中が高温になり自然にガラス質に変化したもののようです。

渥美周辺の窯では、ごく初期に釉薬をかけていた物もあるようですが、
その後は、かけなくなったと言われています。



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この陶片の高台には「籾(もみ)」と思われる痕跡が見られます。
乾燥前に籾殻の上に置かれた証拠ですね。



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これは陶片ではなく窯壁?でしょうか。
非常に面白いのは「手形」がはっきりわかることです。
7~800年前の職人の手形でしょうか。



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皿山古窯群から東側に下りますが、さらに道は荒れています。



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この中央が道なんですが(笑)
両側は、かつて畑や水田だったようですが、耕作されなくなって久しいようで
道も畑も荒れ果てています。



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皿山古窯群がある山を東側から見ます。
中央の低い所を越えてきました。

前回、道を探したのは画像の右手側からでしたが山越えルートは画像の
左側からが正解でした。

皿山古窯群は画像中央の山の斜面にありました。
この山の更に西側には皿焼古窯群があり、現在は窯を復元し保存展示する
皿焼古窯館があります。



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これは、付録? マンホール蓋マニアの方に(笑)
国道42号線で見つけたもの。

旧渥美郡、現在は田原市になります。
渥美は電照菊(でんしょうきく)栽培が盛んですからマンホールの蓋も
「菊」の花があしらわれています。

これは着色バージョンで(笑)もちろん、着色していない物もあります。
着色していない物が多く、たまに着色してある、この画像のものが見つかります。

ブログで知合った、すーさんが、いよいよ「1000峠」を達成されるという。

記念すべき1000峠は箱根峠越えで迎えるとのこと。


コルサも、一時、峠越えに夢中だった時期(もう10年も前頃)もあり(現在300峠弱)
1000峠達成の大変さは、ある程度、理解しているつもりですから、
これは、お祝いに駆けつけなければという事で箱根に行ってきました。
(峠越えは原因不明の病気の為、その後、中断中 笑)


実はコルサも箱根峠を越えた事がないので良い機会でした(笑)

kokoさんの車に乗せてもらい三島に向かいます。


今回の参加者は
主役の「す-さん」、三姉妹の父さん、kokoさん、週末ライダーさん、コルサの5人でした。



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まずは今日の旅の安全を祈る為、三島大社に向かいます。



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さあ、いよいよ箱根峠に向かいます。
それにしても今日は、この時期には考えられないほど良い日でした。
とても暖かく風も、ほとんどなく、
そのうえ、すーさんを祝福するように富士山も見えています(笑)
これが数日前だったら寒くて辛かったと思います。



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これは笹原一里塚

現在は旧箱根街道と新しい道が重なったり交差したりします。

すーさんとコルサは旧箱根街道が残っているたびに、そちらに入り、
他の3人は現在の舗装道路を行くという繰返しで登っていきます。



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笹原一里塚を過ぎ旧箱根街道を登っていく、すーさん。

旧箱根街道の石畳は思ったより走りやすかったですが、
さすが、すーさん、さらに走りやすい路肩を登っていきます。
(中山道落合宿近辺や姫街道引佐峠東側の石畳は、もっと荒かった?)

左側の畑の様子からも、かなりの斜度だという事がおわかりになると思います。


案内板によれば・・・
「現在、この区間の車道の最大勾配は(傾斜)12%だが、
この道(旧箱根街道)は平均20%、最大40%なので大変な急坂であったことがわかる」



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旧道は所々、車道と重なるのですが、
その都度、高低差を階段で調整している為、旧道を行くと何ヶ所か担ぎが必要になります。



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結構な斜度の石畳を登っていく、すーさん。

それにしても旧箱根街道は、たいへん道幅が広かったのですね。

ふたたび案内板によれば
「1680年頃には宿内を除くほぼ全域が幅二間(約3.6m)の石畳に改修された」とありました。



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旧道から、またまた階段を登り新道に合流。
いよいよ箱根峠がせまってきたようですね。



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ぐいぐい、登っていく、すーさんと週末ライダーさん。
マシンは共にトレック

すーさん、今日はトレックのクロスバイク、週末ライダーさんはトレック マドン。
そういえば、すーさんも舗装道路オンリーの峠サイクリングの為に
トレック マドンを持ってましたよね。

ちなみに
週末ライダーさんは月間走行目標が1000㌔!とのこと、コルサの2倍!凄い(笑)



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箱根峠、直前に旧街道を発見。

すーさんとコルサは、またしても別行動?
峠付近は石畳の幅もさすがに狭くなっています。

すーさんは、こんな坂も乗っていこうとしています(笑)
MTBのチェンホイールでローギヤードになっていることもありますが、
さすがの体力、テクニックです。



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このあたりの石畳は当時のままなのか、荒れ気味のところもあります。
急傾斜でもある為、さすがのすーさんも押していきます。



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こんなところもあります。
山賊とかが出そうです(笑)



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そして、いよいよ箱根峠に到着です。

感動のゴールシーンはkokoさんのブログに良い画像があります(笑)
(この記事最後にアドレス記載)

標高846mと過去に越えてきた信州などの峠に比べて高さも距離も、
それほど高い(長い)わけではありませんが、やはり東海道の難所であったことなどの
ネームバリュー??から感慨深い峠越えでした(笑)

やはり、すーさんの「1000峠達成」の舞台に箱根峠は、ふさわしかった?



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箱根峠から芦ノ湖に下りに箱根神社に立ち寄りました。

箱根神社は凄い人出!
参拝待ちの行列にびっくりです。



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箱根神社からは芦ノ湖を、ぐるりと回り、長尾峠に登りました。
(乙女峠も越えたかったが時間切れ)



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長尾峠からの芦ノ湖



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長尾峠には現在、長尾隧道がありますが
すーさんとコルサは、また(また)しても別行動(笑)

自転車を、押し+担ぎで旧峠を目指しました。

トンネルから尾根までは標識で10分とあり、見た感じでも標高差は対してなく
簡単に旧峠を越えられると思ったのですが・・・

尾根道にでましたが反対側に降りる道がありません。
(画像の左から登ってきました)

すーさんとコルサで、それぞれ別方向に尾根道を偵察に行きましたが
結局、ルートが見つからず断念。
幸い、長尾峠という標識は見つかりましたので旧峠には到達ということで(笑)
(峠の標識は、この画像の背中側に少し登った地点にありましたが、そこにも降りる道跡は見つからず)

しかたなく登ってきた長尾隧道(千石原側)に戻ることにします。



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長尾峠は結局、トンネルで越え?ることになりました。
長尾峠西側から見た夕暮れの富士山。



ここからは、豪快なダウンヒル(上部には数ヶ所、凍結箇所あり)、
市街地に出ても下り基調で、良いペースで車まで戻る事が出来ました。



1000峠を達成された「すーさん」ご本人のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/susan330207/47780673.html


一緒に行ったkokoさんのブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/koko_car_suki/47783806.html

昨年末の記事で「まはろみつる」さんのミヤタ ジュネスを取上げました。

そのジュネスにはシマノ クレーンRDが付いていました。

また、これも昨年末ですが古いシマノ ジュラエースのセンタープルブレーキを
取上げましたので、今回もジュラエース部品を取上げてみます。

ただ、ジュラエースとはいえ今回の部品には「DURA-ACE」ジュラエースのロゴはありません。
「CRANE」クレーンと入っているだけです。

でも、この部品は初代ジュラエースコンポーネントであったことは間違いありません。
ジュラエースの名前のないジュラエースなのです。
なぜ、そのようなことになったのかと言いますと、もともと、
初代ジュラエースコンポーネント発表の前から市販されていたクレーンRDを急遽、
コンポーネントに取り入れたものなのだからなのです。

ちなみに、この「CRANE」クレーンという名称なんですがクレーン?起重機?
と思ってしまいますが「鶴」という意味もあるのだそうです。

そういえば70年代頃のシマノにはペッカー(きつつき)、スカイラーク(ひばり)
など鳥にちなんだ名前の変速機が存在していました。



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さて、クレーンのバリエーションについて。

まず大きな違いはレーシング用のものとツーリング用のワイドキャパシティの物が存在します。
画像は73年の雑誌広告です。
シマノ 初代デュラエース コンポーネントがデビューした当時の広告になります。

中央手前に2種類のクレーンRDが写っています。
レーシング用はModel DB-100
ツーリング用のものはクレーンGSと呼ばれModel DB-110となっていました。



さて、プーリーケージの違いにより2種類のタイプがあったことを、ご説明しました。
その他の大きな違いとして、通常、3種類に分けられています。
まずは古い物から順に見ていただきましょう。




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通称「Ⅰ型」あるいは「初期型」と呼ばれるモデル。

このような綺麗な箱に入っていました。
化粧箱には、いろいろなパターンがありRDのみの箱も別バージョンがありました。
また変速機3点の化粧箱、オールコンポが入った大型の化粧箱もありました。

赤い箱には更に透明なビニールカバーまで付きます。
時代を感じさせるのは「取付用のツメ」と「アーレンキー」が付属することですね。
ケースを良く見るとプーリーケージのちがうモデル(前述のGSと共通の箱)も
同じ箱に入る様になっている事がわかります。



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「Ⅰ型」の箱に入っていた説明書の裏表
説明書には「Printed in Japan 73.02」の文字があります。



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「Ⅰ型」モデルを箱から取り出してみます。

まず、よく見ていただきたいのはワイヤー受けがアッパーボディ一体式になっており
ワイヤーアジャスターが付かないことです。



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それでは「Ⅱ型」と呼ばれるモデルを見てみましょう。

「Ⅰ型」モデルと比べていただきたいのはアッパーボディの形状が変更になり
ワイヤーアジャストが付いたことですね。



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これがクレーン最終生産モデルの「Ⅲ型」です。

ワイヤーアジャスターなどは「Ⅱ型」を引き継いでおり一見、「Ⅱ型」と同様に見えます。
事実、基本的な構造は「Ⅱ型」と同じなのですが細かな変更が行われています。

それは上下の2本のボルトの周囲に樹脂製ブッシュ?が組み込まれていることです。
この変更はデュラエースと文字が入った最初のRD「DA-100」にも採用されていました。
デュラエースRD DA-100では樹脂製スペーサーが入ったモデルしかありませんから
選びようがありませんが
クレーンでは、このブッシュが入ったモデルは、どちらかと言うと不人気なようです。


あと、いつ切替わったのか確証の持てない変更もあります。

ブレーキワイヤー固定ナットの形状です。
画像の「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」のワイヤー固定ナットを良く見てください。
サンプルの「Ⅰ」「Ⅱ」型はアルミの袋ナットを使っている事がおわかりになりますか?

そして「Ⅲ」型はスチール製になり袋ナットにはなっていないのです。
この変更が「Ⅱ」型から「Ⅲ」型に変わった時(ブッシュが入った時に)に同時に
変更が実施されたのか、それとも「Ⅲ」型の途中で変更になったのか確証がありません。
「Ⅱ」型でもスチールナットのモデルがあったという情報も寄せられているのですが・・・
「Ⅱ」型時代に両方のナットのモデルが存在したとすると「Ⅲ」型にも
両方のナットのモデルが存在するのでしょうか?(笑)


クレーンの、この他のバリエーションと言うとブラックモデルの存在が上げられます。
クレーンRD だけでなくFD、WL(ブレーキ、CW他コンポ全体に)にブラックモデルが存在しました。
変速機セットなどは結構、ショップなどに売れ残っているのを見かけたものですが
最近はあまり見かけることがありません。
残念ながらブラックモデルの良いサンプルがなく画像は用意できませんでした。



※※※2009年1月16日訂正
下記のチューニングパーツの詳細については確証が有りません。
t-bike様にコメントいただいたようにアルミ製でない可能性もあります。
この件については、これから調査したいと思います。
詳細が判明したら、またご報告いたします。
このキットに関して、ご存知の方が見えましたら、ご教授ください。


あと、クレーンRDといえばシマノ純正のチューニングパーツも存在したようです。
上下のボルト(エンド取付ボルト及びテンションスプリングボルト)セットで材質は軽合製、
(もとはもちろんスチール製)軽量化を狙ったものでしょう。

これは、残念ながら売られているのを当時、見た事がなく手に入れたことはありません。
80年代にサンツアーが軽合金製小物を使った軽量部品を販売しますが、
その頃のシマノは、まったくそのような動きはありませんでした。
それを考えるとクレーン用軽量ボルトキットが有ったのは意外な感じがします。

今日も行ってきました、朝バンク練習。

それにしても朝のバンクは冷え込んでいて寒い。
(気温も外より競輪場のほうが低いようです)
練習に競輪場を使わせていただけるのは良いのですがアマチュアの練習時間は
朝7時から~9時までと決められています。


使い込んだ厚手の手袋には穴があいているし、今シーズンになって、
まだシューズカバーが見つからないので
(ぼろいとはいえ2セットあったはずなのですが)非常に寒い(笑)

足も手も指先が冷え切って痛いぐらい、頼んでおいたシューズカバーも品切れだし(笑)
このまま今シーズンを乗り切れるのか・・・・

先週から今日はギヤ比を変更。
先週までレース用に50-15T(ギヤ比 3.333)だったものを50-16T(3.125)に変更しました。
冬場はこのくらいで回転重視でトレーニングの予定。
そのせいばかりではないと思いますが今日の最高速は40キロ台なかば・・・・
体はしっかり暖まってからで特に問題はなかったはずなのですが
最高速スピードが低すぎます(笑)どーして?
まあ、自分だけでなく皆さん、シーズン中のように速くはないようですが。


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灰色の悪魔!?(笑)
第4コーナー
バンクの傾斜がイメージしていただけますか?

画像ではわかりませんが、結構、キズを補修した跡があります。
これは落車してバンクにキズがつくからです。
競輪の世界は、それだけ激しいレースが行われているのです、おー、こわい(笑)

「田口線 南側のトンネル群 その2」というタイトルになっていますが
トンネル群はその1の部分でほとんどご紹介してしまいました。

その2では大草トンネル、三河大草駅周辺と大井川橋梁を中心に、ご報告します。


※ここから下最初の画像までは、その1と同じ文章です。



2008年1月から数度にわたって訪ねた豊橋鉄道 田口線の廃線跡も今回で、ほぼ9割がた踏破(走破)したのではないかと思います。
そこで過去の記事をまとめて「豊橋鉄道 田口線」の書庫を作りましたので、ご興味のある方はどうぞ。

今回は鳳来寺駅の南側にあった、傘川橋梁から大井川橋梁の間の様子を、ご紹介します。
ただし、探索した地区から順番に、ご報告しますので北からとか南からとかの路線順にはなっていません。
その為、混乱しやすいかと思いますが実際、橋梁が既になかったり築堤が切り崩されたりしていますので
路線通りには歩けないので、訪ねた順のほうが実際に訪ねる時の参考になりやすいのでは?と判断し探索順に書いていますのでご了承ください。

参考の為、今回の区間を路線順に北から南に書き出しておきます。
①鳳来寺駅
②万寿隧道(両方の入口とも封鎖されているとの事)
③傘川橋梁(撤去されていて渡れません)
④峰第4隧道
⑤峰第3隧道
⑥築堤(黒谷地区の北 道路の為、切り崩されていて渡れません)
⑦峰第2隧道
⑧峰隧道(内部に扉部分、2ヶ所あり)
⑨築堤(広場のように広い。多分、近年広げられた)
⑩富保隧道
⑪築堤(立派な築堤、当時より、やや広めか?)
⑫大草隧道
⑬三河大草駅
⑭築堤(富保地区? 道路の為、切り崩されていて渡れません)
⑮大井川橋梁(撤去されていて渡れません)
⑯内金隧道(現在も道路として利用されています)
⑰本長篠駅



「田口線 南側のトンネル群 その1」からの続きです。

今回の探索目的区間の北側、傘川橋梁まで辿り付きましたので今度は富保隧道から
南側を調べることにします。

傘川橋梁川から県道32号線を一気に自転車で下ります。
このへんは歩きより便利なところですね。

さて、本日最初に行った廃線跡、富保トンネルに戻りました。



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今度は富保隧道の南側を調べます。

画像は富保隧道を背に北側から大草隧道を見たところ。
資材置き場+作業場になっているようです。

ここの築堤は線路跡としてはやや広いような気もしますが?



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大草隧道を通り、南側から見たところ。



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大草隧道を抜けるとすぐに三河大草駅の跡があります。

ホームの裏手はすぐに崖(杉林)になっています。



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ホームから南側を見たところ。

右手が線路跡、左手の細い道が集落への道となります。

集落への道と言っても山林の中の細道です。



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三河大草駅ホームを南側から見たところ。

大草隧道が見えています。

この駅は無人駅だったようです。
画像の通り、駅舎などを作る場所は、ありませんし集落からも遠く
利用者もあまりいなかったのでしょうね。



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三河大草駅から南に向かうと、かなり荒れたところもあります。

山仕事に入る人が使っている形跡はありましたが最近はほとんど
山に入る人もいないのかもしれません。



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どんどん南下していくと、線路跡がなくなってしまいました。

ここもかつては築堤があったはずですが、崖下に広場?と道路が見えます。
ここも築堤が切り崩されてしまったようで降りるには大変そうにみえます。
自転車は駅の跡に置いてきていますので戻ることにします。



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県道を自転車で走って先ほど築堤の上から見えたところを探します。

すると、大きなコンクリートの構造物が見えました。
この構造物は鉄道施設の一部のようです。
ここを登ったところが先ほどの築堤の切れたところでした。



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築堤の跡から南側に登っていく小道がありました。
登りきると線路跡に出ます。

どんどん進んでいくと、こんなところがあったり。



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更に進んでいくと崩壊して線路跡がほとんど埋め尽くされているようなところもあります。



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このへんは、かなり崩壊していますから、
これから尋ねようという方は十分、注意して進んでください。



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そして、やっと大井川橋梁までたどり着きました。

下に見える道路は県道32号線になります。
右手が本長篠駅方面になります。



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大井川橋梁を県道32号線から見たところ。

これは北側から見ています。



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大井川橋梁を県道32号線から見たところ。

これは南側から見ています。



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さて、ここまできたら大井川橋梁の南側も確認したくなります。
でも、南側の入口を昨年確認したところ、凄い状態だったんですが・・・。

で、行ってみると今年も凄い状態でした(笑)

ここが線路跡で、この画像の、やや左寄りのヤブの先が大井川橋梁の南側になるはずです。



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ヤブを何とか突破すれば、良い?状態の線路跡でした。



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すぐに大井川橋梁の南側に到着です。

でも木が茂り、ほとんど何も見えません。
かなり傾斜がきついので足元には要注意です。

画像の左、上の部分にわずかに「3個の碍子」が見えているのがお分かりになりますか?
その向こうに少しだけ大井川橋梁が見えました。





さて、ここから南には内金隧道や飯田線との分岐跡などがあります。
その画像は以前の記事でご紹介していますので今回はここまでとします。



廃線から約40年、かなり荒れていて危険なところも多数あります。
これから訪ねてみようという方は一人ではなく複数で行かれることをお勧めします。
季節的には草が枯れる冬場が良いでしょう。
冬場ならヘビやヒル、虫の心配もほとんどありませんから。

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