コルサの毎日がヒルクライム

2009年03月

今日は天狗党の仲間達とサイクリングに行ってきました。

メンバーは豊橋市役所近くのK林君の店の駐車場からスタートしますが
先週のサイクリングで脚を痛めたコルサは大事をとって途中から合流することにまします。
(距離を短くする為)

豊橋市の南東、二川付近で無事?合流。
一路、東へ向かって進みます。
追い風の、おかげで調子は良いのですが帰りの向かい風が怖い(笑)

今日の予定は浜松の西側にある浜名湖南側の、舞阪の人気店で昼食を食べることです。



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追い風のおかげかペースも速く、昼食には、まだ少し早いので途中、
湖西市鷲津の本興寺に立ち寄ります。

この本堂は国指定の重要文化財で16世紀半ばの建立だそうです。
屋根が萱葺きなのが変わっていますね。



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例によって食事の写真は取り忘れ(笑)
画像は舞阪漁港にて。
背景、左側が本日の目的地、食事処「魚あら」さん。

ちなみに、このあたりが江戸時代の東海道「今切れの渡し」(今切渡船)の
舞阪側(東側)の船着場であったらしい。
その為、近所には「渡荷場跡」(とうかば)などの説明版があります。
(渡荷場とは輸送用荷物の積み下ろしをした場所)



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東海道「舞阪の宿」にある、「脇本陣 茗荷屋」(みょうがや)

この建物は古い材木をいかして1997年に改修復元されたもの。
内部は公開されていて(無料)説明をしてくださる方もいます。



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中に入ると、こんな感じです。
先の画像の通り、間口は狭いのですが奥行きはかなりあります。
出入り口から、奥の「上段の間」をながめています。



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どんどん、奥に行って、ここが「お殿様」の座布団。
(先の画像の奥側から見たところ)

ここには、現代でも我々、下々の者は座らせてはもらえませんでした(笑)



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浜名湖 弁天島にて。
浜名湖の干潟に立つ大鳥居をバックに。
後ろを横切るのは旧浜名バイパス。(国道一号線)

このあと弁天島から「新居の宿」を通り、豊橋を目指します。
ちなみに先ほど書いた舞阪の船着場から出た今切渡船は現在の新居関所の
すぐ東側に着いたそうです。
現在では新居関所から浜名湖までは少々、距離がありますが長い間に少しずつ
埋め立てられたのでしょうね。

今日は浜名湖でサイクリングイベントがあったので、新居周辺では多くのサイクリストと
すれ違いました。



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そして、新居から旧東海道(旧浜名街道)を通り、ついたのが旧東海道「白須賀宿」
画像は白須賀宿の元町地区。
もともとは、この元町地区が宿場だったそうですが1707年の地震と津波で壊滅的な
打撃を受け移転したのだそうです。
この場所には大正13年の道標があり「右旧道 左新道」の文字があります。
「左新道」は浜名バイパスが無料化される以前のメイン道路だった旧国道一号線になります。
大正時代頃までは江戸時代からの旧東海道が使われていて大正時代に昭和の国道一号線と
ほぼ同じ位置に新道が作られたのでしょう。

我々は、もちろん?旧道(旧東海道)を行きますが、
それにしても、みんなの視線は何を見ているのでしょう・・・・・。



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そう、みんなの視線は、この急坂を見ていたのですね。
これが旧東海道の難所のひとつ、「潮見坂」です。
この坂、たいした長さはないと思っていたのですが意外に距離があって(笑)



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潮見坂を登りきると、こんな素晴らしい景色が。
もちろん、見えるのは太平洋(遠州灘)、旧国道一号線。
かつては国道一号線として交通量の多かった場所ですが、先にも書いたとおり浜名バイパスが
無料となり国道一号線のメインとなった今は、ほとんど車が写っていません。

この潮見坂は国道一号線時代の難所であり、また長距離トラックドライバー相手の食堂が
立ち並んでいましたが最近は寂しくなってしまったようです。


また遠州灘を眼下に、遠く富士山も望む事が出来た、このあたりは、いにしえからの
名勝地であったらしく鎌倉公方 足利義教も、この地で休憩し歌会を開き
自ら歌を詠んだといいます。
そのほか明治天皇行幸の碑なども立っています。

1707年の津波と地震の後に移転することになった白須賀宿は、潮見坂の上の、
この場所から少し西側に開かれました。



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さて、白須賀宿から次の宿は二川宿です。

二川宿には馬場本陣が改修復元工事を受け一般公開されています。

今回、我々は本陣には立ち寄らず、本陣からすぐ近くにある
和菓子屋の中原屋さんに直行(笑)
麩饅頭(ふまんじゅう)等を買い求めました。


さて、コルサは二川宿の近くに車を置いていますので、この先で皆と別れます。

今日の復路は 舞阪宿~新居宿~白須賀宿~二川宿 と旧東海道の宿場を通ってきました。
比較的、地元でありながら若い頃は国道一号線などを通るばかりで(車も自転車も)、
ほとんど通ったことがないところでした。

みんなと、ゆっくり走って、ゆっくり食事して地元を再発見、
今では、こういったサイクリングがいいなぁ。

ちょっと前までは、みんなと走るといったら、
アタックの掛け合い、千切り合いだったもんなぁ(笑)

今回は珍品を、ご紹介します。

その名もシマノ 「10スピードキット」 です(笑)



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もちろん、これはリヤ10速にするものではなくて リヤ5速の自転車の
フロントシングルギヤにインナーギヤをつけて
フロント2枚リヤ5枚で合計10速、10スピードにしようというキットです。

これは、今回、「ネットオークションに代理出品してくれ」とコルサのところに
持込まれた物ですが、資料としても面白いので皆さんに、
ご紹介させていただくことにしました。


時代的にはジュニアスポーツ車がまだ、リヤ5速時代だった70年代中頃の物でしょう。

実はコルサも76~年頃、後輩の自転車を、このような部品を使って何台か改造した事があります。

カトーサイクルさんなどの広告にも(あのイラストの)このようなキットが
当時、載っていたと記憶しています。

ちなみに今回のキットは台紙の下のほうに「¥4500」の文字が見えます。



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さて、どのような内容かを確認してみましょう。
パーツリストが印刷されていますね。

これを見るとFD、WL、インナーギヤといった物から
ワイヤー類、ケーブルガイド、インナーキャップに至るまでしっかり
セットされている事がわかります。



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部品類の画像をアップで見てみましょう。
FDはシマノのサンダーバードⅡですね。
これはオールスチール製の普及品、FDです。
WLもごく普通の物ですがレバー自体はアルミ製です。
これはパーツリストにも、ちゃんと「Wアルミレバー」と書かれています。



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セットされているインナー用ギヤを見ていて面白いことに気がつきました。

歯数刻印の横のマークにご注目。
この三本の矢のマークは、「タカギ」のマークではありませんか。
良くシマノとタカギは協力関係?に合ったと聞きますが、これを見ると、
その話は間違いないようですね。
シマノの部品セットにタカギのマークの入ったギヤ板がセットされているのですから。
ちなみにギヤはスチール製でした。



さて、このセットを、一生懸命、お小遣いをためて手に入れた自転車少年達ですが、
うまく改造できたのでしょうか?

まずは、ベースとなる自転車のチェンホイールにインナーを固定する3本のネジ穴が
なくてはなりません。
当時のジュニアスポーツは、たいていインナーギヤ用と思われる位置にちゃんと
穴があいていて場合によっては、そこに飾りのアルミプレートなどが止められていました。
(メーカー名などの入ったプレート)


ショップの親父さんに頼んで借りたコッタレス抜きでチェンホイールを外した少年達は、
飾りプレートを外しインナーギヤをセットします。
そして、憧れの?インナーギヤの付いたチェンホイールを誇らしげに自転車に取り付けるのです。


そして友人達の手助けでWL(当時のジュニアスポーツはSLがトップチューブについていたりした)、
FDなどを苦労して取り付け、いよいよ、チェンホイールを回してみるのですが・・・・

あれれ、チェンホイールがなぜか、うまく回りません。
あわてて、各部を点検してみるとインナーギヤがフレームのチェンステイに当っているのです・・・

呆然とする少年達にショップの親父さんが冷たく言い放ちます。

「やっぱり駄目か、シャフトも替えんとインナーがこするな」


そうです、少年達のジュニアスポーツ車は、もともと、フロントシングルですから
BBシャフトも当然、シングル用です。

①「運が良い子」の自転車にはシャフトの中でも、ややCL(チェーンライン)が
  長いシャフトが入っていて当りません。

②「少し運の良い子」はシャフトは完全なシングル用ですがフレームの「つぶし」が
  大きいせいか、ギリギリですがギヤをクリアしています。

③「そして運の悪い子」は・・・インナーギヤが完全にフレームに当っています。


ショップの親父さんは「シャフトを長い物に変えると部品代と工賃で○○円はかかる」と言います。

もちろん、運の悪い子は、このキットを手に入れるのが精一杯で、そんな、
お小遣いは残っているわけもありません。


それでは、運の悪い子はどうしたかというと・・・
(彼はともかく、彼の仲間は思い切りの、いい少年達だった)

「当ってるなら当らないように、すればいいんじゃねえの」
「削ってみるか」
「削るとパイプが薄くなるし、穴があくかも」
「なるほど、それもそうや、じゃどうする」
「叩いてフレームへこませればいいじゃん」
「そうだ、そうだ」 
「そうしようぜ」
「おじさ~ん、かなづち借りるね」


ショップの親父さんが唖然とし、
自転車の持ち主の少年が不安そうに見守る中・・・・、

仲間達はハンマーでガンガン、フレームを叩き、とにかくインナーギヤを当らないように
フレームを加工したのでした(笑)

1970年代中頃、日本のどこかで、あった実話です(笑)
懐かしいなぁ(爆)

※シルクで行く奥三河 (後編)
 
  なぜか奥三河でTOEIネタ(笑)



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今回、お世話になったペンションの前にて。
二日目も良い天気に恵まれました。



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折元峠を一気に下り津具、豊根村をとおり新豊根ダム(みどり湖)に着きました。
向かい風ですがルートが下り基調なので、楽ちん楽ちん、一気です(笑)



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新豊根ダムでダムカード、ゲット(笑)
ダムの放水シーンがあしらわれています。

右下に「A」って書いてあるけど、どういった意味なんでしょう?
違う画像で「B」とか「C」もあるんでしょうか(笑)



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ダムカードは近年?ダムマニア?向けに始まったサービスでダムのデーターが書かれた
カードをいただけます。
全国のダムで発行されているようですが、ダムの管轄によって発行していないダムも
あると知人から聞きました。



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新豊根ダムから大入渓谷を下ります。
道はおおむねこんな感じです。
(ここは路面が良好なところです)

コルサが初めて通った時は(25年ほど前)未舗装を苦労して登りましたが
現在は全線舗装されています。

ただし、舗装とは言っても落石、木の枝、落葉などで油断は出来ません。



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それにしても大入渓谷は、とても山が険しく谷が深い。

中央、やや左寄りに黄色のウインドブレーカーのbikarieraさんが
走っているのが見えるでしょうか?



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良く、こんなところに道を作りましたね~!
谷底は画像より、ずっとずっと下の方なのです。

過去、何度も通行止めになっているのが納得できます。



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大入渓谷を下る途中で昼食をとります。

この道には車は、ほとんど入ってきませんから道の真ん中で食事を始めます(笑)



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昼食後も大入渓谷は、こんな感じが続きます。

でも、このあたりは、ずいぶん、谷が浅くなっています。
もう少しで、大入渓谷、大入川も東園目川に合流します。



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最後にトンネルが二つ続けば長かった大入渓谷も終了です。
国道に突き当たり左折すれば、すぐに静岡県境 浦川地区になります。

ちなみに、かつての秋葉街道は昨日の柴石峠方面から、ここ裏川に山間部を抜けてきます。
浦川からは南東に向かい和山間峠か地八峠を超え
天竜川沿いに出て行きます。

ここから少しの間、静岡県を走り愛知県に入ったところで、お目当ての場所によります。

それは・・・



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鉄道ファンに人気のある?JR飯田線ですが、その飯田線の駅の中で、
なぜか最もサイクリストに人気がある?のが、この駅です。

そう、その名も 「TOEI」 (トーエイ)なんですから。

数ある駅の中でも多くのサイクリスト、憧れの駅「東栄駅」です。

2台のトーエイ車を、さしおいてシルクが中央に納まっています(笑)



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東栄駅は現在、無人駅でした。
飯田線の駅の中では比較的広く明るい感じの駅でした。
(山奥の駅は狭いところも多い)

さて、ここからは当初、別ルートを考えていましたが、まっすぐ国道を下って
帰るとことにしました。
(bikarieraさんは遠回りになる別ルートを行きたかったようですが
 コルサとデモ鳥さんは、もう十分ということで 笑)



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車を置いてある本長篠の街まで戻ってくると春祭りの山車が出ていました。

bikarieraさんとデモ鳥さんは振る舞い酒をいただきたかったようですが、
この後、車の運転がありますから我慢です(笑)



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というわけで、無事?一泊二日の奥三河サイクリングは終了しました。

今回、初ツーリング(走行は3回目)だった片倉シルク キャンピングベースのランドナー仕様

コルサがランドナー(キャンピングフレームベースですが)で、まともに走ったのは
久しぶりのことです。

このシルクについては、また、別の機会に、ご紹介しようと思っています。

20,21日はbikariaさんのお誘いで奥三河にサイクリングに行ってきました。
なんでも来年の「ランドナーのサイクリングイベント」の下見だそうです。

普段「ランドナーには縁のない」(笑)コルサですが、ちょうど良いかと思い
先日、手に入れたシルクのキャンピングフレームをランドナー仕様に急遽、仕上げて
参加させていただくことにしました。



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朝9時頃まで降っていた雨も、やんで絶好のサイクリング日和になりました。
(画像は本長篠駅、路面がまだ濡れています)

今回の参加者はbikariaさんとデモ鳥さん、そしてコルサの3人です。
お二人はトーエイのランドナーです。
(中央がコルサのシルク キャンピング)

まずはJR飯田線、本長篠駅から県道32号(鳳来東栄線)を北上します。
鳳来寺山の登り口、門谷地区の手前に、短いのですが結構きつい峠があります。



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県道32号(鳳来東栄線)を行くと廃線になった田口線の痕跡が所々に見られます。

(豊橋鉄道 田口線に関しては数回にわたってレポートしています)
詳しくは→ http://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/28356875.html

画像は門谷地区 鳳来寺駅跡から北西側に下ったところにある田口線の田代トンネルです。



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海老地区の手前には県道から離れて田口線の線路跡を利用した道を行きます。

ここは田口線跡の双瀬トンネルを北側から見たところ。
見事な岩盤をくりぬいたトンネルです。



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そしてここは田口線の滝上駅跡です。
向かって左側に駅のホームが残されているのですが・・・今の時期でもこの様子です。

実は、この駅、県道から、ほんの少し入ったところにあります。
せっかくですから当時を偲んで歩いてみました。



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稲目トンネル南側から右に折れ仏坂峠方面に入ります。
仏坂峠の途中、有名な四谷の千枚田。
まだまだ、田植え前ですから、ちょっとさえませんね。

中央の山が鞍掛山で右側に仏坂峠、左側に、かしやげ峠があります。
仏坂峠は現在トンネルがあり車で抜ける事が出来ます。
いずれの峠も古い時代からの街道の峠だったそうです。



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仏坂峠に到着です。
bikariaさんがデーターを熱心にメモしていますね。

ここの峠は展望は良くありません。

本来の峠は、ここから少し登るだけなのですが・・・。
東海自然歩道が通っていますが鉄製の階段で登るほど険しい区間で、かつて多くの
馬が滑り落ちたりした難所で、たくさんの馬頭観音があります。

現在、旧峠の北側はほとんど滅失しているようでコルサも、そちら側には下った事がありません。



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仏坂峠から数キロ下り神田の集落に出て左折、今度は堤石トンネルに向けて登っていきます。
堤石トンネルを過ぎた所から数百メートル下ったところから林道に入っていきます。
そして次なる峠、柴石峠を目指します。

林道(舗装)を行くと途中、長江という集落があり所々に長江城への道標がありました。
帰ってから調べてみると、
このあたりは戦国時代頃まで?の街道(現在の県道は西側を通る)であり
長江城には10世紀中頃から500年間ほど、永江氏(村名とは字が違う)が
居城していたとのことでした。



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柴石峠(旧峠)は、ずいぶん前に越えた事があります。
久しぶりに再度訪ねてみました。

峠になぜかゲートがありますね(ゲートについては後述)

ゲートの左側に石柱が見えます。
この石には「みぎはあきは」「ひだり つく」「明和7年」とかいてあります。

「あきは」は「秋葉」で「つく」は「津具」でしょう。
秋葉と言うのは静岡県浜松市の北東、天竜川沿いにある秋葉神社のことを表します。
長野県境に近い奥三河の山中でピンと来ませんが、かつての秋葉神社信仰が
盛んだったことの証拠です。

かつて尾張や岐阜、信州から、この柴石峠を通って秋葉神社を目指したと言われています。
(ちなみに当時のルートは尾張や恵那方面から稲武へ出る。稲武から津具を通り柴石峠、
ここから東栄町、浦川、和山間峠を越えて天竜川沿いに出たという。他にもルートはあるが)



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さて峠のゲートは何なのか説明しましょう。

実は柴石峠は奥三河の有名な化石産地なのです。
柴の石・・・そう、植物の化石がたくさん見つかったことから柴石峠と
呼ばれるようになったと言われています。

その為、ゲート(峠)の東側斜面は化石マニアの盗掘を防止する為に
鉄条網+金網で囲まれています。

コルサはかつて単独で自転車を持って越えた事がありますが
鉄条網+金網は峠周辺を完全に閉鎖しており今回、急斜面をランドナーを引きずって歩くのは、
どうかと言うことで柴石峠越えは断念、県道に引き返しました。



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柴石峠の北側に石仏がありました。
残念ながら年号などは読み取れず。

(旧)柴石峠から県道427号(坂宇場、津具設楽線)に出て津具に向けて北上します。



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津具からは本日、最後の峠、折元峠があります。
折元峠を登りきると峠の上には高架で茶臼山高原道路が通っています。

ここ折元峠から北側、長野県側に下ればすぐに今夜の宿があります。
(面白いことに県境は折元峠ではなく2キロほど下ったところに愛知長野県境がある)

画像のように、折元峠のすぐ南側には石碑があって
「至上津具」「右 旧道」「左 新道」とあります。

旧道は急勾配の上、道幅が狭く車がかえって多い(距離が短い為、地元の車が多く通る)
ので自転車には上り下りとも新道をお勧めします。

ちなみに新道は明治25年頃出来たそうで津具村内の石碑には「旧道21丁、新道1里7丁」と
あるそうです。
わかりやすく言えば旧道2.3キロ、新道5キロほどと言うことですから新道は傾斜を
緩くする為に距離にして倍以上長くなっているということになります。

※21日の様子は、また後日アップします。

天狗党カップ第2戦やる気会の画像をアップします。

「天狗党、やる気会」は現役プロ選手から実業団登録選手を含む本気?のレースクラスです。



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やるき会、一周目の様子。
向かって左からヒルクライマー修行僧O氏、初参加N山君、有力者O川さん、
今季調子登り坂?K崎君、元イタリアチーム所属K林君



※※ブログ容量確保の為、画像を削除しました※※

K崎君の力強いダンシング。



※※ブログ容量確保の為、画像を削除しました※※

前、2回目の参加、M崎君。後ろ、K崎君。
M崎君、3位。K崎君5位。



※※ブログ容量確保の為、画像を削除しました※※

O川さん、いつもダイナミックな走り。
今回は4位。



※※ブログ容量確保の為、画像を削除しました※※

スーパースプリンター 世界のM井君、登りは苦手?・・・今回7位。



※※ブログ容量確保の為、画像を削除しました※※

実業団、T部、まだ走り込みが足りないようで今回はリタイア・・・大丈夫かよ。



※※ブログ容量確保の為、画像を削除しました※※

今回、初参加のN山君。高校競技部出身、さすがの今回初優勝。



※※ブログ容量確保の為、画像を削除しました※※

前、N山君、1位。後方、K林君、2位。
イタリアで走っていたK林君も最近、力を取り戻しつつある。
今後もN山君、勝ち続けられるか。

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