コルサの毎日がヒルクライム

2009年09月

以前、コインドライバーと言う工具を紹介させていただきました。


その記事には多くの方からコメントいただきました。

「ちょこぎさん」から
「コインドライバーは先が丸いのと平らなのを使い分けてます」
とコメントをいただいておりました。

私も実は同様の物ではないか?と思うドライバーも購入して使い分けています。
今回は、そのドライバーを、ご紹介します。



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早速ですが画像を見てみましょう。
上のグリーンのグリップの方が以前、ご紹介した「コインドライバー」
トップ工業の「TRD-45」ですね。

そして、下のイエローのグリップの方が今回、ご紹介する
同じくトップ工業の「TWD-45」です。

こちらのタイプは一般的に「水栓ドライバー」と呼ばれているようで
「混合栓のストレーナ付逆止弁の掃除・点検等に」と言う事で販売されています。
定価は税込み「1,375円」だそうですがホームセンターなどでは1,000円前後で
販売されているようです。



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それでは両ドライバーの先端形状をアップで比較して見ましょう。
言うまでもなく
右が「コインドライバー」、左が「水栓ドライバー」ですね。



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先端の幅は約17ミリほどあります。



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それでは一般的なドライバーと比べて見ましょうか?

右がKTCのネプロスシリーズで最も大型のドライバーの先端です。
一般的には大型?のドライバーと比較しても更に倍ほどあるのが「水栓ドライバー」なんですね。

まあ、自転車整備では新車、旧車とも、あまり出番があるとはいえない
「水栓ドライバー」ですが、いろいろ、カスタムや物作りをされる方には、
持っていれば意外に出番があって便利?かもしれません。
興味のある方は、一本、あなたの工具箱にもいかがですか?



今回、「水栓ドライバー」を取上げましたがマイナスネジには意外な事実がありました。

それは
マイナスネジには統一規格がない
ということなのです。
現代のプラスネジはフィリップススクリュー社が開発した「フィリップスリセス(リセス=凹み)」と
言う形状に、ほぼ世界的に統一されているのだそうです。
その為、「プラスの2番のネジの凹み」には「プラスの2番のドライバー」を用意すれば
間違いないと明確に言う事ができます。

ところがマイナスネジには統一規格がないのですから・・・・
その為、マイナスネジの場合、溝の幅、溝の長さ、ネジの頭の外径など、
ネジを製造するメーカー(その製品)によってバラバラなのだそうです。
この為、「溝の幅+溝の長さ」両方とも適合するドライバーを、ちゃんと
選ばなければならないことになります。
とは言っても特殊なネジを除いて特に問題になるようなことはないのでしょうけど(笑)
(中には溝、幅はピッタリなのにネジの外径よりドライバーの先端が広いなどと
言うことも実際おきます。特に皿ネジなど)

確かにマイナスネジは単純な形状で、わざわざ統一規格を作ることもない、とも考えられますが、
単純だからこそ世界的な統一規格を作るもたやすかったはずなのにとも考えてしまいます。

※※前回記事よりの続きです。

※コメントはコルサによるもので現地にある案内板などとは必ずしも一致しません。
 あきらかな間違いに、お気付きの方は、ご遠慮なく、ご指摘いただければ幸いです。



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きつかった「飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社」
(何度も書くけどほんと、長い!)の石段を過ぎて、
ここからは史跡巡りは下りにすることにして一気に?峠まで登ることにします。

コルサは登り始めたら峠まで休憩を取らないのが基本的なスタイルなのです。
途中、分岐などで立ち止まって地図を見るのは良しとしていますが
原則、登りの途中で休憩はしない主義で、今までずっと走ってきました(単独行では)

以前、信州で体調が悪く足を付いてしまった峠は、そのことが悔しく後日、
その為だけ?に再度、登坂に行ったこともあるほどなのです(笑)

しかし、この「芋ヶ峠」・・・
実は簡単に登れるだろうと思っていましたが、ミニベロでは、これが意外に手強い峠でした。



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やっとの思いで登りきった「芋ヶ峠」
(これで、「いもが」ではなく「いも峠」と呼ぶらしい)
画像は明日香村側から南側を見たところ。
この先、右手に林道の入口(立入禁止)とお地蔵さんがありました。
(林道は地形図によると、それほど長くはなさそう)



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「芋ヶ峠」
今度は南側から明日香村、北側を見たところ。



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峠、北側には魅力的な案内板がありました。
なぜかと言うと実は高取城にも、見てみたい石造物があるのです。
高取城までは飛鳥駅の方からもルートがありますが、今回、ここまで登ったなら
稜線を行き高取城に着ければ、その方が、ずっと楽そうですが・・・
(事前に地形図で芋ヶ峠から高取城までルートがあればと考えていた)
高取城まで行けば明日香に下りるのも問題なさそうですし。

でも入口からして、この様子ですし今日は雲が厚くテンションも
下がり気味なので断念します(笑)
(MTBかシクロクロスで服装は長袖、長パンツでないとね)



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「芋ヶ峠」から明日香村(栢森集落)に下る途中で見つけた古道と峠の案内板。

これから戻る、栢森集落に至る古道で「小峠」と言う峠もあるらしい。
(べつに芋ヶ峠付近の古道の案内板がありました)
入口付近の状態も良く、これなら注意すればある程度、乗って行けそう。
非常に迷うが、先と同じ理由で断念(笑)
もう一回来てアタックしたいものですが。



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峠から栢森集落(かやのもり)まで、一気に下ります。
登ってきた時は気がつかなかったのですが意外に急斜面です(笑)
(栢森集落が芋ヶ峠に向かう道の最後の集落)

ここ栢森集落でも探したい古社があります。
細い集落の中の道を登っていくと、ここにも立派な民家が立ち並んでいます。
画像、左手は「龍福寺」



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龍福寺の、すぐ上が目的地の、
式内社「加夜奈留美命神社」(かやなるみのみことじんじゃ)でした。

この写真を撮っていると女性2人に話しかけられました。
なんでも、この集落の無農薬野菜などを使った料理を食べさせる店に来て
食事の後、近所を散策中とのこと。
最近、話題?の「歴女」(歴史好きの女性の事)と言うほどではなさそうですが
なかなか鋭い歴史系の質問をしてくるので、しばらく楽しい時間を過ごしました。



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帰ってから「加夜奈留美命神社」について書籍を調べてみると意外な事が判りました。
この神社は近世、場所が判らなくなっていたのだそうです。

それを幕末に活躍、後に南画の大家となる「富岡鉄斎」が石上神社の宮司に
在任中(明治元年より)、加夜奈留美命神社の復興を志し、探し当てたのが
栢森集落の小さな祠だったのだそうです。
(その祠を加夜奈留美命神社であると考証し復興に尽力)

富岡鉄斎は村人に書画を書き与え、その代価を復興の資金の一部に当てたのだそうです。
(その為、このあたりの旧家には鉄斎の書画を持つ家が多いらしい)

なお鉄斎が再建した建物は昭和8年、火災にあい、その後に再建されたのが現在の姿のようです。



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ところで「加夜奈留美命神社」とは・・・
加夜は栢森集落の栢(かや)の地名から来ているのかもしれません。
それではナルミとは?

この集落には小さな流れが多く飛鳥川に流れ込んでいます。
この神社も例外ではなく二筋の川に挟まれた社地には絶えず、川の瀬音「ナルミ」?が
響いています。
その川の瀬音を「水の神」として祀ったのが「加夜奈留美命神社」なのだそうです。


さて目指す神社は見つけましたので、あとは登る時に見落とした「女綱」です。
(前回は稲淵集落、北側の入口にある男綱を紹介)



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気をつけながら下っていくと、「女綱」が見えてきました。
ここが稲淵集落の南のはずれなのでしょう。
画像は女綱を上流側(南側)から見たところ。



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道端に小さな「磐座」(いわくら)があります。
これを「福石」と言うそうです。この場所に勧請縄が掛け渡されていました。

この画像を撮っていると一台の車が妙に減速して近づいてきます。
「えっ、何? なんだよ・・・」ちょっと緊張していると・・・
先ほどの女性二人組みでした。
栢森集落での散策を終えて下ってきたようです。
二人が手を振りながら声をかけてくれて通り過ぎていきました。
こんな、たわいもない出会いでも淋しい山道では妙に嬉しいものです。
「えっ、二人の写真ですか」・・・「それは、秘密という事で」(笑)



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さて話がそれました。
ここにも前回の記事で書いたとおり男綱と同じように藁で作られたという女性のシンボルが
吊られるはずですが残念ながら、こちらも見当たりませんでした。


さあ、ここからは、あと少し。
一気に下って日暮れまで明日香村内の史跡を、いくつか巡ることにしましょう。

つづく。(なお、次回とは限りません)

9月19、20、21日は関西方面にカーサイクリングに行ってきました。
600キロ近くを走りながら例によって有料道路代0円、
宿泊は2泊ともホテル「ホンダ フリード」(要するに車中泊のこと)の貧乏旅行です。

これから何回かに分けて、そのカ-サイクリングの模様を、ご報告していきたいと思います。

3日間の様子を大雑把に分けると・・・
①19日 明日香村と明日香村南部の旧街道と史跡めぐり
②20日 大阪 百舌鳥(もず)古墳群めぐり
③21日 奈良「山辺の道」周辺の古社、古墳めぐり

今回は19日の明日香村南部の旧街道と史跡をご報告します。


今日は明日香村、国営公園「甘樫丘」(あまかしのおか)近くの駐車場に車を置いてスタートします。
これから辿る道は、明日香村から吉野 上市にいたる古道です。
今回はその古道を芋ヶ峠まで登って折り返す予定です。
(実際は本当の古道ではなく舗装道路ばかり)

※記事の中の文章はコルサに、よるもので現地にある案内板などとは必ずしも一致しません。
 あきらかな間違いに、お気付きの方は、ご遠慮なく、ご指摘いただければ幸いです。



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天武朝頃を起源とすると言われる古道で現在でも幹線道路である道を、
まずは石舞台古墳方向に向かいます。

南側には聖徳太子の生まれたとされる「橘寺」、左手には「川原寺跡」(かわらじ)があります。
画像は彼岸花に彩られる「橘寺」



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こちらは北側の「川原寺跡」、柱の礎石等が残っています。

奥に見えるのは仏陀山 弘福寺(ぐふくじ)



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石舞台古墳を過ぎて飛鳥川沿いの道へ右手に曲がると間もなく前回も、ご紹介した
謎の石造物「マラ石」があります。
自転車の間から顔?をだしているのが「マラ石」・・・・

画像は前回6月13日、撮影のもの。



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マラ石の先、西側に7世紀後半頃の「飛鳥稲淵宮殿跡」とされる遺跡があります。

また、一説には653年、中大兄皇子が難波から飛鳥に戻って一時期住んだ
「飛鳥川辺行宮」(あすかかわべかりみや)ではないかとする説もあるようです。

いままでに掘立柱の建物が4棟、大型の玉石を敷き詰めた中庭などの遺構が
見つかっているようです。

周辺は、まだ未発掘の場所があり、今後の発掘調査が期待されます。



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マラ石から東側の山手に登ったところには「坂田寺」跡とされる場所があります。
坂田寺は「わが国最初の尼寺」といわれています。

日本最初の尼は渡来系氏族・「鞍作村主司馬達等」(くらつくりすぐりしばたつと)の
娘、「嶋」だと言われています。

「蘇我馬子」の勧めにより嶋を出家させ「善信尼」と名乗ったのが日本最初の尼だそうです。

ちなみに達等の孫が飛鳥大仏を作った「止利仏師」の名前で有名な
「鞍作鳥」(くらつくりのとり)になります。

坂田寺は飛鳥最古級の寺院で7世紀後半になると飛鳥の五大寺として隆盛を極めたそうです。
(現在も存続するのは飛鳥寺のみ)

しかし、格式の高い寺院であったというのに画像でも判るように山の急斜面にあり、
のちに土砂崩れなどの被害にあったようです。
(打ち捨てられた直接の理由は不勉強にて不明)



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坂田寺から、のどかな田園地帯を登っていきます。
このあたりは「日本の棚田百選」にも選ばれた場所だそうです。
画像は、のどかに見えますが写真を撮る人やハイキングの人で、大変賑わっていました。



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稲淵集落の入口、勧進橋(かんじょばし)にある「飛鳥綱掛神事」の「勧進縄」。
(画像上部に見える谷に渡された綱)

ここは「男綱」で、村の反対側(南側)にもあり、そちらは「女綱」と呼ばれています。
それぞれに、藁で作った男女のシンボル?が付けられているとのことでしたが見当たりませんでした。
神事が行われるのが毎年、一月の成人の日らしいので、落ちてしまったのかもしれません。
(女綱の画像については、あとで)

新道に止められた車や人は、ほとんどが観光客。
撮影している背後には売店まで出て大賑わいでした。



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「男綱」を上流側から見たところ。

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稲淵集落、立派な石垣や立派な家が多い。
昔から先ほどの棚田での稲作で裕福だったのでしょうか。



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集落の中から、飛鳥川に降りていく小道。

この先に、コルサが、ずっと憧れていた場所があります。



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ずっと、憧れていた場所、それがここ。
「えっ、なに、ただの飛び石じゃん」と言われるかもしれませんが。

稲淵(昔は南淵と呼ばれたらしい)の集落には
「南淵請安」(みなみぶちのしょうあん)が住んでいたそうです。

あまり知られていませんが南淵請安は「遣隋使 小野妹子」に同行し、隋、唐に32年間、
滞在し日本に戻りました。

日本に戻った後、開いた私塾には中大兄皇子、中臣鎌足らが通い、その教えが
大化の改新に大きな影響を与えたと言われています。

ですから、この飛び石を、かつて南淵請安の私塾に通った中大兄皇子、中臣鎌足らが
通ったのかもしれません(笑)
そして先の画像の小道も飛び石に続く当時から残る古道なのかもしれません。
そう思うと急にありがたく見えてくるでしょう?(笑)


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今日は、まだ19日でシルバーウイーク以前の平日なんですが。
飛び石の回りも、こんな様子でして・・・やれやれ。



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南淵請安の墓は現在、稲淵集落の高台にありますが、
元々は別の所に有ったと言われ、ここにあるのは近世に作られたものだと言うことです。

一枚目の画像で、「この祠がお墓?」と思ってしまったのですが、念の為、
周囲を探索すると祠の裏にありました。

ただ、崖っぷちで距離がとれず、画像の位置から取るのが精一杯でした。



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稲淵集落を抜け飛鳥川沿いを登っていきます。
すると、こんなに長い名前を持つ神社があります。

式内社 「飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社」
(あすかかわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ)と言います。



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まずは153段?前後のまっすぐな石段。
手摺もありませんから下りは怖いですよ。



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合計、190段以上の階段と坂道を登ると、やっと山の中腹に拝殿があります。



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当社の御神体は「宮山」(神奈備山)そのものであり、ここには拝殿のみで本殿がありません。

この神社は「宮山」と呼ばれる山の中腹にあります。
宮山は642年、皇極女帝が行幸し雨乞いをした地だといわれています。
(たちまち大雨が降り人々は至徳天皇[いきおいましますてんのう]と褒め称えたと言う)


「宇須多伎比賣命」とは・・・
この神社の前の飛鳥川は岩盤が露出、その岩も長年に渡って削られ曲がりくねり
渦を巻いています。

そうした様子から神体山である宮山にウスタキヒメ命(渦滝媛命)という
女神が祀られたのだそうです。


※後編に続く。

前回は「ソーラー&人力ボートレース全日本選手権大会2009」の様子をご紹介しました。

今回は、そのレースに参加していた「K上さんの自作チタン艇」の詳細を
ご紹介させていただきます。

前回の記事→ http://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/33364187.html

※記事の中のコメントは全てコルサによるもので事実とは違う可能性があります。
 (K上さんの考えと違うかもしれません。その時はごめんなさい。 笑)



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21日の一時間耐久レース出場直前の一枚。
中央が製作者であり選手でもあるK上さん、向かって左がkokoさん、右がコルサ。
(他のみんなは、どこに行っちゃたの?)



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K上さんが参加されているのは「人力」によるクラスです。
この画像を見ても普通の方は特に何とも思われないと思いますが・・・

人力艇で、この外観を構成するのは実は大変なことなのです。
それは、なぜかといいますと・・・



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通常、人力艇ですと上の画像のような構成が普通です。

大雑把に言えば
①通常の自転車のポジションか
②リカンベント(寝そべるスタイル)
に大別されます。
この両者に共通するのは、回転運動により推進力を発生させていることです。
この方法は自転車として完成されている効率の良い方法といえます。
ただし、問題は170ミリ前後の半径のクランクを回すスペースが必要だということです。
(ペダル中心の直径で340ミリ+靴などを含む回転スペースが必要になる)
その為、重心が高くなったり空気抵抗(向かい風の影響も)が
大きくなるというデメリットがあります。
リカンベントスタイルでは、ポジションが低くなり上記のデメリットは
多少、緩和されることになります。



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K上さんは、その回転運動によるスペースより、ずっと小さなスペースで駆動力を生む機構を考えて
コンパクトにまとめた船体を実現するべく設計したようです。

それを実現する為のアイディアが今、取り外されて公開されようとしています!



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回転運動ではなくペダル?を前後することによって推進力を生み出す機構になっています。
(下側の画像では画像右側が後ろ側にセットされる) 



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これがペダル部分。
ここに足を突っ込んで前後に動かすシステムです。
この画像はレース後のものなのですがトラブルが発生してペダルが少し外に開いてしまっています。
レールガイド回りの強度が足りなかったようで無理が、かかりレールガイドに入れてあった
ベアリングが脱落してしまったようです。

足を乗せる部分が微妙にカーブしている点にも注目。
もちろん、靴を履いて乗りますが靴底の微妙なカーブに合わせて?作られています。

ちなみに、このメカは試作段階でチタン製ではなくステンレスをメインに作られているそうです。



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足を前後させて推進力を発生すると書きましたが、それも簡単にはいきません。

たとえば右足を前に出した時に有効な力が発生するとします。
しかし今度は右足を引き戻す時には、
何も工夫がなければ逆の力が発生してしまうことになります。
そのままではスクリューが右に回ったり、左に回ったりを繰り返すのみで、
船は前には進めないことになります。

この部分に、それを防ぐ秘密があるはずです。
何らかのシステムによりワンウェイのクラッチ機構が組み込まれており画像手前の
小スプロケット部分は一定方向の力しか伝えられず当然、一定方向にしか
回転しないようになっています。
K上さんは、この機構を秘密にしていた訳ではなく皆さんの質問に答えていいましたが、
あえて秘しておきます。
実はコルサが理解できなかっただけだとか(笑)



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そして、垂直のシャフトに伝わった力は方向をギヤにより90度変え
スクリューを回します。



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この中に仕込まれるギアボックス自体は市販の防水の物とのことで、
なおかつギヤ比が違うものに変更が可能だそうです。

このケース部分も、もちろんK上さんの自作。
微妙なアールで構成された、この部分を板金しにくいステンレス製で作る為、
本人は特に何も言わないものの、かなりの力作(苦労の作)に間違いないと思われます。



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その他の部分も見てみましょう。
これは船体後部のラダー部分。
先端の「かじ」部分は木製でした。
ちなみにラダーユニットを船体に止めているのは5ミリ径程度の4本の樹脂製ボルトでした。



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ラダーを動かすのはシマノ製シフトレバー。
シマノ製を使っているのは、やはり自転車部品だけでなく釣具メーカーでもある点を
考慮してのものでしょうか(笑)
(コルサが高校生の頃、サンツアーとシマノなら釣具も作っているシマノの方が雨に強いといわれていたのだ)
このフリクションレバーは舵を効かせた状態で手を離せるのが利点と言っていました。
なるほど、乗った人でないと気が付かないポイントですね。



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船体を裏側から見てみると・・・3分割?構成のようです。

前後を、それぞれチタン板から作り出し中央パネル部分で接合するという思ったより簡単で
合理的な構成で作られています。
先端側は一枚のチタン板からアールをうまく出してスリムに作り、後部は3枚を合わせた?スクエアな形状です。



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船体上部の様子を見てみます。
前後部分はデッキが貼られることにより強度も確保されています。
中央のオープン部分は板部分の上部に沿ってパイプが渡されて強度と安全性を両立しています。
中央部分に一本、左右を結ぶ部材が入っているのも見えますね。



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艇の両側に付くフロート部分。
これもチタンの薄板で作られていて非常に軽量でした。


この船、ほとんどをK上さん個人で作られています。
溶接は本業だそうですが、このような物を形にするのは大変な労力だと思います。
また、今回は駆動系部分の新アイディアなどもあり設計から形にするのは
更に大変だったのではないかと思われます。
今回は新しいユニットにトラブルも出てしまったようですが来年のレースまでには、
より完成度の高い物に熟成されるのでしょう。


K上さん、本当にお疲れ様でした。
来年も、愛知県で行われるのでしたら、また応援に駆けつけたいと思っています。

「ソーラー&人力ボートレース全日本選手権大会」
という大会が愛知県碧南市の油ヶ渕で行われました。

開催地は今まで静岡県がほとんどだったようですが
(コルサは天竜川上流のダム湖のレースを見に行った事がある)
今年は愛知県での開催、そのうえ自転車仲間のK上さんも自作艇で出場しているので
地元の自転車仲間を誘って応援に行くことにしました。


K上さんは以前、このブログで紹介させていただいた独創的なアイディア満載の
自転車の作者でもあります。


K上さんの、その他の自転車もニューサイ誌の古くからの愛読者であれば、
優れた工作技術、アイディアを駆使した、その自転車を絶対に目にした事があるはずです。


さて、一般的には馴染みのない「ソーラー&人力ボートレース全日本選手権大会」の
参加艇の様子をみてみましょう。

基本的には大会名にもあるとおり
①ソーラーパネルによるものと②人力によるものに分かれます。
人力でも単独と二人乗りに分かれています。
なお、コルサは、それ以上の大会のレギュレーションなど
把握していませんので、ご了承ください(笑)



まずは下の2枚の画像から・・・



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一枚目は、のんびりと漂っていますが・・・
同じ船が全力でペダルを回すと、なんと!船体が浮き上がって水中翼で進んでいます。
前後の水中に意外に小さな翼があり、その生み出す揚力で船体が浮き上がるのです。
もちろん、この状態は、かなりの体力を必要とするようで人力では長時間持続出来ないようです。
ただ、このスタイルは大きな船体が受ける水の抵抗が水中翼で進む状態で
激減するのでより効率が高いのだそうです。



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こちらはソラーボート(モーターによる推進)ですが、これも水中翼で進んでいます。
この姿を数年前、始めて見た時は
「人力やソーラーパネルで発生する、わずかな電力で水中翼で走れるのか」
と、あまりに驚いて思わず笑ってしまったほどです(まじめな話)。

さすがに参加艇の全てが水中翼で進めるわけではありません。
そこまで効率の良い船は参加艇の中でも一部に限られています。



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K上さんが、これから1時間の耐久レースに参加です。


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心なしか緊張した面持ちで離岸するK上さん。


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K上さんの自作艇、カッコいいです!

この船の特徴ある駆動部分の「びっくりどっきりメカ」については後日、解説?予定。

それにしても船体が細い。
ちなみにシーカヤックでも細い艇は60cmを切るものもありますが、
この船体の幅は約40cmとのこと。



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スタートを待つK上さん。

さて、この後は、また他の艇を見ていくことにしましょう。



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この艇はメインの船体にシーカヤックを利用しているようです。

駆動はまったくの自転車スタイルです。
この形式は空気抵抗が大きく重心が高いのですがペダリングは完成された
自転車スタイルですから効率は高いでしょう。

上部の自転車はカーボンのロードレース用のものでした。
錆びやすいボートレースですからカーボンフレームの方がクロモリやアルミより良いのかも?

ちなみに従来の自転車スタイルではなく、いわゆるリカンベントスタイルも多く見られました。



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この双胴艇は、これまた素晴らしい機構を持っていました。
それが披露されるのはレース中ではなくレース後なんですが・・・・



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フロート部分がヒンジによって簡単に折畳めます。
画像の状態(台車付き)で、そのまま軽自動車のワンボックスに搭載可能!
これなら、湖などに運んで簡単に楽しめます?



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こちらはソーラーボート。
シンプルでコンパクトな好ましい船体ながらソーラーパネルの面積が小さいのが気になりますが・・・
パネル面積とか、ソーラーパネルの種類でクラス分けってあるんでしょうか?
(すみません、調べてなくて)



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こちらのソーラーボートはソーラーパネル満載!

以前、コルサがソーラー自転車レース用の車輌製作を企画した時、
「ソーラーパネルの効率の良いものは一万円と同じ面積を貼るには一万円の
お金では全然、足りませんよ。ご予算はあるんですか?」
とメーカーの人に言われて、びびったんですが今は少しは安くなったんでしょうか?(笑)



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ソーラーボートのコクピット。
なんか水、被ったら感電しそうなんですけど・・・



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カタマラン(双胴艇)のフロート上にソーラーパネルを振り分けて搭載するなど
なかなか魅力的な構成のソーラーボート。
安定は、良さそうです。



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帰り支度の参加者の中には、こんな人も・・・
このまま、お祭りの会場に行っても違和感なしの御神輿状態です(笑)
リヤウイングから更に延びたステーが素敵。


次回はK上さんの船の詳細をご紹介します。

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