コルサの毎日がヒルクライム

2009年05月

ダイアコンペの記事について、なかなかサンプル写真が用意できませんので
今回は「つなぎ」としてカンパ ハブの話をアップします(笑)



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最近、たまたま、デッドストックのカンパ レコード ピストハブが4セットほど
集まりました。

そのうち、通称「白箱」が3セットあります。
そこで以前から気になっていたことを調べてみることにします。



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気になっていたこととは・・・・

「カンパの白箱はいつ頃まで流通していたのか?」ということです。

皆さん、ご存知かと思いますがカンパハブのオーバーロックナット裏側には年式刻印があります。
それを今回のサンプルで調べてみれば白箱の流通次期の手がかりにはなるでしょう。
(全て当時のままと思われるデッドストック品なので)
ちなみにハブの年式刻印はピストだけでなくロードハブにもあります。
(旧カンパ レコードハブでも後期になると年式刻印のないものもあります)



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カンパハブの箱を開けてみると、このように薄紙が上部にかぶせてあります。
(画像は薄紙をめくったところ)



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箱の上部、側面には中に入っている物のスペックは何も書かれていませんが
箱の裏には穴数がスタンプで押してあります。



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オーバーロックナットを外すには、この「アクスル・ペダルバイス」が便利です。
(パーク ツール製)

フロントハブ、リヤハブ、ペダルシャフト用の切り欠きが付いています(ただし、画像は旧型)。



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パークツールの「アクスル・バイス」には、ペダルシャフトバイスを省略した
安価なタイプも用意されています。

シャフトをつかむところがアルミ製でハブシャフトを傷めず、しっかり固定して
作業がしやすいアタッチメントです。
玉押し調整には非常に便利なので、ぜひ使ってみることをお勧めします。



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それでは、カンパハブをセットして作業を始めます。



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カンパハブの玉押しはハブスパナで、オーバーロックナットはスパナで回します。
(両側ともハブスパナで回すタイプもありますね)

画像のハブスパナはパーク ツール製、モンキーレンチはバーコ製です。



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オーバーロックナットをはずして裏返すと、このような刻印が入っています。

上の「CAM」はもちろんカンパニョロ(CAMPAGNOLO)のことを表しているのですね。


そして手前に「71」の文字があります。これは、もちろん1971年の「71」ですね。
ただ、カンパのことですから、一つ外しても安心できません(笑)
前後左右の4個が全て同じ年式とは限りません。



今回の4セットの結果は・・・

①白箱  フロント 71年×2    リヤ 71年×2

②白箱  フロント 72年×2    リヤ 72年×2

③白箱  フロント 72年×2    リヤ 72年×1(もう一つは刻印なし)

④黄箱  フロント 78年×2    リヤ 77年×2



①と②は4個全ての年式刻印が揃っていました。

③は72年が3個、後の一つは刻印がありませんでした。
 これは、刻印の打ちもれ、でしょう。

④はフロントは78年、リヤは77年で揃っていました。



今回の結果から少なくとも72年頃までは、白箱だったことはわかりました。
ただ、サンプルが少なく、いつ頃切替わったかは、まだ私にはわかりません。



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話は年式刻印から、それますが、カンパのハブといえば良くワッシャーの
厚みの違いが見られます。

この画像でも、明らかにロックナットと玉押しの間にある(メッキの)ワッシャーの
厚みが違うのがわかります。
(左側ハブは薄い物、右側ハブは厚い物)

右のハブは反対側も同じくらいの厚みの物が入っています。

左のハブは薄いワッシャーが見えますが反対側には厚いワッシャーが入っています。

この手のハブ(左右のワッシャーの厚みが違う物)はシマノの追い上げで
カンパが元気のなかった80年代中頃以降?、良く話題に、あがっていました。

「カンパはワッシャーすら同じ厚みで作れないようになってしまった」とまで言われたものです。

ところが今回のサンプルから70年代ごく初期の頃の製品でもワッシャーの
厚みがバラバラだった事がわかります。

画像のハブのオーバーロックナットを計ってみると、ワッシャーの厚みがこれほど
見た目に違うのに、どちらも
なぜか約100ミリ前後(両方とも誤差1ミリ以内)で仕上がっています。



カンパはワッシャーの厚みが少々違うことなど最初から気にもしていなかったのか?・・・
それとも左右のワッシャーの厚みが違うことに何か理由があるのでしょうか??
(オーバーロックナット寸法を100ミリに調整する為??)

どなたかご存知の方が見えましたら、ぜひ、ご教授お願いいたします。
(白箱と黄箱の切替時期も)

16、17日は「MOM2009」に参加させていただきました。


詳細は主催のkokoさんのブログを見ていただくとして(笑)




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天気を心配しながら、まずは田貫湖に向かってスタートします。
そういえば田貫湖に行くのは何年振りでしょうか。



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田貫湖湖畔にて



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今回、コルサはシルクキャンピングで参加しました。
(キャリアは純正がないので日東キャンピーを使用)
(このキャンピー、じつは「くさやんさん」からの借り物でして)
昨年まではマスプロ車の手持ちがロードかピストしかなかったのですが、
このシルクを手に入れたのでダートがあるコースでも安心して参加できるようになりました。
次回はダートのあるコースでも大丈夫ですよ(笑)



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宿屋さんの配慮で自転車を室内に持込めます。
そのせい(おかげ)で、この「ありさま」です。
でも参加人数より何台か自転車が多いのはなぜ?(笑)



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降りだした雨の為、走行は途中で中止になり宿屋に昼過ぎには避難したのですが
結局、この調子で深夜まで(笑)



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おお、これは!?
ついに噂には聞いていた?
「マキネエさん」手作りのクッキーをいただく事が出来ました。
マキネエさんは自走にて参加されたのにもかかわらず持参していただいたのです。
とても、おいしくいただきました。
ありがとうございました。

それにしても、持って帰って保管しておきたい逸品でした。

次回の新作も期待していま~す。



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皆さんの自転車には、(フレームももちろんですが)
いろいろ興味深い部品や用品(カスタムも)も見られました。

こちらは「takeさん」のサンツアー旧ロゴ付きのフロントバック ! 欲しい (笑)



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これは、素晴らしい記念品!
時々、ご一緒させていただいている、「ま・はろみつるさん」の製作された
陶器のカップです。

「いい仕事してますね~」(笑)

(ま・はろみつるさんは、今回、残念ながら、参加できなかったとのこと)
本当に嬉しい素敵な作品です。大切にさせていただきます。
ま・はろみつるさん、ありがとうございました(kokoさんもご手配ありがとうございました)



最後になりましたが
MOMに参加された皆さん、お疲れ様でした。
楽しい時間をありがとうございました。
また、お会い出来る日(そして一緒に走れる)を楽しみにしております。
(もちろん、新たな参加者の方も)

今回は4月16日、会社帰りに訪問したまま記事をアップしそこなっていた
ネタを取上げます(笑)



豊橋市から蒲郡市方面に向かう時、よく通る国道23号線の脇に気になる神社があります。
そこで、仕事帰りに探索してきました。



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この神社は「引馬神社」(ひくまじんじゃ)といいます。

国道23号線に沿って南向きの鳥居があり、そこから境内に入り進んで行くと
90度曲がって東向きの鳥居があります。
(画像は東向きの鳥居)

面白いのは、この画像の向かって右側奥の反対側にも次にアップしますが立派な
鳥居があることです。
(中心線は、ずれるが東にも西にも立派な鳥居があることになるのです)



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これが西側にある立派な鳥居。
この画像の向かって右手、東向きに社があります。
(前の画像の反対側から見ていることになります)



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神社については、不勉強で良くわかりませんので画像にて。


案内板の最後に「その他」とあり「斉藤茂吉の筆跡による万葉碑」があるとありますね。
早速、境内の「万葉碑」を探してみます。



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ありました、ありました。
これが「斉藤茂吉の筆跡の万葉碑」ですね。

えー、なんて書いてあるのか良くわかりませんので案内板の画像を(笑)



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この句は持統上皇行幸の際の、お供した二人のものだそうです。

案内板には・・・・
「この2首の地名については現在御津町所在説が有力である」とあります。

ここで言う地名とは「引馬野」(ひくまの)の事です。
神社の名前が引馬神社と呼ばれるように、この辺りには引馬の地名が残っています。
そう言えば句の中の「安礼の崎」という地名も、現在の、この近辺にあります。

上記の説に対しては異論もあります。
これは賀茂真淵が「万葉考」のなかで「この句の地名は静岡県浜松市の引馬町」である、
といった説を唱えているからなのです。



先の案内板、「万葉遺跡引馬野」の中に持統上皇行幸と書かれていましたが、
すぐ近くに持統上皇行幸の際の行在所跡という場所もあるそうですから
探しにいって見ました。



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ここですね。
場所は先ほどの引馬神社のすぐ東側を流れる音羽川右岸にあります。


「持統上皇行幸」って「何」?といわれる方もいるかもしれませんので
不勉強ながら簡単に、ご説明を・・・


有名な645年の「大化の改新」で一部の豪族に独占されていた政権を取り戻し天皇を
中心とする中央集権国家の樹立が図られました。
その後、地方行政区画の整備が勧められ、愛知県の東三河地方も、それまでの三河国と穂国
(大雑把に言えば現在の豊橋市と豊川市を中心とした場所だったらしい)
が合併され「三河国」(みかわのくに)となりました。
三河国にも国府が置かれ国司が赴任しました。


この行幸で三河国とその周辺の諸国に対し、天皇の権威を示し律令制支配の強化を
計る事がねらいだったと言われているようです。
ちなみに国府の近くには国分寺、国分尼寺、三河国の総社なども置かれていたそうです。



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河口の堤防から引馬神社を眺めてみます。
右手の森が引馬神社です。

画面の右側に画像からは切れていますが音羽川が流れ込んできています。

中央奥、山のふもとあたりが国分寺、国分尼寺、三河国の総社などがあった場所です。
(現在、国府という地名の場所がありますが国府自体の場所は特定できていないようです)
(今、地名で国府と書くところの現在の読みは「こう」です)

画像左端のあたりは江戸時代に定められた「三州五か湊」の一つの「御馬湊」の跡だと
言われていて現在も小さな湊があります。
(江戸時代、近郊近在から、また新城市、遠く稲武地区の年貢米の積出港だったらしい)


このあたりの地名は御津町御馬(みとちょうおんま)です。
「津」は港を表すそうですが、わざわざ「御」の字をつけた港です。
字(あざ)は「御馬」です。こちらも「馬」に「御」の字を付けています。
この「御」の意味するところは・・・
この地名だけでも、いかにも、何か、いわくありげですよね(笑)

先にも書いたとおり、江戸時代の「三州五か湊」が有ったそうですが多分、音羽川河口近くには
もっと古くから重要な湊があったのだと思います。

国分寺、国分尼寺、三河の国総社などがあった場所も、ここ音羽川を、さかのぼって行った、
すぐ近くに存在していますからね。

10日は「アズマさん」企画のミニベロ走行会に参加させていただきました。

このミニベロ走行会は基本的に、あちこちで、おいしい物をいただきながら、自転車談義を楽しみ、
そこそこ?(笑)走ると言うイベントです。
(それでも走行距離は一応 50キロ程度)

ただし・・・せっかく「アズマさん」が、昼食から甘味処、オープンカフェなどなど、
まで連れて行ってくださったのに私は食べ物画像をブログに載せる趣味があまりないので、
おいしそうな物の画像、情報は、ありませんので、あしからず(笑)



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集合地点から、すぐの白沢渓谷(城土公園)
街の真ん中(名古屋市守山区)なのに、こんなに起伏のある公園があります。
(面積はごくごく狭い公園)
さすがに吊橋の下の流れは清流とはいきませんでしたが。

一枚目の画像の奥に見える高架は東名阪自動車道。



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瀬戸市で、おいしい昼食をとった後、長久手方面に向かいます。
私は大学時代を瀬戸で3年ほど過ごしました。
ちなみに3年といっても中退したわけではありません、最後の1年は別の所から通いました(笑)

さすがに卒業して四半世紀~?も立ちますから、瀬戸市も、ずいぶん変わっていました。
画像のように瀬戸市にもトンネル(瀬戸菱野トンネル)が出来たんですね、びっくりです(笑)



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「県道 愛知青少年公園瀬戸線」(長い!)の山岳賞ポイント?を登るミニベロ集団(笑)
ここが結構な坂なんですね、ほんと。
ほぼ、一直線に登るので実際の標高差以上に・・・
遠くに菱野団地や瀬戸市近郊の景色が見えます。



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ここは、どこかわかりますか?

「えっ、ヒントですか?」(笑)

皆さんは、
モリゾー、キッコロって覚えていますか? (公式マスコットキャラクター)
「冷凍マンモス」は見ましたか? 
(シベリアの永久凍土から発掘されたユカギルマンモス 約1万8千年前)

そうなんです、「愛・地球博」(EXPO 2005)の会場跡地です。
高さ88mの大観覧車は今でも残って回っています。

「愛・地球博」は2005年だったんですね~、もう、あれから4年も経ったんですね。



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「愛・地球博」会場跡から程近い駅駐輪場で
「旧車 フジ オリンピック ランドナー」発見!!!

タキちゃんの鑑定によれば80年代前半?とのこと。
クランクはスギノ製でしょうが「FUJI」の刻印がありました。
ブレーキレバーは今、巷で話題沸騰中?のダイアコンペですねー。
このオリンピック、特に施錠はされていないようですし、もう、しばらく動いていないような・・・
フロントフェンダーに住所名前がありましたから気になる方は連絡とってみます?(笑)



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名古屋近郊とは言え長久手(名古屋市中心から東方向)あたりには、このような
サイクリング向きの細道があります。
この道の近くには甘味処もあるし喫茶店もあり農作物が、お安く買える
お店「ござらっせ」もあります。


それでは、この後は参加者の方の愛車をご紹介しましょう。



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アズマさんのBSモールトン
ダイアコンペの変速機やフルクラムのカーボンクランクなど。
その他細部にまで、拘っています。



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MさんのBSモールトン
画像が悪くてすみません。
「マットブラック」のカラーが渋いっす(笑)



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後ろの車に注目!初代プリウスですね。
2代目プリウスは売れに売れていますが、いつのまにか初代プリウスは、
ほとんど見かけなくなりました。

あ、すみません、参加者の「自転車」の紹介でした。
BSモールトン3連発!!(今頃遅いって 笑)
デモ鳥さんのBSモールトン。でっかいサドルバック?装備で、お土産も買い放題(笑)



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このマシン、やっぱり、ミニベロ走行会では、はずせませんね。
なんといってもフレームワークがたまりません。
コルサが、むかーし、むかーしに乗っていた初期のライセンス生産のものとは比べ物に
ならないほど進化しているようです。



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タキちゃんのアドニス号。
16インチには、お約束の?TAの大径ギヤ板。これは一番大きい68Tだったかな?

よく見るとTAギヤ板のインナー取付穴がアルミで、きちんと塞がれています。
またダイナモが左シフトレバーで走行中でも作動する、
いわゆる「ダイナモ起倒レバー」装備など、ただものではありません。



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残念ながら走行会には参加できなかったのですが見送りに来て下さった方のアドニス号。
やはり、お約束のTAチェンリング。


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お見送りに来て下さった上に自転車のミニチュアを全員2台ずつ、いただいてしまいました。
(ありがとうございました)
これが良く出来ていてペダルもちゃんと回るんですよ。
(車輪外径 約20ミリほど)



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ジオスのミグノン
古いマニアにはジオスと言えばジオスブルーが浮かびますが
オーナーは白色に拘ったとの事。白色も素敵です。

ダイアモンド型フレームのジオスは走行性能が高く(20インチWO装備)走り屋?に人気です。
実は数年前、私も購入を試みた事があります。
その時はすでに在庫切れでレースに間に合わず断念しました。



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田爺さんの16インチミニベロ
フレームメーカー不明、この状態で購入したそうです。
(前のオーナーが、しっかりカスタムした物のようです)
失礼ながらホームセンターで見かけそうな作りのフレームですが意外に軽量。
購入時からスギノ マイティコンペCWが付いていたそうです。
(内側アームが切り落とされているようで歯数刻印は確認出来ず)
チェンガードはズボンの裾が汚れやすい位置だけに考えて付けられているようです。



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A君のジャイアントMR-4
(このイベントは24インチまで参加できます)
走行性も高く、折畳みも良く考えられている人気車ですね。
オーナーは、以前、どこぞの下りで80キロ弱をマークしたらしいです(笑)



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最後にコルサのルイガノMV3S
走行性能は比較的高いのでレース用にも使っています。
サドルの取付が格好悪いですが極端にシートアングルが寝ているので、どうしても
ロードポジションに近づけようとするとこうなってしまいます。



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これは参加車輌ではありません(笑)
帰り道のサイクルショップで見つけました。
以前、ツノダから販売されていた物のようです。
(サドルにツノダを表すTU刻印あり)
この自転車、ディスプレイだけではなく170cmぐらいの身長でも乗ろうと思えば、
何とか乗る事が出来ます(もちろん長距離は無理 笑)



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また、ここで休憩のようですよ。

陽が長い次期とはいえ画像でもわかるように、もうずいぶん西日になってきているのですが・・・
でも、ここはコーヒー100円だったし(パンもおいしい)居心地いいし(笑)



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ここは香流川でしたっけ?コルサは、この辺の土地勘がないので(笑)

さすがに陽も傾いてきたので帰り道を急ぎます。



最後に皆さん、お疲れ様でした。
アズマさん幹事役、ご苦労様でした。
アズマさんや、お友達の方のコース設定にはいつも感心しきりです。

また、いつか「おいしいサイクリング」よろしくお願いします(笑)

ありがとうございました。

先の記事で「完覇超記録」さんや「dolphine214take」さんから
「ダイアコンペはワイマン社との関係が深かったはずです」
という趣旨のコメントをいただきました。

そこで今回はダイアコンペ ブレーキレバーを語る上で避けて通れない?
スイス ワイマン社との関係を少しだけ調べてみましょう。

(WEINMANN社の発音に関して雑誌などではワイマンあるいはワインマンなどの表記がありますが、
どちらがより正確なのか私には判りませんのでこの記事ではワイマンとして表記しています。)



まずはダイアコンペの製造元である(株)ヨシガイさんのHPを見てみましょう。

(株)ヨシガイさんのHP

→  http://www.diacompe.co.jp/freepage_2_1.html

HPの会社概要を読むと
「日本初の冷間鍛造ブレーキは1963年にスイス“WEINMANN”社との技術提携を基に
“DIA-WEINMANN”として生まれました」と書かれています。

ちなみに10年以上たった1976年頃の雑誌広告にも「スイスWEINMANN社と特許提携」と
書かれています。
(HPと76年頃の広告とは表現のニュアンスが若干、違うような気もします)



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「WEINMANN”社との技術提携」を私たちでも確認できるのが製品に入っている、
この刻印でしょうか?

右のレバー「タイプ 144」に、判りにくいのですが「DIA」と「WEINMANN」の
刻印が入っています。

一説によると、「この刻印が入っている製品は60年代の物だけだ」
(それも1965年頃まで?という説を耳にしたこともあります)
と聞きますが、それが正しいのかどうかは私には判りません。

またダイア ワイマンには他にフラットタイプレバーがあるのは知っているのですが、
144以外に160、161、162のダイア ワイマンは存在したのでしょうか?
160系は、もっと新しい製品なのでしょうか。
私にはわからないことばかりです(笑)



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これらは、フラットタイプのブレーキレバーですがダイアワイマンの
カラーバリエーションです。

画像の通り、左から「アルミ」「ブルー」「ゴールド」で、
これらのサンプル以外に赤色も存在していたと思います。
(さらに他の色もあったのでしょうか)


先の説によればダイアワイマンと刻印の入ったレバーは古く1970年以前の
60年代後半の製品だと、言うことになりますが時代背景を考えると、
ずいぶん鮮やかな色の製品を作ったことに驚かされます。
もしかしたらアメリカなどへの輸出を意識した製品なのかなぁ?とも考えてしまいます。
(ブルー、ゴールドカラーは「田爺さん」よりサンプルを、お借りしました)

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