コルサの毎日がヒルクライム

2010年04月

私の住んでいる愛知県東部、豊橋市は三河湾に面しています。

その三河湾の南側、ほぼ東西に伸びるのが渥美半島、
そして三河湾を二つの半島ではさむように西側に知多半島があります。

豊橋市は渥美半島の付け根にあるので渥美半島は地元として馴染み深いのですが・・・

実は知多半島には今まで一度しか行った事がありません。
それも伊良湖からフェリーに乗って渡り自転車初心者と二人で少々走った程度でした。


若い頃はレースばかり、サイクリングに打ち込んでいた時期も峠越えを中心とした
走りでしたから、峠がない?知多半島に走りに行こうとは、あまり思わなかったのです。


30日の仕事がキャンセルになったので、どこかに走りに行こうと思って
昨晩、思いついたのが、そんな知多半島でした。
フェリー+自走で三河湾をぐるっとまわれば120キロ程度のようですが・・・
突然行こうと思い立ったので100キロ超の心構えがありません(笑)
そこで知多半島の付け根まで車で行き知多半島を一周するという軟弱、カーサイクリングと
相成りました(笑)


衣浦トンネル(衣浦港の海底をトンネルで通る有料道路)を抜けて少々南下した
武豊緑地に車を置いてスタートします。

あっ、そうそう、先に断っておきますが今回の記事には知多半島の観光地紹介とか
気の効いた食事処とかの話題は一切出てきませんので(笑)
ロードレーサーと渡り合いながら?BSモールトンで、とりあえず知多半島を回ってきたと
言うだけの記事ですから(笑)


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まずは南北に伸びる知多半島を東から西に横断して伊勢湾を望む常滑市に出ます。

知多半島?常滑市?ってどこ?と思われる中部地区以外の方も、
「中部国際空港 セントレア」なら、ご存知かもしれません。

久しぶりにセントレアを眺めて会社員時代、空港島建設に携わっていた時(もちろん、ほんの一部だけ)、
部下が、いろいろ問題を起こして苦労したことを思い出しました(笑)。
あれは、もう何年前のことだっけ・・・と、遠い空を見る(笑)


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セントレアを見て常滑街道(知多半島の西側を南下する街道)を進みます。

常滑市から美浜町に入り野間地区にある「野間崎灯台」。
海岸線を走る国道沿いに唐突?に出現します。


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少し国道を行き過ぎ振り返って撮った画像。
野間崎灯台が海岸線の、ごくごく低い位置にあるのがわかります。


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説明文には・・・・「全国の灯台ファンに親しまれている人気の灯台」とありますよ。

そういえば以前、伊勢湾海上交通センターの女性職員さんに
「灯台人気100選(だったと思う)」の話を聞いたり「灯台バッジ」を貰った事があったけ(笑)
「灯台萌え」の人もきっといるんでしょうね!


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知多半島の先端に程近いところにある「豊浜漁港」
なぜ、ここで画像を撮ったかというと・・・
この画像を撮っている道をはさんだ所にある神社が・・・

ちなみに豊浜は天下の奇祭「鯛祭り」で有名なところ。
(竹と木で骨組みを作った10~18m(1トン超)の鯛神輿が町内を練り歩き最後は海に入るという、お祭り)


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白い、「のぼり」に注目してください!
先の豊浜漁港の画像から見ても海岸線からすぐで低いところでありながら
「峠の地蔵さん」と書いてありますよ。
なぜ、海岸線の低いところに「峠の地蔵さん」なんでしょうか??


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知多半島の先端、幡豆岬から走ってきた方向を望みます。

先ほどの豊浜漁港及び「峠の地蔵さん」は突き出たように見える山の影にあたります。
もしかしたら現在の海岸線の道路が出来る前は、画像に見える山を越える道があったのかもしれません。
それならば「峠の地蔵さん」も、なんとなく納得が行く説明が付けられます・・・
かつては豊浜から師崎(知多半島の先端の町)に来るには山越えの道があり、
その峠には地蔵さんがあった。
しかし海岸線の道が出来た為、峠の地蔵さんは海岸線の国道沿いに下ろされ交通安全を・・・
(以上はコルサの妄想なので)

ちなみに画像の自転車はコルサのものではありません。こちらも念の為。
それにしても右手の崖の地質も気になるなぁ(笑)
(知多半島は化石を産出する場所でもある)


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知多半島の先端、師崎(もろざき、と読みます)
師崎港は日間賀島、篠島そして渥美半島(伊良湖岬)などに渡る船が出入りするので、
なかなかの賑わいです。

今、ちょうど渡船が桟橋に着岸しようとしていますね。


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師崎からは知多半島の東側を海岸線に沿って走る師崎街道(国道247号線)を北上しました。
向かい風に苦労しながら走っていて河和付近を過ぎ
(すれ違うロード乗り諸君、君の調子が、いいんじゃなくて追い風なんだよ)(笑)
ふと振り返ると師崎方面が見えるのに気が付きました。

画像では良くわからないと思いますが・・・
中央に高く見えるのは師崎の「チッタ ナポリ」(ホテル)なのかなぁ?


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武豊緑地まで帰ってまいりました!
画像は対岸に見える「碧南火力発電所」ですね。


知多半島、とりあえず(初めて)一周してきました。

次回は食事を楽しんだりして、じっくり観光?
それともロードレーサー+フェリーでツールド三河湾(三河湾一周)かなぁ(笑)

メルシェ その3 (分解編?)



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未使用のままとはいえ30年前後、眠っていたものですから、そのまま使うわけにはいきません。
まずは各部をチェックしていきます。

例えば、こんな状態の部分もありました。
まあ古い物でも普通、チェーンを外してしまうとチェンホイールは、ぐるぐる回るものですよね。
ところが、このメルシェは、クランクに力を入れても、まったく回りませんでした。
完全にグリスが粘土の様に固まっていたのです。
(分解後、グリス除去のケミカルでもBBベアリングに固着したグリスが、
 なかなか溶けないぐらいでした)

逆にヘッド小物はグリスがゆるゆるになって、すごく回るようになっていました(笑)
その点、いつも思うのですが70年代のカンパのグリスは優秀で見た目も回転もなんら
不具合が感じられないような気がします。
(見た目は問題なくとも変質しているのかもしれませんが)


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気になったのは、このワイヤー処理。
ワイヤーは切りっぱなしでキャップなどは被せてありません。

短い位置で切って終わり・・・ですね。すでに、ほつれてしまっています。
磨く時に不用意に作業しているとワイヤーの切り口で痛い思いをすることになります。
インナーキャップなどはFD、ブレーキ前後、どこにも被せられていませんでした。
もちろん、フランスの高級車のようにキャップはしてないけど
「ちゃんとハンダ付けしてある」なんていうことはありません。

良く見るとワイヤー固定のボルトの角も少しなめていますねぇ。


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シフトワイヤーと同じようにブレーキワイヤーも短く切るのがメルシェの流儀だったようです。
現在はRDワイヤーのみは入替えてキャップを被せてありますがFDと前後ブレーキは、
そのままの状態にしてあります。
これは近々、アウター、インナーとも現在の物に入替えるつもりです。
(オリジナルは保管しておく予定)


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安心して乗る為に、分解して手入れしていきます。
グリスが使われている部分はグリスを入替え、金属の部分はサビ取り、磨き、
そのあと、さび防止の為オイル分を塗っておきます。

樹脂、ゴム部分はアーマーオールなどで手入れしておくことにします。


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出来るだけ分解して各部に油分を与えておきます。
例えばFD(サンプレックス)も、こんな感じで手を入れていきます。
完全に分解したのち、組みなおします。

あ、そうそう、すっかり忘れていましたがFDは現在違う物に変わっていました。
オリジナルはスライド式でしたが現在はパンタグラフタイプに交換しています。
これは、好みとかで交換したのではなく入手して何年か経った時に樹脂部品が割れていたんです(泣)
(画像、中央上部の黒い部品が後日、破損)


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ばらした小物類は(スチール部品)、こんな感じ。


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さび防止の為、オイル分を吹きかけておきます。
ベアリング類は、いったん洗ってグリスを使って組み込みます。


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フリー本体は、隙間から内部にオイルを吹き込む程度にして、ばらすのは止めて置きます。
ただしスプロケットは一度、すべて外してグリスをしっかりネジに塗って組み直しておきます。

余談ですが古い外国のフリーはトップギヤが本体と一体式で外れない物、
ロー側の2~3枚をスポーク側から外す物など、いろいろな形式がありますから
分解にも注意が必要です。


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BBをバラしていたら、こんな衝撃映像が!(笑)
画像は、いうまでもなくBBシャフトなんですが・・・

まわりに、こびり付いているのは何かわかりますか。
なんと「切り粉」(鉄片)なんです。
その厚み、形状からパイプをカットしたり、ざぐったりした際に発生したもののようです。
パイプを加工した後、パイプ内部に落ちた「切り粉」に注意を払う事もなく、
そのままロウ付けしてしまっているのでしょう。

当初は切削時などに使う油分でパイプ内部に貼りついていた物が長年の間にBBラグ内部に落ち、
シャフトのグリスに、くっついてしまったのだと思います。
しかし、これはひどいですね~、
こんなの、今まで見た事がありません(笑)


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発見当時からのバーテープ、バーエンド。当然、30年以上前に巻かれたものです。
テープの間から2,3ヶ所ハンドルバー自体が見えています。
雑な巻き方ですね。
バーテープはメーカー不明のビニール製ですが表面に模様が付けられており
意外に滑りにくいものです。
また、バーエンドのゴムはベロックスではなく、やや細身の物が使われています。
これもノーマークでメーカー不明。

これを「すーさん」式に解釈するのなら・・・
「恐らく金曜夕方のマドモアゼルの仕業でしょうね、デートの時間が気になっての
 やっつけ仕事とみました(爆)」
ということになるのですが(笑)


次回は、いよいよ部品を見ていきます。

メルシェ その2

先日の「古典ロード走行会」に乗っていって意外に好評だった???メルシェを、
前回に引き続き、ご紹介していきたいと思います。

※先日の「古典ロード走行会」の様子は
  
  → http://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/35062010.html

 また過去の古典ロード走行会の様子は書庫 「古典ロード走行会」にて。


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今回の古典ロード走行会の時の完成車画像


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ダウンチューブの「MERCIER」の文字。
ステッカーなどではなく塗装によって書かれています。


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シートチューブの「MERCIER」の文字。
ダウンチューブとは同じ色を使っているのですが色が入れ替わっていますね。
「胴抜き」が古風な雰囲気を漂わせています。


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前回、なかったのでBB周りの画像を撮影してアップします。

BBラグはどこの物でしょうか?

ワイヤーリードはサンプレックスの物がバンド止めされています。
変速機本体だけでなく、ここでも樹脂(デルリン?)が使われています。


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シートラグ周り。
前回とはアングルを変えてアップします。
シートステイのフタの青色と金色も塗装で仕上げられています。


前回の記事で「ちゃぼさん」からもコメントいただいたポンプペグについて、
再度、ご説明しておきましょう。
(ポンプはイタリアの「REG」の「CORSA」が付属しています)

ポンプを受けるカップの部分は樹脂製にメッキしたもの。
それをスチール製のバンドを使っています。
スチールで一体成型した物(カンパ、ゼファールなど)が当時、
すでに多く出回っていたと思うのですが、なぜ、このような作りになっているのでしょう。


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リヤエンドにはSIMPLEXの文字が入っていました。

チェンステイ、シートステイパイプの末端の処理が良くわかりますね。


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シートチューブとフロントフォークに貼られた「REYNOLDS 531」のデカール。
前回の画像が不鮮明だったので撮りなおしてアップしました。


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そうそう、フレームなどに巻かれていた新聞の画像も有りました。
日付は・・・あれ、写っていませんねぇ(笑)
日付があればメルシェの年代もある程度特定できたのに・・・間抜けでした。
でも新聞も古新聞を利用したりする可能性がありますから、あまり当てになりませんけど(笑)



今回はフレーム周りのディティールを前回に続きアップしてみました。
(重複した部分もありますが)

次回以降は、入手した状態から分解していくところ、
そして部品各部を取上げて行きたいと思います。

今日は午後から仕事することにして午前中、トレーニングを兼ねて?サイクリングに
行くことにしました。

目的地は豊橋市の西に隣接する田原市。

さて、今日の行動時間は約3時間、片道十数キロ程度ぐらいでしょうか。
改めて考えてみると十数キロ程度の範囲でも行ったことのない所が結構あります。

今回は田原市大久保町地区の寺社、古墳を探索しながら走ってくることにしました。

ただし、結局、3時間を少々?オーバーしたのですけど(笑)


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田原市街の西側、少し離れた大久保町地区の「大久保神社」


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この後に出てくる長興寺とともに衣笠山(きぬがさやま)の南に続く
山々の南麓に位置しています。
大久保神社、どういう歴史、いわれなどがある神社かは不明ですが思いのほか立派で驚きました。


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大久保神社の境内には「田原市指定文化財、天然記念物」に指定されている巨木がありました。


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この巨木、
椎の木なんですね!


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大久保神社のすぐ西側には「曹洞宗 雲龍山 長興寺」があります。

ここは鎌倉時代(1275年)創建といわれ
後に田原城を築城した戸田氏の菩提寺となったところだそうです。
(創建後、いったん応仁の乱などで衰退したが復興されたらしい)

まずは、立派な山門から。
この山門は1694年に再建された物だそうです。


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山門にあった彫刻。


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1831年に作られたという中雀門より本堂を見たところ。


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本堂などの建物はいつ建てられた物かはわかりませんでした。


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長興寺 戸田氏の墓所。


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長興寺から南西に数百mほど進むと林の中に「籠池古墳」があります。

直径20mほどの円墳で6世紀後半から7世紀前半に作られたと考えられているようです。


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横穴式石室ですが入口は閉じられています。


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石室入口の柵から石室内部をのぞいたところ。
石組みの崩壊が起こりそうなのか補強されています。

奥壁の手前に2枚の石を組み合わせた「組合せ式石棺」が見えます。
(ここで見えるのは手前の2枚だけですが実際は2枚だけではあろません)

2枚の石が赤っぽく見えるのは石材がチャート製なのかもしれません。
(ベンガラなどによる着色ではなさそうに見えました)


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実は、ここ、上部が覆いになっていて隙間から石室内部が観察できます。
石室内部の補強作業の為に開削したのでしょうか。
(立入禁止とは書いていませんが、一応ロープが張ってあります。
 怪我したり遺跡を傷めないよう注意して観察しましょう)

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奥壁の前及び左右にも板状の石が置かれて(手前と合わせて最低6枚)
石棺が構成されているのがわかります。
両袖式の石室のようですが、その広さのわりに石棺部分が奥壁の直前のみ、
なのが意外な感じがします。
この石室の大きさでは伸展葬では無理ですね、屈葬だったのでしょうか?


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田原市に、こんなに茶畑があるとは知りませんでした。
と言っても画像では茶畑が、どれだけ広がっているかわかりませんよね(笑)
(最近は、このBSモールトンの出番が多い)

今日は短時間ですが充実していましたね~。
さて、追い風に乗って一気に帰るとしますか(笑)

今回は先日の「古典ロード走行会」で意外に好評だった??
フレンチロードレーサー 「メルシェ」を、ご紹介したいと思います。


(古い)フレンチ ロードレーサ-はプジョー以外に、あまり日本では見かけません。
メルシェと言って思い浮かべる事が出来る方でも、いわゆるメルシェ ピンクのフレームカラーに
オールカンパのロードレーサーではないでしょうか?

そういった意味では、今回、ご紹介するモデルは中級車種とはいえ
いや、中級だからこそ面白いモデルと思っていただけるのではないでしょうか?


※先日の「古典ロード走行会」の様子は
  
  → http://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/35062010.html

 また過去の古典ロード走行会の様子は書庫 「古典ロード走行会」にて。



イメージ 1

今回の古典ロード走行会の時の画像

後で詳細に触れない部品を、ざっと、ご紹介しておきましょう。

変速機は、お約束?サンプレックスの スーパーコンペティション(クリテリウム)アンサンブル、
ブレーキは、これも、フランス車、お約束のマファック コンペティション、
リムはAVA、
ポンプはREG CORSA(伊)、
チェンホイールはストロングライト93Dとなっています。


走行会時(上記画像)にオリジナルと違うのは・・・

①タイヤ、前後とも空気は入りましたが、さすがに使えないので交換しています。
      オリジナルはちゃんと保管してありますよ(笑)

②サドル、どうにも自分のお尻に合わなかったのでイデアルに交換しています。

③ペダル、これは興味深い物が付いていましたが(後述)交換しています。
      現状はカンパ レコードペダル+ガッリ(イタリア)のトウクリップに。
      (コルナゴ用を流用)

④クランク、形状は同じ物ですが交換しています。
       理由はペダルネジがフレンチだったのでビンディングペダル(笑)をつける為に
       BSCスレッドの同型クランクに交換しています。



※4月28日加筆
記事をアップした後、気がつきましたが当初、FDはスライドが付いていました。
後日、樹脂ボディが割れてしまったのでパンタ式の物に交換していました。



それ以外はハンドルバーにボトルケージを付けている程度です。
バーテープは70年代フランスで巻かれた、そのものです。
ブレーキ、シフトワイヤーも今のところ、交換していませんが、これは現在の
内部抵抗の少ない物に交換するかもしれません。
(外したワイヤー類も保管ですよね)


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このメルシェは2000年頃、某国の、とある倉庫で運良く発見しました。

倉庫内に積まれたダンボール箱(部品、フレーム類)を片っ端から空けていったのですが
そのなかには、完成車の箱もいくつかありました。

その時には、このメルシェの箱は、すでに他社のものになっており、あまり期待
せずに空けたのですが中からメルシェのロードレーサーが出てきて驚きました。

メルシェが出てきたことにも驚きましたが、
古ぼけた塗装のフレームながら(箱入りだったのですが、なぜかホコリが積もっていた)
意外に良い部品を使っている、それも仏車なのにイタリア部品を多用している事にも驚きました。
そして、私は、この完成車が、すっかり気に入ったのでした。

しかし、他に発見した物の買取や運搬、購入資金(購入金額の交渉も)など諸事情により
実際に購入するまでには時間を要してしまいました。


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最初に見つけてから数年が経ってしまいましたが幸いにも、その間に他の人に買われる事はなく、
2004年4月、ついに自宅ガレージまで持ち帰る事が出来ました。

この当時のメルシェは、ご覧のとおりヘッドマークにシリアルナンバーが入っています。

フロントフォーク上部にはレイノルズ531のデカールも見えています。

ヘッドパーツはストロングライト コンペティション(フレンチサイズ)でした。

※今回の記事の画像は、ほとんど2004年当時に撮影したものです。カメラが良くなくて
ピントが甘い、または適正露出ではない画像が多いのですが、ご勘弁を(笑)


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シートラグまわりの様子。

シートチューブ上部にもレイノルズ531のデカールがあります。

独特な?色使いの胴抜き、シートステイ蓋へのペイントなどに味?を感じます。

ポンプペグはプラスチィックにメッキしたもので、それをスチール製のバンドで固定しています。
この形式は他ではほとんど見た事がありません。


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ヘッドまわり。
ラグ、フォーククラウンは、どこの製品でしょうか?


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ダウンチューブ上部にはフランス国旗をあしらい「MADE IN FRANCE」と書かれた
ステッカーが貼られています。

ラグには金色のペイントが入れられていますが・・・これが、まぁ、下手でして(笑)
パートの、おばちゃんかアルバイトの仕業でしょうか?

デッドストックとはいえ塗装は、もともと、質があまり良くなかったようで、
ホコリと同化して画像で見るより綺麗ではありませんでした。


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フロントフォークエンド
樹脂が被せられていて箱の底を破らないように?工夫してあります。
このエンドはサンプレックス製でしょうか?
それにしても当時の一級品に比べて肉厚が薄くチープな作りのエンドです。


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右チェンステイのRD用アウターストッパー

後ろ側に見える金具が曲がってしまっているように見えますが・・・
多分、これは意図したものだと思います。
この部分からワイヤーは上に跳ね上がりカーブしますから金具が垂直に直立するよりも
前に少し曲げることでアウターが無理なくカーブを描けるように考えられているのでしょう。


次回に続くと思います、多分(笑)

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