コルサの毎日がヒルクライム

2009年04月

29日は作手村の山間部を走りに行ってきました。

作手村は愛知県新城市にある村で国道301号線が通る中心部は
標高4~500mほどにあり作手高原と呼ばれることもあります。

今回は国道301号線にある道の駅「作手手作り村」の南側に車を置き
作手村の東南部から東北部にかけて走ってきました。

目的は山間部にある小さいけど歴史のありそうな集落を回り、
その昔「古道はどこを通っていたのか」思いを馳せることです(笑)



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作手村相寺地区の白鳥神社に有った狛犬?
面白い形の狛犬です。特に正面からの表情は、いい味出しています(笑)
前足の間に何か文字が彫られていますが
年号などは残念ながら読み取れませんでした。



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相寺地区の集落から北に抜ける小道に交差していた古道と思われる道と祠。
位置から見て新城市と豊田市、岡崎市を結ぶ古道の一つだった可能性もあるのでは。
まわりの石仏には「宝暦」(江戸時代)の年号を確認しました。



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鴨ヶ谷地区に出て甘泉寺に立ち寄ることにします。
甘泉寺の参道には大杉が何本もたっています。
大杉が先なのか?参道が先なのか?(笑)


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甘泉寺の境内には「コウヤマキ」の巨木があります。
地形図にもコウヤマキと書かれていて、ずっと気になっていましたが、
やっと訪ねる事が出来ました。

なんと国指定天然記念物だそうです。それで地形図にも出ていたんですね。
樹齢推定600年、樹高27mだそうです。



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そして、甘泉寺に立ち寄ったもう一つの目的。
ここには長篠の戦(1575)での活躍が有名な鳥居強右衛門の墓碑があります。

鳥居強右衛門の墓は磔(はりつけ)にされた長篠城近くの寺にもありますが、
ここ甘泉寺には織田信長の命によって葬られたといわれています。



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甘泉寺から東の山を越えて「大和田集落」を目指すことにします。
ここからは峠を越えなければなりません。
今日、幾つ目の峠になるでしょうか?(笑)

峠を越えたところから途中、林道 寺海津線に入って休憩(昼食)することにします。



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大和田の集落です。
今回訪ねた山間の集落では、かなり大きな方の集落になります。
それでも20~30戸ほどでしょうか?



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山間部の集落でこんな車を発見しました。
VW タイプ34 カルマンギアでしたっけ?
ナンバープレートに「1965」年とあるのは車輌年式で間違いないでしょう。
こんな山の中に熱心な愛好家がいたのでしょう。
でも、かえりみられなくなって長い年月がたっているようです・・・・



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いくつかの峠を越えて作手村の中心(国道301号線)に向かいます。
すると途中に「亀山城跡」の案内板がありましたので立ち寄っていくことにします。
国道301号線側から見た「亀山城跡」



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本丸から作手村を見たところ。
村内には中世、40ほどの城館が作られたといわれています。
(わずかな範囲の土地にこれだけの城郭が作られたのは全国的に見ても珍しいとの事)

この作手の地が武田、徳川ら戦国武将にとって、
いかに重要視されていた土地であるかがわかります。

この画像で右手奥は豊田市、尾張方面に、左手に向かえば新城市(長篠城)から
遠州方面に至ります。
正面の山の方向には岡崎市につながるルートがありました。
そして背後の険しい山間部を越えていけば信州に至る道になります。
(これだけでも交通の要衝であり重要な場所だった事がわかります)



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二の丸側から本丸側を見たところ



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中世の城館の為、石垣などは有りませんが曲輪、土塁、空濠などの
痕跡を良くとどめています。
画像の右が二の丸、左側が本丸側の土塁。



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国道301号線脇の畑でこんな物を見つけました。
これは何でしょうか?お判りになりますか?
小さな方の札には「粘土」大きな方の札には「姶良Tn火山灰」と書かれています。
残念ながら説明板は傷んでしまい、ほとんど読み取れませんでしたが・・・。

姶良(あいら)とは九州、鹿児島県にある郡の名前です。
そして有名な桜島のある鹿児島湾は火山活動に伴って形成されたカルデラで
「姶良カルデラ」と呼ばれています。
「姶良Tn火山灰」は「姶良カルデラ」が形成された頃の大噴火で噴出した
火山灰のことなのです。
「桜島の火山灰が中部地方で見つかるの?」と思われるかもしれません。
私も詳しくは知りませんので、この火山灰が、どこまでの範囲で見つかるのかは
わかりませんが関東地方でも良く確認されているようです。
(すごい噴火だったんですね)

噴出した時代は今から2万1千~2万2千年ぐらい前と言われています。
そうすると、この「姶良Tn火山灰」より下にある地層はそれより古く、
上にある地層は、それより新しいと判断できるわけなんですね。
そういったことから考古学で遺跡、遺物の時代を特定するのに利用されるのです。


最後に面白い物?を見つけてしまい話がサイクリングから大きくそれてしまいました(笑)

それにしても今日のコースは大変でした。
距離こそ50キロ前後で、たいしたことはなかったのですが小さな峠まで含めると
約10個ほど越えたでしょうか。
いずれも標高差は50~200以下で、それ自体は、たいしたことではないように
思えるのですが山間部の町道、林道ばかりですから傾斜が無茶苦茶なところがたくさんあります。
間違いなく20%を越えると思われる所も一ヶ所や二ヶ所ではありません。
幸い、今日は全行程舗装だったので多少は救われましたが。

それに、このあたりの山間部は平坦区間がほとんどなく
登りか下りのどちらかなんですね(作手村の中心部は除く)。
そういったことから今回のタイトルは「2分の1はヒルクライム」としました、お粗末(爆)

さて、古典ロード走行会の、ご報告ですが続編では参加いただいた方の
愛車を、ご紹介しましょう。

なお、申し訳ありませんが全員の自転車をアップできなかった事と
画像が、あまり綺麗でないのを、お断りしておきます(すみません)



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それでは、まずは「タキちゃん」のデローザ プロフェッショナルC 87年式です。
雨対策に自作のマッドガードが取り付けられています。

RDはカンパ Cレコードで、いわゆるⅡ型になります。
最初期はダブルテンションでしたが、このⅡ型はシングルテンションに変わっています。

ブレーキは好みが別れるデルタブレーキです。これもⅡ型ですね。

バーテープ?は当時の高級車に流行していた「ALMARC」革製で、いかにも高級そうで高そうです。

サドルはロールスの白がついていたはずですが今日はカンパのサドルが付けられていました。



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これはKさんのプジョーです。
日本仕様ではなく海外から輸入された物のようです。

日本では白いプジョーがおなじみですが、これはシルバーの塗装です。
(日本仕様にも、シルバーは有りましたが)
シルバーの塗装も精悍で素敵ですね。
年式的には76~77年頃ではないかとの事でした。
入手された時はRDなどが少し新しい物?に替えられていたようですが、
その後、交換されオリジナルの姿に戻されているようです。

ボトル台座は直付けされていますがWL、Rブレーキアウターワイヤーはバンド止めのまま、
他にも部品構成、フレームの細工などにも興味深い点がいくつかあります。



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Kさんが以前送ってくださった画像です。
確かに良く似た仕様で同一のモデルだと思われます。
そうそう、このモデルで最も気になる点は・・・



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これなんです。
スポークがきちんと結線されています。

先のカタログ画像を良く見ると、そちらにも結線されているようです。
市販モデルに、このような手間のかかる作業が施されていたとは驚きです。



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田爺さんのガンウェル
ラグや、なで肩のクラウン上部がメッキされていたり、集合ステイの形状などチネリを
かなり意識したと思われる工作がなされたフレームです。
(ラグにチネリのような三つ穴も、ちゃんとあいていました)

カンパの変速3点にスギノのクランクは70年代によく見られたアッセンブルですね。
(カンパのCWは高かったですから)
大銅鋲のサドルも古典ロードとして良い雰囲気を出しています。



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MさんのBSユーラシア ロード 
78年頃のモデルでしょうか?
塗装の状態は良いし、部品も、ほぼオリジナルのようです。
(ボトルは少し新しいけど)

こういった中級モデルでオリジナルの状態を残しているのは、
かえって貴重かもしれません。



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kokoさんがレストアした富士オリンピック ロード 
サドルは新しい物ですが部品類は、ほぼオリジナルでしょうか。

スギノ アストロン チェンホイールがいいですね。
このアストロンはカンパにそっくりでギヤ板をカンパに替えると、ぱっと見たぐらいでは
見分けが付かないくらい似ています(分り易い違いはペダル穴まわりが少し肉厚でカッコ悪いこと)。
似すぎていたのが、まずかったのか生産期間は短いようで、あまり見かけません。

このオリンピック、フレームサイズがオーナーに合っていて全体のバランスが
良く取れていると思います。
ボトルにも「Fuji」のマークが入っていますが、これは、さすがに新しい物でしょうか?

コルサは76オリンピックORD-540の中古に乗っていた時期があり少々時代が
違いますが懐かしいモデルでした。



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すーさんのズノウ 
RDにサンツアーが使われている以外は初代デュラエースで組まれているようです。

この車、いかにも古典ロードといった雰囲気がありますし、全体のバランスも取れていますね。

かなりの「ヤレ」もありますが、走り屋?のすーさんの相棒として長いこと
活躍してきた事の証でしょうから、それはかえって好ましい姿といえると思います。

さりげなくボトル、ポンプの色も揃えられていますね。




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デモ鳥さんの深谷FKフレーム 82年式

深谷さんは名古屋にある大手の自転車関係の問屋さんです。
オリジナルフレーム、完成車も手がけられていて現在でも泥除け付きの
スポーツ車を販売しています。

ストロングライト99のトリプルCW、珍しいマビックの変速セット、
ゼウス(スペイン)2000のブレーキセット(本体、レバーとも)など、
部品構成は、よく言えば面白く、悪く言えばバラバラです(失礼 笑)
でも適当(けなしているのではありません。適度な、という意味で)なフレームに
好きな部品をつけて楽しんでいる姿勢は好ましく感じられます。



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初参加、Oさんのビゴーレ 75年式だそうです。

トップチューブのアウタートンネルは時代的に言って後に付け加えられたものでしょうね。

ユーレージュビリー変速セット、ストロングライトのギヤ板などのフランス部品が使われています。

ストロングライトのギヤ板ですがクランクはスギノのプロダイナミックです。
プロダイは、すっきりしたデザインがTAや49Dより好ましく見える時があるのは
コルサだけでしょうか? 
プロダイに170ミリがないのが本当に残念です(笑)

ブレーキセットは、珍しいユニバーサルのCXセット(本体、レバーとも)ですね。

画像ではわかりにくいのですがチネリ1Aステムがナット固定(ハンドルクランプ部)
の初期型で比較的、珍しい物が付いていました。



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SさんのプジョーPX10です。71年頃の物だそうです。

白いフレームカラーに黒塗りのラグ、たくさんのデカールなど(ポンプの樹脂製カラーリングも)
一歩間違えば「うるさく」なってしまう可能性が、あるところですが、
それが絶妙にバランスして精悍な雰囲気すら出ているのが、
この時代のプジョーが好まれる一つの要素でもあるのかな、と思います。

サドルは新しい物でフランス製ではないようですが、ここは人の体に接する部分ですから
乗って楽しむ自転車としては安易に「つっこみ」入れにくいところです(笑)

ハンドル部に付けられたボトルが良い雰囲気です。
そういえばサドルバックについては詳細を聞き漏らしました(笑)



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K島さんのプロトン(アルミ) 87年式だそうです。

プロトンは、もともとクロモリで手をかけた繊細なフレームを作っていましたが
80年代後半?、アルミフレームを海外で安く生産し販売する事業に手を出していたようです。

部品構成はカンパSR変速セット、ストロングライト49D CW、モドロ ブレーキセットなどが
使われています。

ホイールは一瞬、チューブラに見えますがアラヤの、ほそーい700Cクリンチャーリム、
CTL-370を使っています。



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最後にコルサのチネリ スーパーコルサ、年式は72~73年頃のようです。

マニアから見れば突っ込みどころ満載です(笑)

サドルは当然、ユニカを使うところでしょうが最近は、どうもユニカのサドルと
相性が悪く(お尻が痛いんです)76年頃のブルックスを付けています。

72~73年頃ならカンパのブレーキも出ていた時代ですがブレーキセットは
ユニバーサルのサイドプルを使っています(中古で買った時の仕様のまま)
ブレーキゴムだけは新しい(安物だけど)ダイアコンペに変えて使っています。

RDも時代的にはヌーボレコードが付いているはずですが鉄レコード
最終型(プラスチック プーリー)を使っています。
これは購入時に新品のPAT・72、ヌーボが付いていたのですが、かしめ部分にクラックがあり
昔、使っていた鉄レコードを使っています。

チネリファンの方の中には「チネリは60年代でないと」とか言われる方がいます。
もちろん、60年代には、それなりの良さがあるのは理解できますが
私には高校生の頃憧れた70年代頃のチネリが一番、ピッタリきます。
(厳密に高校生頃のモデルというなら76~78年頃のモデルになりますが 笑)


さて、次回の古典ロードでは、どんな自転車が見られるでしょうか。
もう、今から楽しみです(笑)

※記事にコルサの思い込み、間違い等ありましたら遠慮なく突っ込みいれてください。

4月26日は「第3回 古典ロード走行会」を行いました。

あいにく天気がはっきりしなかった為(明け方頃までの雨、その後の強風)、
希少なイタリア車を温存?する為、不参加の方もみえたのが残念でした。

それでも総勢14名の参加となりました。
(ご参加いただいた方、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました)
(例によって、たいがいたいがいなコルサの運営、至らぬ点は御容赦願いま~す 笑)



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コースは以前と同じ矢作川沿いに矢作ダムに向かい往復して来るというコースです。
矢作川は右岸左岸ともに道が通っていますが交通量の少ないほうを選んで走り出します。
川沿いの道は極端な傾斜もなく走りやすくて最高です。

でも、その前に・・・スタート直後、いきなり小峠がありました(笑)



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峠といっても、ごくごく短かく走り初めの足慣しにちょうど良いぐらいの距離の小峠です。
ここは昭和記念公園の中で一部、東海自然歩道でもあるので
車の通行はほとんどなく雰囲気の良い峠道です。
このルート、数年前に全舗装になったのでランドナーには面白みがなくなりましたが
ロードレーサーでも越えられるようになりました。



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M谷さんも、どんどん自転車の魅力に、はまっているようですね。

もともとはミニサイクル系コレクター?だったらしいのですが
ランドナーから、ついにロードまで手に入れちゃいましたねー(笑)



途中、休憩を取るたびに話がはずみ、なかなか進みません。
ところが、そうこうしているうちに雨がポツポツしてきました。
そんな時、当ブログにも時々書き込みをいただいているO田さんにも、
お会いしたのですが、ゆっくりお話しする事が出来ませんでした(すみませんでした)

雨で、びしょ濡れになる前に「うなぎ屋さん」に、たどり着こうとペースが速くなってきました。

こんな天気では残念ながら矢作ダムはあきらめて短縮コースです。
あのダムへの長い坂が登れなかったのはホントに残念です!!
・・・実は42-21Tしかなかったんで助かった(笑)



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うなぎ屋さんでは娘さんと先行していたケッタさんと合流しました。

ケッタさんは娘さんのペースを考えて駐車場から一時間ほど早く出発し
食事も速めに済ませ我々と入れ違いに帰途につきます。



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古典ロード走行会、「最年少参加者記録」を大幅に更新!

ケッタさんの娘さんと(小学校3年生)ケルビム ロードです。

ヘルメットはもちろん、子供用のアイジャケット(スポーツ用サングラス)もしてました。

「ほんと、かわいいなぁ」でも走りも、しっかりしていますよ。

なんたって、ケッタさん親子も考えてみれば食事処まで同じスタート地点から走っているのですから、
当然、娘さんは、我々と、さほど変わらない距離(50キロ弱)を完走した事になります!?
オジサン組のコースは多少、蛇行、迷走して距離が伸びてはいますが。



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ケッタさんの娘さんのケルビムロード。

このフレームは以前、コルサのところにあり、もともとは20インチチューブラ仕様でした。
初代オーナーはコルサが30年以上お世話になっている自転車屋さんで、
お孫さんの為にオーダーしたものです。
その自転車屋さんはケッタさんのオーダー スポルティーフ等も手がけています。

そんな縁もありますしコルサのところにあるよりもケッタさんの娘さんに
乗ってもらおうということで、数年前に、お譲りしたものです。

フレーム製作時期は、はっきり覚えていないのですが80年代後半から90年前後
だったのではないかと思います。

作りは一般的な大人用ロードレーサーとまったく同じです。
ただ、パイプは子供用ということで雑な扱いで簡単にへこんだり
しないようにということでしょうか?
厚めのパイプが使われているようで重量はそれほどに軽いものではありません。
(エンドはシマノ鍛造製、クラウン付前フォーク)

フレーム製作の手間は一般的な大人用のフレームと変わらない
(あるいは専用スケルトンだけに、かえって面倒かも)
ということで普通のロードフレームと同程度の価格だったと自転車屋さんで聞きました。

ホイールは先にも書いたとおり、当初の設計は20インチチューブラでしたが
メンテ、耐久性を考えて、ケッタさんの手によって20インチHEサイズの
クリンチャー仕様になっています(アラヤRB-17リム)。
幸い、フレームとタイヤのクリアランス、ブレーキシューの位置も問題、
なかったようです。

サドルは子供用セライタリア ターボ、グリップシフト、短めのクランク、
その他、テールランプ等にケッタさんの、お遊び心も入ったパーツアッセンブルになっています。




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幸い食事の間に、ほとんど雨も上がり風が時々、強く吹くものの何とか天気も、
くもりのまま、もちそうです。

帰りは若干ルートを変えて、いくつかの峠(たいしたことはありませんが)を越えます。

こちらは山岳ポイント?でのデローザ対プジョーの伊仏対決(笑)



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そして、こちらは国産車対決のようですよ。



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帰りは通るはずではなかったのにコルサとタキちゃんが道を間違え、
結局、朝一で越えた峠を反対側から登ることになりました。

画像は、すーさんとOさん。
すーさん(右)は先日1000峠越えを達成。
今日も大阪から参加してくださったのですが古典ロード走行会の前に近所の峠を
朝6時から二つほど越えてきたそうで・・・スゴイ(お疲れ様でした)

Oさんは今回、初参加、適当なコルサの運営に懲りずに、また来てくださいね。
(Oさん、いきなり、解散みたいになって、最後、ご挨拶出来ずにすみませんでした)

自転車は関西ビルダー対決、ビゴーレ対ズノウ
バリバリの競技車輌両のイメージがある両ブランドですが、
ともに70年代、80年代にはランドナーなども手がけていました。



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田爺さんは走行車輌以外に素晴らしい古典ピスト(その他、珍品部品も)を
持ってきてくださいました。
その古典ピストに関しては、田爺さんに協力していただいて後日レポートしたいと思います。



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71年頃か、と思われるプジョーを駆って最後の峠を力走するSさん。



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こちらは Sさん、ご提供の参加者に当る、「豪華 お土産」・・・・か?
と思ったのですが参考展示だけでした(笑)

肩のマークはエッソ、BP、写っていませんがシェルもありましたね。
なぜかプジョーのスポンサーは石油関係企業が次々交代していたんですね(笑)

真ん中のジャージは背中ポケットではなく胸ポケットですよ。
そんなジャージ、古いレース写真でぐらいしか見たことありません。
(前ポケットって、空気はらんで抵抗になりそう 笑)


それにしてもプジョ-濃度が濃いので次回のテーマは「フランス車及びプジョー」か?
という噂も(笑)
(今回参加は2台ですがメンバー所有のプジョー車を集めれば・・・)



※皆さんの参加車輌画像は後編にて、ご紹介します。
 ただし、あまり画像が綺麗ではないので、期待しすぎないでね(笑)

いよいよ、待ちに待った?古典ロード走行会が今週末にせまってきました。

前回は雨の為、古典ロードミーティングになったのですが
今回も天気が怪しくなってきました(泣)

日程を延期する案もあったのですが、ご予定がある方も多いかと思い
当初の予定通り行うつもりです。

当然、雨の場合は走行会は中止して同じ場所で古典ロードミーティングを開催します。

もちろん、参加表明をされていても「雨なら行かない」という選択もありですね。
(問題ありません、ご自由に)

現地には屋根のある場所がありますので集まった方で自転車を
見せ合うミーティングを行った後
近所の喫茶店にでも移動し、お話して楽しみたいと思います。


晴れてくれ、とまでは言わないけど
なんとか天気が、もってくれないかなぁ(笑)


念の為、コルサの連絡先は 090-4110-1934です。

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天狗党カップ第3戦(通算 第283戦)

19日に天狗党カップを行いました。

今回のコースは愛知県新城市の本宮山を登るもの。
最初は国道301号線で、後半は旧有料道路のスカイラインを走ります。
距離にして約10キロほど、後半のスカイラインでは10%前後の坂が
たくさんあるというヒルクライムコースです。
(スカイラインは冬季対策のせいか路面が粗くて、それも辛い)

今回は画像のみで、解説?はありません。
少し忙しいので(本当は負けたので)?手抜きしちゃいました。


なおレース結果は主催者発表のものとご照合ください(笑)

自転車競技チーム「天狗党」のホームページ


レース結果はトップページの左側、目次の中の「天狗党杯」をクリックすると表示されます。


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※ブログ容量確保の為、画像を削除しました※

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