6日は名古屋で用事がありました。
待合わせ時間より少し早く着いたので前々から行きたかった
「見晴台考古資料館」に行ってきました。
待合わせ時間より少し早く着いたので前々から行きたかった
「見晴台考古資料館」に行ってきました。
「見晴台考古資料館」は名古屋市南区、「笠寺観音」のすぐ東側にある笠寺公園内にあります。
実際は公園内にあるというか公園周辺~全てが遺跡と言ってもいい地区です。
実際は公園内にあるというか公園周辺~全てが遺跡と言ってもいい地区です。
見晴台遺跡の概要としては旧石器時代から太平洋戦争の戦争遺跡まで含まれる複合遺跡です。
おもには弥生時代の住居跡が有名な遺跡で
中学生以上から参加できる体験発掘が行われることでも知られています。
(現在でも夏季に体験発掘が行われています)
おもには弥生時代の住居跡が有名な遺跡で
中学生以上から参加できる体験発掘が行われることでも知られています。
(現在でも夏季に体験発掘が行われています)

今回は3月22日までの特別展「なごやの古窯」が行われていました。
その為、常設の展示を見る為には、もう一度、訪れなくてはなりません(笑)
名古屋ですから、また来る機会もありますし入場無料なので、まあ良しとしましょう(笑)
名古屋ですから、また来る機会もありますし入場無料なので、まあ良しとしましょう(笑)

展示は古墳時代から近世にわたるものでした。
同じ愛知県とはいえコルサの地元の渥美窯とは差異がある出土品は興味深いものでした。

近畿地方でしか見つかっていないと思っていた「陶棺」(陶製の棺)が千種区の
窯でも発見されていたことは始めて知りました。(画像は陶棺とは関係ありません)
資料によると名古屋市千種区から見つかった陶棺の破片は陶棺の分布の中で
最も東に位置する事例とのことでした。
最も東に位置する事例とのことでした。


「見晴台考古資料館」の別棟、「住居跡観察舎」の内部。
この中だけで弥生時代の住居跡が10軒分以上見つかっているようです。
(同時期の物もあるようですが同じ弥生時代でも年代差によって幾重にも重なっているところもあるらしい)

こちらは戦争遺跡?「笠寺高射砲陣地」の高射砲台座跡。
戦時中、名古屋市には多くの軍需関連工場があった為
(その他、港湾、鉄道、発電所、飛行場などもあった)、
アメリカ軍の爆撃から守る為、高台を利用して高射砲陣地が作られたとのこと。
文献によると6門の高射砲があったそうですが現在、残っている台座跡は2門のようです。
(その他、港湾、鉄道、発電所、飛行場などもあった)、
アメリカ軍の爆撃から守る為、高台を利用して高射砲陣地が作られたとのこと。
文献によると6門の高射砲があったそうですが現在、残っている台座跡は2門のようです。
今回は時間がなく、これだけでした。
まわりには貝塚町遺跡をはじめ多くの遺跡がありますし市内では唯一残るという
東海道の一里塚もあるので(笠寺一里塚 2基一組のうちの片側のみらしい)、
また時間のある時に、ゆっくり回って見たいものです。
まわりには貝塚町遺跡をはじめ多くの遺跡がありますし市内では唯一残るという
東海道の一里塚もあるので(笠寺一里塚 2基一組のうちの片側のみらしい)、
また時間のある時に、ゆっくり回って見たいものです。