コルサの毎日がヒルクライム

2010年05月

GW最終日は愛知県新城市で行われた「長篠合戦のぼりまつり」に
レーシングチームの仲間とともに自転車で出かけてきました。


この、お祭りは、もともとは「長篠の戦い」の戦没者供養にちなんだものです。


ここで改めて「長篠の戦い」に付いて簡単に書いておきます。

「長篠の戦い」は1575年 現在の愛知県新城市にある小さな城、「長篠城」をめぐり
武田勝頼と織田信長、徳川家康の連合軍が激突した有名な合戦のことです。
一般的には織田信長が大量の鉄砲を効果的に使い、武田勝頼の騎馬隊を打ち破り
大勝したことで知られる戦いです。

以前、「長篠の戦い」の現地を探索した記事
→ http://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/28710555.html



「長篠合戦のぼりまつり」のメインイベント?は何と言っても「火縄銃の実演」でしょう。


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「米澤藩稲富流砲術隊」の準備風景。


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「米澤藩稲富流砲術隊」
前日に地元の警察から火薬の使用量を減らすように指導があったとのことで
迫力不足を懸念されていましたが十分な迫力です!


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「日本前装銃射撃連盟」による一斉射撃(の直前の姿、 笑)


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ほら貝を吹き鳴らしながらの地元、「長篠、設楽鉄砲隊」の行列。


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「日本前装銃射撃連盟」
太筒、射撃直後、反動を後ろに逃がす姿。


見ていると自分も撃ってみたくなりますね(笑)
祖父の家には刀とか槍とかが昔あった記憶がありますが火縄銃は残ってないのかなぁ(笑)

※前回よりの続きです。

豊橋市南部の太平洋に面した地域の戦争遺跡を探索しています。


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さて、いったん国道42号線まで戻り、谷の東側の探索に向かいます。
東側の入口付近と思われる所は・・・こんな感じ・・・


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思い切って進んでいくと・・・竹薮になって、更に困難な状態に!
もう帰ろうかと思いました(笑)


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竹薮に瀬戸物、ガラス片発見。
戦時中の物か?と色めきたちましたが(笑)
どうやら近年の不法投棄のゴミのようでした。


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やっとの思いで竹薮を抜けると塹壕
(兵の移動のためのものなので交通壕?ともいうらしい)が見つかりました。


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塹壕の先(海岸に向かう方向)には小さな壕などがあります。
どうやらタコ壺と呼ばれる一人用の壕のようです。


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このあたりの地質は、ごく普通の土でそれほど硬い物ではないのですが作られてから
70年前後経っているとは思えないほど、しっかりした壕に見えます。


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ところどころに、やや大きな壕があります。
こういったところには野砲、軽機関銃などが装備されていたのかもしれません。
(装備する予定だったのか)


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尾根には道路状の部分も見受けられます。
(これが戦争遺構なのかどうかは確証はありません)
ここの部分は尾根上にありますから左手の海岸線から直撃を受ける可能性があります。
と言うことは、この道路状の部分は戦闘中には使えないことになります。
戦闘時の使用を想定した物ではなく準備段階で使用した運搬路?(砲など)なのかもしれません。
(戦争遺構だとしたら)


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現在は樹木に覆われていますが所々、海岸が望めるところがあります。
前回の記事、最初の画像を取った周辺の道路が右手に見えています。
ここが谷の部分で米軍の上陸が想定された部分になります。
先に探索に行った西側の小島陣地と、こちらの陣地から谷を挟んで砲台を設け
米軍の上陸部隊を阻止するつもりだった訳です。
幸い、太平洋岸からの米軍の上陸はなく戦闘も行われませんでした。
しかし、終戦直前、日々、米軍の上陸に備える兵隊が太平洋を監視していたのですね。

※戦争遺跡 小島陣地 終わり。

第二次大戦末期、いよいよ本土決戦を覚悟しなければならなくなった大本営陸軍部は
防御作戦の指針を示します。

具体的には「上陸作戦の最大の弱点は行動困難な水上、水際にありという前提を基に、
配備の重点を直接海岸に置き、水際で敵上陸部隊を撃滅する」ことを
目指したものであったようです。

戦時中、愛知県豊橋市には歩兵第18聯隊、第15師団、豊橋海軍航空隊、等々の
軍関係施設、豊橋から更に北の豊川市には海軍の大規模な軍事工場、豊川海軍工廠などがありました。

当然、米軍の攻撃目標になることから豊橋市の南側、太平洋からの上陸作戦に
備える必要があったのです。
その為の拠点(豊橋市南部太平洋岸)を城下、伊古部、小島町に計画したようです。
ただ、大戦末に完成していたのは今回、探索に出かけた
小島地区(小島陣地)だけだったようです。


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小島海岸から西側を見たところ。
豊橋地区の太平洋岸は砂浜から標高差35~70mほどあるそうです。
ところによっては○○グランドキャニオンと呼ばれるほどの
崖になっているところもあります。
それに比べれば小島海岸の丘陵は、ずっと低く、なだらかになっています。


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上記のように丘陵が他の地区に比べて低い上、珍しく谷が開けています。
谷、中央部から南側、太平洋側を見たところ。

左右の丘の上に敵上陸部隊を迎え撃つべく砲台が設けられていたそうです。
画像、むかって右側を「東浜」、左側を「西坂ノ上」と呼びます。

向かって右の丘の上には小島陣地(トーチカ)がありました。
左にも小島陣地と対になる歩兵陣地がありました。

では、まず小島陣地を探しに行くことにします。


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おっと、その前に谷の中間部を観察します。
谷東側の、窪み。

このような所に歩兵陣地を設け敵が上陸した場合、側面、背後から攻撃をかける
作戦だったと思われます。
このような所が谷筋に数ヶ所設けられていたようです。


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谷、西側の丘に登ってきました。
自転車は、こちらを向いていますが、これから進んでいくのは画像奥側。
奥が南側、太平洋側になります。


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砲台より太平洋側へ細尾根を進むと比較的、大きな窪地があります。
奥に見えるのは最近出来たらしい「防災無線塔」
無線塔の工事で窪地は若干、埋められたようです。
最も海岸よりに、あることから監視所らしい。
(銃座の可能性もあり?)


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これが、小島陣地のトーチカ。
詳細は不明ですが内部には砲室、観測室などがあり
砲室に分隊長1名、砲員6名の計7名、観測室には指揮官など合計3名、
それぞれの部屋に通信士各1名が配置されていたらしい。


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トーチカの上部は階段状になっています。
これは銃弾直撃の衝撃、影響を減らす工夫であるらしい。


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トーチカ上部にあった換気坑らしき構造物。
落ちたりしないように塞がれたようです。


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トーチカのすぐ西側にもコンクリート構造物が露出しています。
下部は以前、開口していたようですが土嚢が積まれ出入り出来なくしてあるようです。


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トーチカの後部。
ここには坑道(半地下式だったとも言われる)があったようですが
現在は天井部が陥没し大きな窪地になっています。


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坑道を更に後部から見た所。
東側(向かって左側)の坑道が広いことから敵に上陸された場合、
砲の向きをかえ北側に向けても攻撃出切る様、考えられていたとする説もあるようです。


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一枚先の画像を撮った所から振り返った北西側には道状の部分が残っています。
ここが資材、大砲、弾薬を運ぶ為のルートでしょうか?
(このルートは現在、現地に訪れる人が通る小道とは違います)


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撮影場所の足元には・・・・一見、古いコンクリートのように見えたのですが、
どうやら礫を含む自然の堆積物が崖から崩れたもののようです。


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現在、林への入口になっている場所の、すぐ西側・・・

こちらは間違いなくコンクリートと思われますが・・・
右上には小さな瓦状の焼物で作られた祠があります。
藪に埋もれた小さな祠(2基ある)が不気味です。
コンクリートらしき物は戦中の構造物の物でしょうか。

さて、今度は谷の東側の遺構を調査に向かうことにします。

次回に続く。

今日は明日のサイクリングに備えて軽く流す程度に走ることにしました。

昨日は三河湾を、はさむ西の半島、知多半島(幡豆岬)に行ったのですから
今日は南側に位置する地元、渥美半島(伊良湖岬)に行くしかないでしょう!(笑)


走り始めて少々のところでT島氏から電話が入りました。
「明日サイクリングの打ち合わせかな?」と、のんきに電話に出てみると・・・・
なんと、明日だと思い込んでいた「廃寺ミステリツアー」が今日だというではありませんか!!!
現在地から集合地点までは100キロ以上の彼方、今更どうしようもありませんから
デモ鳥隊長に詫びを入れて断ります(泣)
あー、楽しみにしていたサイクリングの日にちを間違えるとは、なんたる大失態!!!
それまで快調に回っていたペダルが旧に遅くなったのはいうまでもありません(泣)


好天ですが気は晴れません・・・というか好天だけに余計・・・
まあ、落ち込んでも仕方ありませんし危ないだけですから気持ちを切り替えて走ることにします(笑)


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太平洋岸に出て渥美サイクリングロードを走ると「日出の石門」(ひいのせきもん)が見えてきました。
時々、記事に書いていますが自宅から40キロ程度でこんな環境があるのですから、
ほんと恵まれています。


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あれ、自転車道脇にこんな立派な標識がありますが・・・
「渥美サイクリングロード」って、愛知県の県道497号線だったんですね。
それは、まあ、どこかが管理しているわけですが・・・車が通らない自転車道も県道なんですか?
知らなかったなぁ(笑)


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「日出の石門」の上の高台から東を見たところ。
海岸に突き出すのは渥美半島最高峰の越戸の大山(おっとのおおやま)かな。


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「日出の石門」の上の高台にある展望台?
こちらは、ほとんど誰も来ない穴場ポイントです(笑)

ここは以前、ご紹介した戦争遺跡(日本海軍 伊良湖防備衛所)があったところです。

その時の記事→ http://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/33226193.html
(今回の画像ポイントは以前の記事と、かなり重複します。笑)


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ここからは伊良湖岬、恋路ヶ浜もよく見えます。


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すぐ南には、こんな絶景?ポイントが。


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右の海中に見えるのが「沖の石門」ですね。


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伊良湖岬から北北東?に進み立馬崎に来ました。
遠くかすんでいますが対岸(いくつかの島も手前にありますが)に見えるのが
昨日、走った知多半島になります。
実際は、遠いのですが望遠レンズのせいか、画像では何となく近く見えています。

ヨットが進んでいきますが・・・
昔、私が乗っていた船と同じくらいの大きさですね。
あっ、乗っていたと言っても、もちろん知人の船に乗り組んでいただけですよ(笑)

ほとんど無風なんですがエンジン航行かなぁ。


さて、そろそろ帰るとしますか・・・・

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