コルサの毎日がヒルクライム

2009年12月

日頃から浮世離れした生活をしていると言われるコルサですが、
年末ともなると、さすがに気ぜわしい。

30日も人並みに大掃除を始めるが、物欲旺盛、収集癖の有る私のこと、
膨大なガラクタを溜め込んでいるので簡単に整理整頓できる筈もない(笑)

早々に諦め、普段やろうと思っていて、なかなか、やれていないことに方向転換してしまいます。


そのうちの、ひとつがセブンのオイル交換。
オイル、オイルエレメント交換の他に冷却水の補充、プラグの点検などもしておきたいところ。
(信頼性に不安の有る車ゆえ、走行前には、いつもオイルと冷却水の点検は行っています)


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しかし、たかだか以上の軽作業も車高が低く整備性の悪いセブンは大変なのです。
カウルを外したりしなくてはならないし、ジャッキアップも車高が低いので、
そのままではジャッキも入らない。
車輪の下にスロープになる木材ブロックをおき、少し車高を上げて、やっとジャッキを入れます。

画像は一連の作業を終えて「ウマ」をはずし、片付けに入ったところ。

すでに日は傾き日没は近かったのですが試運転に行きました。

一夜明けた31日朝点検したところオイル漏れなどの心配は、なさそうです(笑)

2010年には懸案の足回りに手を入れたいものです。

前回の記事は私のブログとしては結構、反応をいただいたので気をよくして続編を
アップすることにしました(笑)



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今回、用意したサンプル7点。
三ヶ島4種、極東2種、カンパ1種。
ただし、今回はサンプルの比較は特に行わず、三ヶ島ユニークの種類について書いていきます。
(比較は後日、時間があれば・・・)



今回は三ヶ島ユニークペダルを掘り下げて行きたいのですが、歴史あるペダル(生産期間が長い)
ですから細かいバリエーション(マイナーチェンジ)を取上げていけばキリがありません?
そこで、今回は私が始めてユニークペダルを入手した1976年頃の三ヶ島ユニークペダルに、
しぼって調べてみましょう。

※私の思い込み、間違いなどお気付きの点が、ございましたら遠慮なくご指摘ください。


※下記の仕様は1976年頃のモデルに限定して書いています。
 のちに仕様が変更されたりするものもあります。
 (出来るだけ仕様変更についても触れています)

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ところで、1976年頃の三ヶ島のユニークペダルの種類って、どのくらい有ったと思いますか?

私の調べた範囲では同時期にユニークペダルとして「20種類が販売」されていたと思われます。

20種類とは驚きますよね。
それでは内容を見ていきましょう。
まず、20種類のうち半分はロード用、半分はピスト用でした。
ということは「ロード、ピストともに10種類ずつ製品があった」ということですね。

10種類の中にはアルミプレートの色違いも含まれますから、そこから色違いを除外します。
そうするとロード、ピスト「各6種類」が存在しました。


6種類の違いを分けていたのは、どういった違いでしょうか?
それを書いてみます。

①グレードは3種類有りました。
 ・ユニーク カスタム
 ・ユニーク ロイヤル
 ・ユニーク
これはロードもピストも同じです。

上の・ユニーク カスタムが最もグレードが上で下になるほどグレードが順に下がっていきます。



②サイズの違い
ユニークペダルにはサイズの違いがあります。
ペダルのサイズといってもピンと来ない人が多いでしょう。

1976年当時のユニークにはサイズの違いが存在しました。
カスタムはサイズ63ミリ、ロイヤルとユニークはサイズが60ミリでした。
サイズの画像は下の2点にて。



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この、計っている部分の寸法を三ヶ島ではサイズと呼んでいます。
ボディ本体の、この間隔をサイズとして一部の広告などに表示していました。

上の画像は63ミリあり、ユニークカスタム、
下の画像は60ミリでユニークロイヤルです。
(ユニークロイヤルは前回、記事をアップした学生の頃、加工を加えたもの)
※あとでも触れますがロイヤルものちに63ミリになります。


しかし、なぜ、三ヶ島は63ミリと60ミリの2種類のサイズを用意して販売していたのでしょうか。
わずか3ミリ違う製品を用意しなければならないようなユーザーの要望があったとは思えませんが。

本体のサイズが違うと言うことはプレートもシャフトも、それぞれ用意しなければなりません。
(シャフトは玉押しの調整部分のネジで3ミリの違いを共用していた可能性もありますが未確認)

いずれにしても2種類の本体、プレートを、わざわざ用意するとなるとコストの問題から
メーカーとしては得策だったとは思えません。
そのせいか、70年代後半には本体のサイズはカスタム、ロイヤルともに63ミリに
統一されたようです。
(ちなみにシルバンのロード、トラックは、ともに63ミリサイズを踏襲しています)



③シャフトの材質が3種類。
先ほど、①でグレードが3種類あったと書きました。
シャフトの材質にもグレードによって用意されているものに違いがありました。

その3種類のシャフトの材質は下記のようになります。

・チタンシャフト
・クロモリ鋼シャフト
・カーボン鋼シャフト(炭素鋼)

一番上のグレードのユニーク カスタムシリーズには基本的にクロモリ鋼シャフトが使われていました。
カスタムにはカーボン鋼シャフト仕様はありませんでした。

高価なチタンシャフト仕様はカスタムにのみ用意されたスペシャルでしたが今と比べ物にならないほど
チタンが高価だった当時、販売されたのは、ごくごく、わずかだったはずです。
(少数ながら実際に販売されたのは間違いない)

中間グレードのユニークロイヤルシリーズにはクロモリ鋼シャフトとカーボン鋼シャフトの
2種類が用意されていました。

下級グレードのユニークシリーズにはカーボン鋼シャフト仕様のみでした。



④プレートの材質
プレートの材質には2種類ありました。

・アルミプレート
・スチールプレート

70年代後半になって「ステンレスプレートのモデルも追加」されます。
(ステンプレートは76年頃には、まだ販売されていないので今回はカウントしない)


カスタムにはアルミプレートのみで、
ロイヤルにはアルミプレートとスチールプレートの2種類がありました。
ユニークシリーズはスチールプレートのみでした。

ユニーク ロイヤルとユニーク、両者にはスチールプレート仕様があり、両方とも
カーボン鋼シャフトでした。
サイズも同じ60ミリです。

それでは、どこが違っていたのでしょうか?スチールプレートの形状に違いが有ったように、
思いますがサンプルが手元にない為(カタログなど信頼できる資料画像もない)、
残念ながら断言できません。
(現物があったとしても本体に品番は刻印されていないのでグレードの違いなのか、
 年式違いによるものか判断しにくいのですが)
(当時の箱にはグレード、品番、シャフト材質、ネジピッチなどがゴム印で押されていたものもあり、
 箱入りなら確認しやすい)

アルミのプレートにはシルバー仕上げとブラック仕上げが用意されていました。


以上がユニークシリーズの仕様の違いです。
複雑になってしまいましたので簡潔に?書いてみます。
(繰り返しますが76年頃の種類です。のちに仕様変更があります)

・ユニークカスタム シリーズ 2種
サイズ63ミリ
アルミプレートのみ
上記は共通でシャフトは下記の2種類
①クロモリ鋼シャフト
②チタンシャフト


・ユニークロイヤル シリーズ 3種
サイズ60ミリ

①アルミプレート   クロモリ鋼シャフト
②アルミプレート   カーボン鋼シャフト
③スチールプレート  カーボン鋼シャフト


・ユニークシリーズ 1種
サイズ60ミリ

①スチールプレート カーボン鋼シャフト


以上のように色違いをのぞいて6種類ありました。

これは先に書いたとおり、ロードとピストは同じですからロードとピストをあわせて
6種類×2(ロード、ピスト)で合計12種類になります。
そしてアルミプレートの色違いをカウントすると「合計20種類、存在」したことになります。
(同時期に、これだけの商品を用意していたとは・・・)



途中で触れたように、70年代後半には「本体サイズはカスタム、ロイヤルともに63ミリに統一」され
本体サイズが統一された後のカスタムとロイヤルの違いはシャフト材質の違いだったようです。

クロモリ鋼シャフトとカーボン鋼シャフトの違いと言っても、ともにスチールであることに
違いはなくカタログ重量も変わりはありませんでした。

こんな違いなら、わざわざ2種類用意することもないと思うのですが・・・
スチールでも材質の違いによって、どれほどコストが違うのでしょうか?
当時の雑誌を見てみるとカスタムとロイヤルの価格の差は500円程度だったようです。
これがシャフトコストの差だったのでしょうか?
この程度の差で、スチールシャフトを2種類、用意するのは・・・管理など考えれば、
かえって高くついたのでは?とも思ってしまうのですが。

(今回、終わり。つづくかどうかは・・・・)

※過去にアップできなかった記事を今頃アップしています(笑)


先日、百舌鳥古墳群を回った記事を書きましたが9月19日は、
もう一ヶ所、重要な史跡を訪ねました。

帰り道に、その名も「太子町」で見つけたのは
「磯長山」(しながさん)「叡福寺(えいふくじ)」で聖徳太子の墓所とされる
「叡福寺北古墳」があるのだそうだ。
これは日暮れも近く疲れているが(11時間近くも古墳巡りをした帰り道なので)
寄らないわけには行きません(笑)


最近では「聖徳太子虚構説」もありますが・・・
虚構説はともかく「聖徳太子と言う名前は亡くなった後につけられた「おくり名」と言われ
生前は厩戸皇子と呼ばれていたそうです。
最近の教科書からは徐々に「聖徳太子」との記載は消えているそうで残っている場合でも
「厩戸皇子(聖徳太子)」などと記載されているのだそうです。



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まずは立派な石段を・・・疲れた体に、この階段はキツイ(笑)



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国指定文化財の聖霊殿(画像なし)、多宝塔もあるというだけに立派なお寺です。
画像、左は府指定文化財の金堂、正面奥は聖徳太子の墓所。

叡福寺は聖徳太子墓を守護するために、推古天皇によって建立され、
奈良時代に聖武天皇が大伽藍を整備したと伝えられています。
その後、聖徳太子信仰の霊場として発展したのだそうです。



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右が金堂、左が多宝塔です。



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聖徳太子の墓所



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宮内庁では、このように呼ぶようです。
「磯長」は、お寺の山号(磯長山 しながさん)と一緒ですね。
(どちらか先かは知らない)



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角度をずらしてみると、こんな感じです。
叡福寺北古墳と言うことですが古墳の全景、方向などの位置関係は、まったく判りません。
この丘が古墳なのでしょうか。


ただ、ネットなどで調べてみると意外にも情報がある事がわかりました。
(宮内庁管理下にある古墳は研究者の立入りも禁止されているので情報がない事が多い)

明治時代に調査されたようで古墳は約直径55メートルの円墳で、横穴式石室をもち、
内部には3基の棺が安置されているらしい。
中央の石棺に穴穂部間人皇女(母)が葬られ、東と西の乾漆製(麻布を漆で貼り固めたもの)の
棺には東に聖徳太子、西に膳部菩岐々美郎女(妻)が葬られているとされている。
ただ、調査の際に、棺は確認できたが、遺骸は風化して残っていなかったとされている。

明治12年の修復調査が実施された際に、横穴入口をコンクリートで埋めてしまったため、
中を調査する事は困難である。
(それ以前に、現在のままでは宮内庁が許可を出さないでしょうが)


叡福寺周辺には
用明天皇陵、孝徳天皇陵などなど、まだ行ったことのない重要な史跡が多数ありますし
「近つ飛鳥博物館」も有りますから、いずれまた訪ねることになるでしょう。

今回のサンプルは三ヶ島が70年代後半に試作したという軽量バージョンで・・・


と言うのは皆さん、ご推察のとおり、真っ赤な、うそなんですが(笑)



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このペダル、私が高校生か大学生の時に軽量加工したペダルなのです。
1976年に購入した片倉シルクR2-Xに、このペダル(もちろん、加工前の)が装備されていました。

ある日、サイクルスポーツ誌のバックナンバー(75年5月号)を見ていると
「エディメルクスの愛車が出来るまで」と言う記事が載っていました。
わずか2ページの記事ですが、その中にメルクス車のペダルの事も書かれていて
「クイル型のカンパ ペダルを加工してピスト風にしている」という事がわかりました。
最初から、なぜピスト用を使わなかったのか理由は今もって不明なのですが。
(たまたまデローザの工房にカンパ スーパーレコードのピスト用がなかったのかも)

この記事に刺激されて加工したのが今回のサンプルなのです。
この加工ならカナノコとヤスリがあれば素人でも何とかなりますからね。



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もともとは左のペダル(三ヶ島 ユニーク ロイヤル)を加工して
右のように作り変えました。



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まずは画像、左側の部分を切り落とします。
そして、ヤスリで整形して仕上げます。

でも、それだけではありません。
画像の右側部分も見比べてくださいね。
こちら側も、ご丁寧に(笑)切り落としてあります。



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そして、後ろ側のプレートは大胆にカットしてしまいました。
これは、先に書いた記事(75年のサイスポ)には載っていませんでした。
(メルクス用のロードには施されていなかった)
でも、この加工も多分、当時、別の記事で見かけたものでしょう。

話はそれますが上側のノーマルペダルに「蹴返し」が付いていません。
この頃のユニークペダルは、まだ別体の小物を付けるようになっていました。
(鉄プレートモデルは一体式の蹴返しが付いていましたがが)
三ヶ島ユニークの蹴返しについては、いずれ記事に書きたいと思っています。

しかし、このように大胆に後ろ側のプレートをカットしてしまったペダル・・・
底が硬くツルンとしたレーサーシューズでは非常にトウクリップに靴を入れにくくなったのは
言うまでもありません(笑)
ですから、あまり入らない時は走りながら片手で左ペダルを持って
靴を入れていた事もありました。

また余談ですが2万キロは乗ったと思う、このペダル、意外にプレートが減っていません。
(後に買ったシュパーブプロはずいぶん磨耗しています)
買った当初は、お金がなく、ずっとゴム底の運動靴で乗っていたのと
レーサーシューズを買った後も樹脂のクリートを使っていたためでしょうか。



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ペダル外側の比較です。
ロードペダルの枠をカットしピストペダル風に加工したわけです。

それから、キャップにも注目してください。
もともと、大型のマイナスドライバー?用の溝が切ってあったアルミキャップですが、
これも削って薄く加工しています。

どのくらい削ったかというのは次の画像にて。



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キャップを側面から比較して見ます。
溝がわからなくなるまで、まずガリガリ削り、その後、丁寧に形を整えています。
お金はなくとも時間だけはあった学生ならではの仕業ですね。
(今も、お金は全然ないけど)

この加工をした後、幸い、このペダルで落車することはなく丁寧に仕上げた
ペダルキャップは、それほど傷付かずに現在に至っています。

ただ、良く見ていただくとコーナーで路面に一度だけ接触してキャップのギザギザ部分が
わずかに削れているのが、お判りになるかと思います。



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そうそう、こんな所もカットしていました。
この部分はピストペダルにはありませんので、同じようにカットしてしまったのでしょう。



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まだまだ、細かく手を加えていました。

左側のノーマルには、しっかりしたリブ?が整形されていますが、
これも右のように全体に削り取っています。

我ながら10代の頃から、しつこい性格だったんだなぁ、と改めて思います(笑)



さて、ここまでカットしたり削って、どのくらい軽くなっているのでしょうか?
厳密にはグリスを洗い流して厳正に計量比較したいところですが(笑)
それは、さすがに面倒なので。そのまま計測してみました。


結果は・・・

ノーマル状態 178.5g

加工後状態  166.5g

でした。
その差 12.0g(片側で)・・・、えー、ここまでやって、この程度かぁ~?

ちょっと納得出来ない気もしますが(笑)



今後も三ヶ島ユニーク ペダルを中心に記事をアップ出来ればと考えています。
でも、更に掘り下げていくかどうかは皆さんの反応次第かも(笑)

20日はkokoさん主催のカフェポタin岡崎に参加させていただきました。

詳細はkokoさんのブログを見ていただくことにして(笑)
→ http://blogs.yahoo.co.jp/koko_car_suki/51453153.html



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ここは冠木門と呼ばれているらしい?
奥の石に「岡崎二十七曲(にじゅうななまがり)」について解説が掘られているのですが
残念ながら非常に読みづらい。

「岡崎二十七曲」とは街道をわざと曲げ敵の侵入を拒む城の防衛上の措置だそうです。
多くの城下町で同様の話を聞きますが岡崎の二十七曲は特に複雑です。
以前、地形図に当てはめた資料を見ましたが二十二曲がりしか確認できませんでした(笑)



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この「金のわらじ」は市内に設置された二十七曲を表す表示塔の上の物。
ちょっと欲しくなりませんか?(笑)



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岡崎宿は松平氏の居城、岡崎城の城下町として発展しました。

東海道の宿であり岡崎城の城下町として栄えた印象ですが
調べてみると江戸時代の人口は意外に少なく
家数千五百以上、人口6千人少々だったようです。
(現在の豊橋市 吉田宿は5千3百人弱程度、岡崎、吉田の間にある藤川宿で1千2百人ほど)



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岡崎と言えば?八丁味噌です?(笑)
八丁味噌のカクキューさんを見学します。
八丁味噌の八丁とはもともと地名から来ていると説明がありました。
(岡崎城から西へ八丁「約870m」はなれた八丁村で味噌作りをはじめた)
それに該当する味噌蔵は2軒しかないのだそうです。
ちなみに岡崎宿の規模は江戸時代、東西36町51間だったそうです。



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さすが19代続くという老舗、立派な建物があります。
こちらは明治40年に建てられたと言う味噌蔵(登録文化財)



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先の建物は現在、資料館となっていました。



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現在の熟成蔵。
説明によると約6トン!の味噌を仕込み約3トン!の石を積み・・・
二夏二冬、じっくり時間をかけてねかせるのだそうです。



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昼食時の駐輪の様子・・・
今回の参加車輌はのマスプロ車が比較的多いのが特徴?
ツノダ グランプリ、宮田ルマン、BSグランテック・・・懐かしい、欲しい、改造したい?(笑)



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主催者、kokoさんのカスタム、BSグランテック。
綺麗なオレンジとガードの輝きが目にまぶしい(天気はくもりだけど 笑)
ちなみに現車は、画像より素敵な色でした。



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岡崎市街地から少し離れただけなのに、こんな雰囲気の良い里山風景が。



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駐車場で何をしているのでしょうか?
この自転車は、いったい?
詳しくは初めに、ご紹介したkokoさんのブログで・・・



冬の一日、年末のせわしさを忘れて楽しむ事が出来ました。
kokoさん、参加者の皆さん、お疲れ様でした。
来年も、みんなで、のんびり走り、語りたいですね。
(ちなみに今回、最終的に散会したのは夜8時50分頃でした。 笑)

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